多摩市立図書館/多摩市デジタルアーカイブ

年表一覧
年表1   年表2

西暦    :       ~               
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 慶応4=明治元 1868

1

15

連光寺村に薩摩藩士の罪状を記した触書が掲げられる

p21

2 慶応4=明治元 1868

4

官軍の兵粮米と諸経費の提出を命じられる

p5

3 慶応4=明治元 1868

5

2

旧幕府脱走諸隊の振武軍から軍用金の提出を命じられる

p27

4 慶応4=明治元 1868

5

日野宿組合44か村で、治安維持のための議定書を取り決める

p25

5 慶応4=明治元 1868

この年、市域各村が神奈川県に編入される

6 明治2 1869

4

落合村白山神社と別当東福寺の分離願が出される

p55

7 明治2 1869

9

落合村の紛争が寄場名主から神奈川県に報告される

p39

8 明治3 1870

12

この頃までに日野宿組合の新たな村役人が決まる

p34

9 明治4 1871

2

和田村で村入用をめぐり、名主と一般農民との間で紛争が起きる

p39

10 明治4 1871

2

富沢政恕、日野宿組合での郷学校設立を計画

p45

11 明治4 1871

4

17

向ケ岡勧学所が日野宿組合内に開設される

p46

12 明治4 1871

6

17

戸籍法(4.4制定)施行により寄場組合が廃され、神奈川県下は64の戸籍区に分けられる。現多摩市域の村々は神奈川県第32区に属す

p35

13 明治4 1871

7

4

郷社定則布告により小野神社が32区の郷社となる

p62

14 明治5 1872

2

1

玉川向岡郷学校(向ケ岡学校)が連光寺村に開校

p49

15 明治5 1872

4

第32区内を浅川を挟んで南北に分割することを、区戸長らが県に願い出る

p67

16 明治5 1872

6

15

連光寺村で壬申地券交付のための下調べが始まる

p86

17 明治5 1872

8

3

学制頒布(多摩市域は第1大学区の第8中学区に属す)

p108

18 明治6 1873

5

1

区・番組制が実施され、多摩市域の村々は第8区9番組(和田村のみ7番組)に所属する

p69

19 明治6 1873

5

4

生蘭学舎が大塚村清鏡寺に開校。以後5月中に陶民学舎(関戸村観音寺)、潤徳学校(三沢村医王寺)、処仁学舎(落合村川井順蔵宅)が誕生

p6
p109
p115

20 明治6 1873

5

13

寺方村で「村役人撰議定連印書」が作成され、戸長の入札(投票)が行われる

p72

21 明治6 1873

8

9

小野路村で第8区の番組戸長の入札が行われる

p72

22 明治6 1873

11

一ノ宮村の渡船・架橋権をめぐり、新規参入の関戸村と一ノ宮村及び一ノ宮村付多摩川渡船場維持組合「加組」村々との間に訴訟事件がおこる(~1874. 2落着)

p99

23 明治7 1874

1

神奈川駅~八王子駅間馬車道新設が達せられる(連光寺、関戸、一ノ宮、寺方村を通過予定)

p103

24 明治7 1874

3

一ノ宮村の渡船・架橋権の確認が「加組」の村々の間で行われる(24村連印)

p100

25 明治7 1874

5

19

関戸村が新規渡船免許願いを出したため、一ノ宮村は県に苦情を申し立てる

p101

26 明治7 1874

6

14

大小区制の実施。多摩市域の村々は第8大区8小区(和田村のみ6小区)に属す

p109

27 明治7 1874

7

13

連光寺村で代議人の入札が行われる

p75

28 明治7 1874

8

関戸村、渡船運営を許可される

p102

29 明治7 1874

11

11

神奈川県より第8大区8小区が渡船場を関戸村に設置することが許可される

p101

30 明治7 1874

12

21

富沢政恕と大丸村の早川周助が、第8大区の馬車道新築掛に任命される

p104

31 明治7 1874

この年、乞田村が陶民学舎から分離し、落合村の処仁学舎へ合併

p114

32 明治8 1875

2

馬車道新築説諭書及び新築会所規則に対し、連光寺村が馬車道新築掛に請書を提出する

p105

33 明治8 1875

8

10

暴風雨、落合村に死者4人

34 明治8 1875

8

25

向岡学校が連光寺村高西寺に新設される

p111

35 明治8 1875

11

寺方村と落合村が地価調査の結果を県に報告

p91

36 明治8 1875

この年、大規模な字地の整理・統合が行われる

p89

37 明治8 1875

この年、一ノ宮村が陶民学校から分離し、潤徳学校へ合併。処仁学校が乞田村吉祥院に移る

38 明治9 1876

5

地租改正につき、田・畑、山林、宅地の等級を取り決める

p91

39 明治9 1876

9

2

8小区の各村立会のうえ、連光寺村の田畑等級の調査が行われる

p91

40 明治9 1876

11

潤徳学校分校(落川村)区域の落川村・百草村・一ノ宮村が、独自に昭景学校を落川村真照寺に設立

41 明治10 1877

10

第8大区で総代人兼小区会議員が選ばれる

p76

42 明治11 1878

7

13

関戸・寺方・貝取・乞田・落合5か村連合は、長養学校校舎新設の誓約書をとりかわす

p170

43 明治11 1878

7

~8月 連光寺・一ノ宮・落合各村で地位等級が確定する

p93

44 明治11 1878

11

17

郡区町村編制法により、神奈川県管轄の多摩郡は西・南・北の3郡に分割される。多摩市域の村々は南多摩郡に属す

p127

45 明治12 1879

2

7

区画改正により関戸村・寺方村・乞田村・貝取村4か村が合併(1882年内までに関戸村と東寺方村、乞田村と貝取村との合併に、区画が再編成される)

46 明治12 1879

3

11

連光寺村下川原の分村分離要求につき示談が成立

p173

47 明治12 1879

3

31

旧第8・9大区内の同名村を改称する。寺方村は東寺方村と改称される

p128

48 明治12 1879

4

皇国地誌が編さんされる(連光寺・東寺方・落合・一之宮・和田・乞田・関戸・貝取各村誌)

49 明治12 1879

7

9

連光寺村会が高西寺内向岡学校を仮議場として開設される。同時期、和田村会も成立する

p132

50 明治12 1879

7

9

神奈川県は神奈川駅~八王子駅間馬車道新設計画を取消す

p107

51 明治13 1880

2

23

連光寺村小形清左衛門を社長とする金員貸付会社「広融会社」が創業願を提出、申合規則を確定する

p155

52 明治13 1880

4

26

神奈川県令より広融会社営業許可が出される

53 明治13 1880

10

30

小野神社、神奈川県から社格状(明治6年12月付)を付与され、郷社の社格が確定する

p62

54 明治13 1880

この年、一ノ宮村渡船場が新設される

p102

55 明治14 1881

2

20

明治天皇、連光寺村に巡幸し、兎狩り。富沢政恕方で小休する

p515

56 明治14 1881

6

2

天皇、連光寺村に巡幸。関戸河原で鮎猟を見る

p160

57 明治14 1881

9

21

博愛社懇親会が堀之内村保井寺で開催される。和田村から柚木芳三郎と石坂戸一郎が参加

p140

58 明治14 1881

10

17

和田村高蔵院で民権結社「博愛社」社員の初会合が行われる。和田村の柚木芳三郎が参加

p140

59 明治14 1881

この年、貝取村の歌人麦花が「麦花塚」を建立

p189

60 明治14 1881

この年から翌年にかけ、長養学校解体

p172

61 明治15 1882

2

15

明治天皇、連光寺村に巡幸し、兎狩り。富沢政恕方で小休する

p162

62 明治15 1882

2

28

連光寺村の山野が天皇の「御遊猟場」に指定される

p162

63 明治15 1882

3

連光寺村、乞田村、貝取村、黒川村、坂浜村、百村、大丸村の7か村が御遊猟場区域となる。続いて(3.18)一ノ宮村、関戸村、東長沼村の飛地も御遊猟場に編入される

p162

64 明治15 1882

10

多摩川、浅川が氾濫

65 明治15 1882

10

18

-21日 明治天皇から御猟場に下賜された鹿2頭が遁走するも無事捕獲する

66 明治15 1882

11

3

連光寺村向岡学校の新築開校式が行われる

p118

67 明治15 1882

12

9

落合・乞田・貝取3か村による処仁学校が、乞田村吉祥院に新築・開校

p171

68 明治16 1883

1

富沢政恕、花の本神社奉詠桜花歌碑を建立

p189

69 明治16 1883

2

24

柚木芳三郎(和田)、伊野銀蔵(東寺方)の自由党入党が自由新聞紙上に発表される

70 明治16 1883

7

6

「連光寺村御猟場」と名称を定める

p164

71 明治16 1883

7

伊野菊次郎(東寺方)が自由党に加盟

p143

72 明治16 1883

12

27

連光寺村御猟場規則が定められる

p164

73 明治17 1884

3

29

明治天皇、連光寺村御猟場で兎狩り。富沢政恕方で小休する

p168

74 明治17 1884

3

伊野銀蔵(東寺方)の門人子弟19人、高幡不動へ和算額を奉納する

p196

75 明治17 1884

7

12

8か村の戸長役場が関戸に設置され、事務引継が行われる

p7

76 明治17 1884

9

4

神奈川県、学区域を拡張。多摩市域など落川村外16か村の関係7校は一つの学区とされる

p175

77 明治17 1884

9

一ノ宮村の負債額(510円弱)は南多摩郡内で最高

p147

78 明治17 1884

12

多摩市域周辺各村で「倹約議定」が相次ぐ

p149

79 明治18 1885

1

武相困民党指導者と目されて、落合村の須藤藤太郎が逮捕されている

80 明治18 1885

7

1

富沢政恕が、連光寺村御猟場監守長に任命される

p164

81 明治18 1885

9

22

皇后(昭憲皇太后)、連光寺村川原で多摩川の鮎猟を見る

p168

82 明治18 1885

この年、石阪昌孝他45名連名で地租軽減請願書を提出(多摩市域の村々を含む)

83 明治19 1886

4

24

神奈川県勧業課から関戸外8か村の勧業委員石坂戸一郎に対し、蚕糸業者の南多摩蚕糸業組合への加盟を通達する

p153

84 明治19 1886

5

15

増島仲蔵(百草)・柚木芳三郎(和田)、大阪事件の被告へ義捐金を寄付

85 明治20 1887

12

南多摩郡の目籠仲買商人が東組と西組とに勢力分割する(多摩村は東組)

86 明治21 1888

2

13

関戸村観音寺を仮設交番とし、高橋弥吉巡査が巡視を開始

p219

87 明治21 1888

3

向岡に競馬場(桜馬場)が完成(1910.廃止)

p224

88 明治21 1888

9

16

宮内大臣、主猟局長官、お雇外国人「モール」が多摩村で鮎漁を行う

p220

89 明治22 1889

1

落合と上乞田に青年会が設立される(南多摩郡で初)

p352

90 明治22 1889

4

1

市制・町村制施行により、8か村(関戸村・連光寺村・貝取村・乞田村・落合村・和田村・東寺方村・一ノ宮村)及び2飛地(百草村飛地・落川村飛地)が合併して多摩村となる(戸数553、議員数12)

p8

91 明治22 1889

4

3

向岡小学校で憲法発布、町村制施行、小学生試験終了をあわせた祝賀会が開催される

p207

92 明治22 1889

4

25

最初の村会議員選挙が東寺方寿徳寺で行われる

p207

93 明治22 1889

6

24

初代村長に富沢政賢、助役に真藤竜蔵が就任

p209

94 明治22 1889

7

12

初代収入役に小川平吉が就任

p209

95 明治22 1889

10

多摩村でも地価修正運動始まる

p229

96 明治23 1890

3

15

旧村名が大字として残される

p206

97 明治23 1890

8

多摩川の大洪水あり

98 明治23 1890

9

1

コレラ流行により村内全区に臨時衛生組合を設置

p221

99 明治23 1890

9

14

各大字に区会が設置される

p216

100 明治23 1890

11

29

第1回帝国議会開会、自由党左派からの依頼で富沢政恕や政賢が傍聴に行く

p229