みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ遺産」

年表一覧
年表1   年表2

西暦    :       ~               
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 縄文時代(早期) 0000

長養池周辺に人が住む(ナイフ形石器出土)

72
74

2 縄文時代(早期) 0000

寺門遺跡(犀川町木井馬場)・自在丸遺跡(犀川町上高屋)に人が住む

111

3 縄文時代(後期) 0000

節丸西遺跡に人が住み、集落を作る

27
98
100
113
118

4 縄文時代(後期) 0000

浄土院遺跡(苅田町浄土院)・黒田遺跡(勝山町上黒田)に人が住む

113
114

5 縄文時代(晩期) 0000

長井浜周辺に人が住む(板付Ⅰ式土器・夜臼式土器、箱式石棺・甕棺群出土)

153

6 弥生時代(前期) 0000

矢留遺跡(八景山南山麓)に住居が営まれ始める

206
335

7 弥生時代(前期) 0000

犀川小学校校庭遺跡(犀川町)に集落ができる

8 弥生時代(前期) 0000

竹並遺跡(行橋市)に住居が営まれ始める

206
209
214
214

9 弥生時代(中期) 0000

下稗田・前田(行橋市)の丘陵に大集落が営まれ、箱式石棺・甕棺・土墳墓群も形成される

206
208
210
213
216
218
219

10 弥生時代(後期) 0000

川ノ上遺跡に墳丘墓など墳墓群がつくられる(後漢・三国時代の舶載鏡・仿製鏡・鉄器などが出土)

153
153
154
158
170
206
212
221

11 弥生時代(後期) 0000

平遺跡(箱式石棺・上坂)より夔鳳鏡片、鉄鏃が出土

199
206

12 弥生時代(終末期) 0000

このころ竹並(行橋市)に一・二号墳がつくられる(一号は方墳・二号は方形周溝墓)

13 弥生時代(終末期) 0000

石塚山古墳(前方後円墳・苅田町)が築造される

326
326
341

14 弥生時代(終末期) 0000

赤塚古墳(前方後円墳・宇佐市)が築造される

341

15 古墳時代(前期) 0000

琵琶隈古墳(行橋市)が築造される

16 古墳時代(前期) 0000

居屋敷(徳永)に須恵器窯がつくられる

311
328

17 古墳時代(前期) 0000

御所山古墳(前方後円墳・苅田町)が築造される

325
330
365
366

18 古墳時代(前期) 0000

石並古墳(帆立貝式前方後円墳・行橋市)が築造される

331

19 古墳時代(前期) 0000

稲童二一号墳(円墳・行橋市)が築造される

328
332

20 古墳時代(前期) 0000

このころから北垣(節丸)に古墳群が築造される

255
274
281
329

21 古墳時代(前期) 0000

番塚古墳(前方後円墳・苅田町)が築造される

328
332

22 継体 0506

徳永川ノ上遺跡に古墳群が築造され始める

255
283
329

23 継体 0506

肝等屯倉(苅田町)が設置される

333
348
367

24 宣化 0536

箕田丸山古墳(前方後円墳・勝山町)が築造される

328
333

25 宣化 0536

庄屋塚古墳(前方後円墳・勝山町)が築造される

328
333
348

26 宣化 0536

扇八幡古墳(前方後円墳・勝山町)が築造される

328
347
348
367

27 宣化 0536

このころ竹並・前田山(行橋市)などの横穴群の築造の最盛期

328

28 宣化 0536

彦徳・高崎などに横穴群が形成される

255
261
289

29 宣化 0536

源左エ門屋敷遺跡(徳永)・カワラケ田遺跡(呰見)に集落が営まれる(六世紀後半から七世紀にかけて)

178
179
179
201
206
297
298
300
302
309
336

30 宣化 0536

彦徳甲塚古墳が築造される

258
260
261
328

31 宣化 0536

八景山山麓円墳群が築造される

255
286

32 宣化 0536

甲塚方墳が築造される

255
262
262
264
267
271
271
328

33 宣化 0536

綾塚古墳・橘塚古墳(勝山町)が築造される

271
325
333
348

34 大化(孝徳) 0667

このころ御所ケ谷神籠石(行橋市・勝山町・犀川町)が築造される

355
371
530

35 天武 0672

金築遺跡(惣社)に大集落が営まれる

338

36 持統 0687

このころから豊前地方に古代寺院が建立され始める

355
375

37 持統 0687

上坂廃寺が建立される

375
383

38 持統 0687

椿市廃寺(行橋市)・木山廃寺(犀川町)が建立される

375
497
530

39 大宝2 0702

豊前国仲津郡丁里などの戸籍が作成される(正倉院文書として現存する)

458

40 大宝2 0702

豊前国の名がはじめて見える

392

41 大宝2 0702

このころ豊前国仲津郡には呰見・高屋・中臣などの郷あり

444

42 養老 0717

このころから豊前国府が整備され始めた

397

43 天平12 0740

大宰少弐藤原広嗣が反乱、豊前国北部が主戦場となる

487
488
490
491
491

44 天平16 0744

宇佐放生会が始まる

485

45 天平18 0746

豊前守従五位下大伴宿禰百世の名が見える(『続日本紀』)

496

46 天平勝宝8 0756

このころまでに豊前国分寺が完成する(この年に二十六国の国分寺に仏具を頒ち、その中に豊前国の名もみえる『続日本書紀』巻十九)

357
375

47 宝亀 0770

このころ菩提廃寺(勝山町)が建立される

375
530

48 宝亀4 0773

和気清麻呂が豊前国に赴任する

375

49 延暦23 0804

最澄入唐にあたり、香春神宮に立ち寄る

50 大同元 0806

空海帰朝し、香春神宮に謝す

51 大同元 0806

このころ徳政瓦窯跡で豊前国分寺の瓦をつくる

527
528
529
530

52 承和元 0834

今元村金屋(行橋市)に奈良春日神社を勧請した

53 承和元 0834

このころ今元村の海岸数百町歩が開拓された

54 貞観元 0859

宇佐八幡宮を山城国男山に移座する。神輿が草野(行橋市)に止宿し、この地に草野正八幡宮を建立。その後、郡内各地に八幡宮が勧請される

55 貞観元 0859

このころ豊前国府域が大規模に整地され、築地塀・脇殿・門などの整った政庁が建てられる

417
418

56 延喜 0901

このころ惣社八幡神社(豊津町)が創建される

431
532

57 嘉保元 1094

還賢助成の経筒が等覚寺に納められた

58 天永元 1110

久保村霜田(勝山町)に僧信快が経筒を納めた

59 平治元 1159

宇佐公通、豊前守に任じられる

545
567

60 仁安 1166

このころ板井種遠が城井神楽城を本拠に京都・仲津・田川・築城各郡に勢力を広げ、豊前国府の田所・税所両職を兼任する

547

61 仁安 1166

このころ豊前国府が衰退する

62 文治3 1187

9

宇都宮信房、豊前国の地頭職となり、今井津より城井神楽城に入る(九月)

547
552
571

63 建久9 1198

武藤(少弐)資頼、豊前・筑前・肥前の守護となる

552
571
576
577

64 文永11 1274

豊前城井宇都宮一族ら文永の役に参戦する(防塁構築の豊前の分担は今宿青木付近三キロメートル)

553

65 弘安4 1281

元の再襲来で、宇都宮一族(宇都宮通房、野仲長季、山田氏、友枝氏など)も参戦する

66 弘安8 1285

岩門合戦後、宇都宮通房が肥後守護代となる

613

67 弘安9 1286

宇都宮通房、蒙古合戦の恩賞として上毛郡内の原井村・阿久封村(安曇村)が与えられる。また鎮西談議が設けられ、通房はその奉行(頭人)の一人に選ばれる

609
613

68 正応3 1290

宇都宮通房、豊前国佐田荘の地頭職となる

610

69 永仁3 1295

このころ宇都宮通房、筑後国守護をつとめる

614

70 永仁7 1299

このころ宇都宮通房沒し、子頼房が筑後国守護を継ぐ。さらに鎮西引付衆となる

614

71 正中元 1324

宇都宮頼房が本拠地を京都郡木井馬場から築上郡本庄に移す。

72 正中元 1324

天徳寺を造営し、永代の菩提所となす

73 元慶2(南)、元弘3(北)  1333

宇都宮守綱、鎮西探題攻略に豊前の武士を率いて参加する

555
626

74 建武元 1334

北条氏の残党規矩高政が帆柱山城に挙兵するが、少弐頼尚・大友貞載らがこれを討つ

629

75 建武元 1334

少弐頼尚、豊前国の守護となる

628

76 延元元(南)、建武3(北) 1336

宇都宮冬綱、尊氏につき九州討伐の軍をおこす

77 延元元(南)、建武3(北) 1336

仲津郡天雨田庄を尊氏が一色範氏へ与える

591

78 延元3(南)、暦応元(北) 1338

宇都宮冬綱、筑後国守護に復帰する

79 延元3(南)、暦応元(北) 1338

4

宇都宮隆房、南朝方として城井城に挙兵し、少弐頼尚がこれを討つ(四月)

80 興国元(南)、暦応3(北) 1340

新田義高、懐良親王にしたがって豊前国に下り、馬ケ岳城に入る(伝)

81 正平5(南)、観応元(北) 1350

大友氏泰が豊前国守護となる

641

82 正平5(南)、観応元(北) 1350

5

豊前国の南朝方新田・土岐ら挙兵(五月)

83 正平7(南)、文和元(北) 1352

大友氏時(氏泰弟)、豊前守護となる

84 正平7(南)、文和元(北) 1352

少弐頼尚、宮方に帰順し、宮方の豊前・筑前守護に任ぜられる

642

85 正平8(南)、文和2(北) 1353

宮方、この年以後、約二十年間大宰府を本拠に北部九州を制圧する

86 正平9(南)、文和3(北) 1354

宇都宮守綱(高房・冬綱)、大友氏時にかわり豊前国守護となる(年末)

641

87 正平10(南)、文和4(北) 1355

10

懐良親王、豊後日田・同国府・豊前宇佐・同城井・筑前植木を転戦し、博多へ入る(十月)

643

88 正平12(南)、延文2(北) 1357

少弐頼尚(宇佐弥勒寺宮領大野井庄の侵略などにより)、征西府(宮方)より豊前守護を解任され、五条良遠が国司として派遣される

556
592

89 正平14(南)、延文4(北) 1359

宇都宮守綱、筑後川の戦いに少弐頼尚方として参加する

645

90 正平14(南)、延文4(北) 1359

豊前守護代西郷顕景が戦死する。宮方宇都宮隆房も討死する

645

91 正平19(南)、貞治3(北) 1364

菊池武光、馬ケ岳城の厚東義統(宮方)を救援し、大内弘世(前年より幕府方)・門司親尚・麻生氏らを破り、門司城を抜いて長門に入る。大内弘世は山口へ

464

92 正平22(南)、貞治6(北) 1367

2

宮方(懐良親王・菊池・島津・松浦・原田・秋月・厚東各氏)と幕府方(大内・大友・門司各氏)が関門で海戦をおこない、宮方が破れ、菊池氏は香春岳城、厚東氏は苅田城に入る(二月)

93 文中3(南)、応安7(北) 1374

宇都宮守綱、豊前城井高畑城に宮方として挙兵了俊が弟氏兼らにより鎮圧する(城井合戦)

650

94 文中3(南)、応安7(北) 1374

大内義弘、豊前国守護となる

654

95 天授元(南)、永和元(北) 1375

12

大内義弘、了俊に応じて豊後より豊前に進む(十二月)

653

96 元中9(南)、明徳3(北) 1392

大内義弘、このころ豊前・周防・長門・石見・和泉・紀伊の守護

97 応永6 1399

少弐貞頼、この年に豊前国守護となる

659

98 応永10 1403

7

大内盛見、豊前国守護となる(七月)

659

99 応永30 1423

大内盛見、宇佐行幸会を復活する

100 永享3 1431

6

大内盛見、一揆鎮定のため九州に下り、筑前萩原で戦死し(六月)、この年より豊前は大友持直の所領となる

661