中津川市/古文献アーカイブ

福岡町史 通史編 下巻(第五部 近世)
年表一覧
年表1   年表2
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 慶長9 1604

下野村良雪山法界寺開基、雲林寺三世一秀玄広和尚(法界庵)。中山道十三峠の道を開き大井宿を移す。駒場宿を廃して中津川宿に移す。

2 慶長10 1605

1

遠山友政、永不作田畑開発定書を出す。

3 慶長12 1607

苗木藩、民政の整備を行い村支配の確立をはかる。この頃より庄屋出来るか?

4 慶長13 1608

五人組の制令を発す。

5 慶長15 1610

8

慶長検地行われる(暦止禄)。友政、駿府城本丸用材搬出申付けられる(友政造営奉行、福岡・田瀬村より桧三〇〇〇〇本伐出す)。棚橋八兵衛家老となる。田瀬村をはじめ石盛定がでる。

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6 慶長17 1612

田瀬村駿府城御用木(桧板木・角物)を出す。

7 慶長19 1614

5

遠山友政、福岡村天王宮を創建し。

8 慶長19 1614

9

苗木に菩提寺雲林寺を創建。

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9 慶長19 1614

12

大坂冬の陣に友政桑名城守衛。

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10 元和元 1615

大坂夏の陣に友政出陣(福岡村より部下一名出役)。裏木曽三か村(加子母・付知・川上)尾張領となる。

11 元和5 1619

高山村岩松寺開く。遠山友政一二月一九日卒す。

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12 元和6 1620

5

遠山秀友遺領を継ぐ。

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13 元和7 1621

田瀬日枯山を商人山とする。

14 元和7 1621

この頃正か脇新田を田瀬村孫七が開発す。

15 元和8 1622

福岡村に山伏寺建つ(古田彦一郎により後の雲台寺)

16 寛永3 1626

横川橋について付知村と論争。

17 寛永4 1627

尾張領付知村と田瀬村山論争発生。田瀬日枯山付知村の所有領となる。市王子・八王子を南宮の森に移す

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18 寛永12 1635

参勤交代制を定める。

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19 寛永13 1636

苗木藩国役堤普請(人足三七八八人)。

20 寛永14 1637

苗木藩江戸本丸奥間御普請手伝。

21 寛永17 1640

美濃国宿駅助郷の制定まる。

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22 寛永18 1641

寛永の飢饉(近村の餓死者、加子母七〇余・付知九〇余・田瀬五〇余人と伝う)。

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23 寛永19 1642

1

一月秀友卒し、五月友貞が遺領を継ぐ。

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24 寛永19 1642

大飢饉つづき、金一分に米一斗八升・麦四斗替で死者出る。年貢未納田を没収追放(幕府)。

25 正保元 1644

苗木藩郷帳、国絵図成る。田瀬村二九五石・下野村三六七石一斗・福岡村七三九石・鷹山村三四〇石。

26 正保3 1646

景気よく金一分に米一石五升~一石八升・麦三石二斗となる。

27 正保4 1647

田瀬釜淵井普請はじめる。

28 慶安元 1648

領内で最初の宗門改めを行う。苗木藩「萬仕置法度書」出す。

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29 慶安2 1649

2

慶安の御触書が公布される。

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30 慶安2 1649

福岡崇福山片岡寺創基、第一世周嶽玄豊和尚(慶安三年説あり)。

31 慶安3 1650

苗木藩罪人に新田開発をさせる。

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32 承応元 1652

高山村の久右衛門、鷹の巣の巣違いで罪に間われる処、五か村と坂下庄屋達の連名嘆願で処罰を免かれ、上田村の開拓地に送られ労役に服す。

33 承応2 1653

商人札一枚につき一分を課す。田瀬村竹にぢねんごつく。山伏院を合せ福岡村に雲台寺を創立(開山上人春清参州足助の産)。

34 承応3 1654

田瀬・下野・上野村にて樋の囗橋架かる。

35 明暦元 1655

大萓再び新田開発、次いで大萱・土場・樋の口西の地東の地、万治より寛文初めに開発される。

36 明暦3 1657

1

苗木藩軍役人数積帳を作成。

37 万治2 1659

3

友貞、領内巡見を行う。

38 万治2 1659

10

苗木藩領内紙草(楮)を改める。

39 寛文元 1661

下野村法界寺浄土宗を改宗する(臨済宗)。

40 寛文2 1662

3

付知村宗敦寺和尚の隠居寺として田瀬村に桃岳山曹源寺を創建

41 寛文2 1662

京都方広寺の大仏で文銭鋳造。

42 寛文3 1663

東濃地方大旱魃。

43 寛文4 1664

宗門改めはじまる。

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44 寛文5 1665

8

三〇日余の長雨で各河川大洪水となり、領内水損をうける。

45 寛文5 1665

下野村田代組元右衛門、斬首に処せられる。尾張藩木曽川に錦織役所を設ける。

46 寛文7 1667

3

友貞、代官手当をこの年より切米支給とする。

47 寛文7 1667

6

幕府巡見領内通行。

48 寛文7 1667

10

農村五人組制度定める。

49 寛文8 1668

幕府農民に倹約令を出す。

50 寛文9 1669

大萱の芝山につき下野村と田瀬村と論争(四月)。四月以来下野村・田瀬村・福岡村で山論。江戸桝を京桝に統一。

51 寛文10 1670

上納年貢紙割付、上納一石に紙六帖半。

52 延宝元 1673

高山村に郷倉建つ(後藤庄屋宅付近)。友貞駿府御番につき福岡村より六人出役。四月降雹によりこの年不作。

53 延宝2 1674

宿場救済のため人馬賃銭引上げる。

54 延宝3 1675

5

五月友貞卒し、七月友春遺領相続。延宝の凶作(二月から八月まで雨降り続き低温気象のため麦作皆無、翌年まで続く)。

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55 延宝7 1679

天然痘流行(翌年までの近村の死者、付知村一五四人・加子母村二〇〇余人)、三年余続く。

56 延宝8 1680

2

二月梅花咲く、この年大飢饉(福岡村で餓死者五人)。一〇月下旬降雪厳寒、常緑樹の葉まで枯れる。

57 延宝8 1680

4

降雹により麦不作。

58 延宝8 1680

6

友春、鳥羽城請取・在番勤役。

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59 延宝8 1680

11

彗星出現。

60 天和元 1681

2

東濃地震。

61 天和元 1681

5

中旬

五月中旬より三〇余日東濃一帯に降灰、秋作不良飢饉となる。

62 天和元 1681

5

東濃地震。

63 天和元 1681

6

幕府巡見使領内通行、田瀬村にて昼食。

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64 貞享元 1684

高山村の家数六九軒となる。

65 貞享2 1685

景気良し、金一分につき米四斗・山伏米七斗となる。田瀬南宮社拝殿造営。

66 貞享3 1686

田瀬村、下野村と山論争起きる。

67 元禄元 1688

田瀬村熊野権現・白山権現社建立。苗木領内寺院の大部分雲林寺の末寺となる。京の清水より薬師三尊を迎え栗本霊泉地に安置し祀る。

68 元禄2 1689

7

新兵衛・新四郎事件発生。

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69 元禄2 1689

高山村で初めて宗門改め行われる。田瀬村桃岳山曹源寺取りつぶし(田瀬村信徒、雲林寺壇家となる)。大萱山・柏原山について下野村と山境論争。

70 元禄5 1692

5

寺院の新建立禁止。

71 元禄7 1694

福岡村大助郷仰せつかる(苗木領一一か村)。

72 元禄9 1696

幕府諸藩に命じ国絵図を改作せしむ。

73 元禄10 1697

苗木藩領内へ葺板を割当てる。第三次酒造株改めをし、酒屋に酒価の五割の運上金を課す。

74 元禄11 1698

9

遠山友春、芝増上寺火消し方拝命。

75 元禄13 1700

7

一応禅味栗本に薬師堂を建てる。

76 元禄13 1700

元禄七年田瀬村の勧請した十一面観世音菩薩堂を再建。北方苗木藩村々庄屋たち勤向に付起請文提出。一月より四月下旬まで霖雨多く春作不良、村々河川大洪水。

77 元禄14 1701

付知川大洪水、嶋田・芝ヶ瀬田地欠損、代官の見分あり。

78 元禄15 1702

6

友春岩村城請取、岩村城主丹羽氏音所領を削られ越後へ転封。

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79 元禄15 1702

乗紀藩校学舎を興し知新館と称す。

80 宝永2 1705

田瀬坊主小屋より奈良大仏櫻木出る。伊勢神宮「お陰参り」流行。越前南条郡府中上市町鍛冶屋喜兵衛が弟子三人連れ冬期農具修繕に来村。田瀬村直路山払下げとなる。幕府諸藩の藩札を調査す。暴風雨、大木家屋倒れる。

81 宝永3 1706

大萱お立山払下げとなる。

82 宝永4 1707

10

4

一〇月四日ハッ下刻(后二時)大地震あり、一二月迄に三三度揺れる。富士山南面大爆発。藩札の発行を禁止し諸藩に年貢の先納・田畑の質入を禁止させる。高山村高嶽山岩松寺建立。

83 宝永5 1708

直路山につき田瀬村と上野村山論争起きる。閏一月宝永通宝(十文銭)発行される。

84 宝永7 1710

5

幕府巡見使ら八八人、田瀬村で休憩す。

85 宝永7 1710

大萱山につき田瀬村・福岡村で境界立会す。

86 正徳2 1712

遠山友春隠居し、友由家督相続。

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87 正徳3 1713

7

洪水にて付知川筋被害多し。

88 正徳3 1713

領内村々へ鷹狩の鷹餌小鳥を割付けられる。遠山伊予守大坂加番、仲間伴として福岡村より七人従がう(一人死亡)。

89 正徳4 1714

12

大地震。

90 享保元 1716

3

飛騨より御金荷田瀬村を通過する。

91 享保元 1716

7

大洪水、苗木領水損検地。

92 享保元 1716

竹にぢねんごが着く(一人で二斗~七・八斗採る)。新地開墾令により田瀬村伊達洞新田開発す。

93 享保2 1717

幕府御巡見使田瀬村に宿泊す。高山村三十三観音刻み初められる(高遠石工)。

94 享保3 1718

3

樫原新田開発はじまるか?。

95 享保3 1718

領内助郷村の加助郷(伝馬銭割賦)制度はじまる。田瀬村八瀬尾・矢平・蛇木谷新田開発。広恵寺堤・山之田堤修復。

96 享保4 1719

7

友由大坂御番に付、福岡村より足軽二人・中間六人・家中共二人出役。

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97 享保6 1721

裏木曽三ヶ村、ひのき・さわら・くさまき・あすひ・ねず・けやき六種停止木となる。苗木藩「百姓衣類定書」を出し農民の日常生活をきびしく統制する。幕府はじめて諸藩に命じ人口を調査せしむ。

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98 享保7 1722

四月友由卒し、六月友将遺領を継ぐ。友将叔父左兵衛より五〇〇石分知、高一万二一石五斗二升となる。

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99 享保8 1723

苗木藩御家御条目を交付し家中領民の生活を規制する。苗木高森山の氷餅屋が二ッ森に移される、道人足一八四人・井戸掘二〇人。

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100 享保9 1724

9

田瀬宮脇に巣山、田瀬小屋に野立許さる。