下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ

下松市史 通史編
年表一覧
年表1   年表2
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 縄文期 0000

城山や上地から縄文土器出土。

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2 弥生期前期 0000

宮原遺跡、溝状遺構にかこまれて土壙四四基、壺棺一基、住居跡から多くの土器、石器。炭化籾などが出土。

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3 弥生中期 0000

上地遺跡から周防系の土器出土。

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4 弥生後期 0000

尾尻遺跡、溝状遺構の中から複合口縁などの土器出土。

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5 弥生後期 0000

宮原遺跡で隅丸方形や円形の竪穴住居跡八棟、壺や甕・鉢・器台などの土器出土。

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6 古墳期前半期 0000

荒神山・山根から箱式石棺群発掘。

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7 古墳期前半期 0000

天王森古墳、前方後円墳、内部箱式石棺、馬具や須恵器を副葬。

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8 古墳期前半期 0000

宮ノ洲古墳、副葬品銅鏡三面、一八〇二年発掘。

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9 古墳期後期 0000

宮原遺跡、土壙から木棺、鉄釘、土師器、須恵器出土。

10 仁徳期(五世紀) 0000

難波高津朝、男嶋足尼を都怒国造に定める(国造本紀)。

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11 雄略9 0000

征討新羅将軍の一人、小鹿火宿袮が帰途角国に留り、角臣と名乗る(日本書紀)。

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12 欽明朝 0540

松尾八幡宮、山城国松尾神社より勧請し、さらに八五七年(天安元)八月宇佐八幡宮より勧請して合祀したと伝える(生野屋松尾八幡宮由緒)。

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13 欽明28 0567

全国的に大水、人々飢え、租・調・庸を免除(山口県史略)。

14 推古朝 0593

青柳浦の古川縄手の大松に大星が降って七日七夜赫々たる光を放った。巫に神がかりして異朝の太子の来朝を告げたと伝える(大内譜牒、鷲頭山旧記)。

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15 推古朝 0593

百済の琳聖太子が宮ノ洲の桂木山に持参の妙見尊星王を祀り、自ら星祭りを行ったと伝える(鷲頭山旧記)。

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16 推古朝 0593

高鹿垣の嶺に星宮(上宮)を建立、北斗七曜石を納めたと伝える(鷲頭山旧記)。

17 大化2 0646

改新の詔が発せられた(日本書紀)。その後、周防の国府を佐波郡に定め、大島・熊毛・都濃・佐波・吉敷の五(評)郡を管した。里は五〇戸を定制とし、都濃郡は久米・都濃・富田・生屋・平野の五里となる。

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18 大化2 0646

廐生屋駅家駅馬二〇疋(廐牧令)。

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19 天武10 0681

周芳国赤亀を献ず。この前後に都濃評成立。

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20 天武14 0685

周防総領所に儲用鉄一万斤を送る(日本書紀)。

21 持統4 0690

元嘉暦と儀鳳暦を行う(日本書紀)。

22 文武元 0697

周防国等飢え、租税免除(続日本紀)。

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23 文武4 0700

直広参波多朝臣牟後閇(ムコベ)を周防総領に任ず(続日本紀)。

24 大宝元 0701

大宝律令を施行、是年周防、長門蝗害、大風あり(続日本紀)。

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25 慶雲元 0704

周防国大風秋稼を損う(続日本紀)。

26 慶雲元 0704

周防国白亀を献ずる(扶桑略記)。

27 慶雲3 0706

周防国守従七位下引田朝臣秋庭等白鹿を献上(続日本紀)。

28 和銅2 0709

大内正恒、高鹿垣山に上宮を建立してこれを「北辰妙見社」と称したと伝える。

29 和銅2 0709

花岡八幡宮、宇佐八幡宮より勧請と伝える(寺社由来、花岡八幡宮由緒書)。

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30 和銅3 0710

切山八幡宮、宇佐八幡宮から勧請創建したと伝える(山口県神社誌)。

31 霊亀元 0715

行政上の里を郷と改め、都濃郡は五郷となる(和名類聚抄)。

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32 養老5 0721

熊毛郡を分けて玖珂郡を設置、周防国を六郡とする。

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33 天平元 0729

山陽道諸国の駅家を造るため、駅起の稲五万束をあてる(続日本紀)。

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34 天平6 0734

大竹川を周防、安芸両国の国境とする(続日本紀)。

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35 天平7 0735

痘瘡流行、行基が平癒を祈って諸国に仏像を建立したという。日尾山日天寺本尊如意輪観世音菩薩の尊像はこの時期の作(七二四年聖武天皇の守護仏として作る)と伝える。

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36 天平10 0738

勅により周防国の正税穀八三七斛(石)を高齢鰥寡孤独廃疾者など三二七二人に賑給する。

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37 天平10 0738

周防国の史生大初位上奏連国麻呂、周防国正税帳を作る。

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38 天平12 0740

藤原広嗣反し筑前に挙兵、大野東人五道の徴兵をもって征討(続日本紀)。

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39 天平宝字7 0763

山陽・南海道諸国旱魃不作、両道の節度使を停める。

40 宝亀10 0779

周防国周防郡の人、従五位上周防凡直葦原の賤男公、他戸皇子と称して民衆を誑惑し、伊豆国に配流(続日本紀)。

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41 延暦4 0785

周防国の飢饉と疫病に対して賑給する(続日本紀)。

42 延暦11 0792

諸国の健児を選ぶ。周防三〇人、長門五〇人(類聚三代格)。

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43 延暦14 0795

茨田親王に周防国の田一〇〇町、山八〇〇町賜う(日本紀略)。

44 延暦18 0799

不作につき私稲の出挙を許し利息を三割とする(日本後紀)。

45 延暦21 0803

周防・長門等三一力国、損田百姓の租税徴収を免除(類聚国史)。

46 大同元 0806

備後・安芸・周防・長門等の駅館は、瓦葺きにし、農閑期に修理をする(日本後紀)。

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47 大同元 0806

山陽道諸国の新任国司は海路によって任国に赴かせる(類聚三代格)。

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48 大同元 0806

周防・備後・安芸三国の田租、六カ年間四割を免ずる(類聚国史)。

49 大同3 0808

飢疫のため全国の調を免ず(日本後紀)。

50 弘仁11 0820

稲の収穫見積一町当たり上田五〇〇束、中田四〇〇束、下田三〇〇束、下下田一五〇束の定(弘仁主税式)。

51 天長4 0827

大内茂村が大内県の氷上山に北辰尊星を勧請と伝える(妙見縁起)。

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52 天長10 0833

諸国飢疫、賑給(続日本後紀)。

53 承和10 0843

周防等一八力国飢饉、賑給(続日本後紀)。

54 天安元 0857

深浦八幡宮、宇佐八幡宮より勧請と伝える(山口県神社誌)。

55 貞観年間 0859

米川神社、出雲国飯石郡より勧請と伝える。

56 貞観4 0862

5

周防・長門等山陽・南海一三力国に下知し、海賊を追捕させる(日本三代実録)。

57 貞観6 0864

11

畿内、山陽、南海の諸国に令して、疫病鎮静のため般若大乗経を転読させる(三代実録)。

58 元慶7 0883

2

諸国の稲を割いて、東寺造塔料に充てる。周防国五百斛(日本三代実録)。

59 延長5 0927

周防国駅家、石国・野口・周防・生屋・平野勝間・八千・賀宝・各馬二〇匹(延喜式)。

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60 長元2 1029

妙見社縁起が神主一五世藤原友益によって謹写されたという(鷲頭山旧記)。

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61 永承年間 1050

青柳浦に豊後国から交易船がきて、干魚と塩の交換をしたという(安養寺書摂津記)。

62 天喜5 1057

藤原康基が周防国鷲頭庄を寺領として寄進し、蓮華寺を建立したという、周防堂(仁和寺)(五智山蓮華寺略史)。

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63 保延3~4 1137

釈蓮禅、笠戸泊着一吟(本朝無題詩)。

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64 応保2 1162

このころ、末武、千代次保は石清水八幡宮、遠石別宮の社領となった。

65 長寛2 1164

後白河法皇、鷲頭庄の一部を蓮華王院領とする。この頃切山保から蓮華王院(三十三間堂)の棟木を寄進したという。

66 治承2 1178

10

多々良盛保等同族四人の流謫を免じ周防に召還する。

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67 養和2 1182

多々良盛房、この頃から大内を姓とし大内介と称す。

68 元暦元 1184

11

末武荘住人内藤六盛家、平家に味方し、遠石荘にて源範頼軍に抵抗する(吾妻鏡)。

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69 元暦2 1185

3

大島の津にいる源義経に周防国舟船奉行船所五郎正利、兵船数十艘を献ずる。

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70 元暦2 1185

3

源・平壇浦に戦い、平家滅ぶ。周防介大内盛房、弘盛等、志を源義経に通じて笠戸の浦の要所に拠る(平家物語)。

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71 文治2 1186

3

周防国を東大寺造営料所にあて、俊乗坊重源をして国務を管理せしむ(玉葉)。

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72 文治3 1187

3

都濃郡得善・末武の地頭筑前太郎家重等官庫の納米を押取するなど不当の所業があり、重源これを公家に訴う。

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73 文治3 1187

3

源頼朝周防の地頭等に東大寺造営用材引夫の徴発を妨げず、精励すべきを命ず。

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74 建久元 1190

内藤六盛家石清水八幡宮領たる得善保・末武保の押領を企て、遠石庄の別宮に乱入し、神人友国を刃傷、六月院宣をもって押妨違乱を停止さす(吾妻鏡)。

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75 正治2 1200

11

重源阿弥陀寺用料田畠二五町九段を定め、不輸租地として諸公事を免除す。末武一丁、猿振里。

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76 建仁元 1201

鷲頭山上の妙見社を大内満盛が再建する(鷲頭山旧記)。

77 元久元 1204

1

石清水八幡宮別当道清、遠石別宮等の庄園の相伝と諸人の乱妨停止を請う。

78 承元3 1209

周防国、法勝寺九重塔造営料国となる(愚管抄)。

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79 寛喜3 1231

4

周防国再度東大寺造営料国となり、大勧進行勇国務を管理する(東大寺文書)。

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80 寛喜3 1231

7

天下大飢饉死者多し(山口県災害異誌)。

81 建長6 1254

4

院宣をもって、周防国得善保地頭職の神領狼藉の訴を裁かせる。幕府地頭をやめ、国領、私領の裁審を朝廷にまかす。

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82 永仁2 1294

7

幕府、長門探題北条直政に令し、周防諸郷保地頭等の乱妨を停め、国衙の命に従わせる(東大寺文書)。

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83 正安2 1300

この頃、鷲頭庄は仁和寺周防堂の所領となるか(仁和寺諸院家記)。

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84 正和4 1315

1

切山八幡宮へ真穽房聖厳が大般若波羅密多教六〇〇巻を書写、奉納する(切山八幡宮所蔵)。

85 元亨2 1322

7

都濃郡末武庄香力浜のうち荒野二町を開発して、久米慈福寺領とする(徳山藩史)。

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86 正中2 1325

12

周防法華寺免田坪付帳に切山保がある。

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87 元弘
建武
1331

鷲頭豊前守長弘、大内家の長老として忠勤を励み、後に尊氏に属して周防の守護となり、一族皆北朝なりと記す(梅松論)。

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88 建武3
延元元
1336

足利尊氏、直家摂津に敗れ、大内、厚東の兵船にて西奔する。周防大将大島兵庫義政、守護大内豊前守長弘、長門大将斯波高経、守護厚東武実と定める(大内氏実録)。

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89 建武3
延元元
1336

4

尊氏攻上り、周防国笠戸浦着陣(南方紀伝)。

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90 暦応2
延元4
1339

この頃、鷲頭氏豊前守長弘の勢威盛んで宗家大内氏をしのぐ。鷲頭庄、山田、久保市、来巻、河内、大河内、東豊井、西豊井、生野屋、末武の汎称(防長地名渕鑑)。

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91 観応2
正平6
1351

是年、大内弘世、常陸親王を山口に迎え、南朝方となり、周防・長門・石見守護となる。

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92 観応2
正平6
1351

7

防長南海岸一帯台風、高潮来襲(防長歴史暦、東大寺記録)。

93 観応3
正平7
1352

2

大内弘世、鷲頭庄に攻め入り、白坂山に至り、北朝方散位鷲頭貞弘(長弘の三男)、内藤肥後彦太郎、藤時等と戦う。二十日また戦う。

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94 観応3
正平7
1352

閏2

大内弘世と鷲頭貞弘、高志垣に戦う。一九日熊毛郡新屋真尾に戦い、内藤藤時の弟新三郎盛清戦死、三月二十七、八日また同所で戦う。

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95 観応3
正平7
1352

4

大内弘世、鷲頭散位貞弘を白坂山に攻め二十九日に至る。

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96 観応3
正平7
1352

8

大内弘世また鷲頭貞弘を討つ、鷲頭弘直(長弘の二男民部大輔周防守護)大内弘世に降り、鷲頭美作守康弘(長弘の長男但馬権守弘員の子)下松で自害。

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97 文和4
正平10
1355

大内弘世が下松妙見社に七坊(中坊、宮の坊、宝樹坊、宝積坊、宝蔵坊、宝泉坊、別当閼伽井坊)を建立し、また下宮を赤坂の地に建立したと伝える(大下松大観)。

98 応安4
建徳2
1371

末武下正福寺が神上神社(徳山市川上)の社坊として創建された。

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99 応安4
建徳2
1371

妙見社の仁王像の裏面に下松正福寺鎮守堂の仁王獅子形像なりと書かれてあったと伝える(元禄十四年修補の時発見、増補周防記)。

100 応安4
建徳2
1371

9

今川了俊(貞世)の「道ゆきぶり」に「くだ松」の名が見える。

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