守谷中央図書館/わたしたちの守谷市

年表一覧
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西暦    :       ~               
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 BC二、〇〇〇 0000

遺跡数がやや減少する。大日遺跡(縄文)

19
47

2 BC三、〇〇〇 0000

支谷に臨む台地上に大規模集落が形成されるようになる。今城遺跡など

19
45
45
52

3 BC四、〇〇〇 0000

鈴塚遺跡・郷州原遺跡(縄文)など

19
31
52
55

4 BC六、〇〇〇 0000

このころ海運が最盛期となり、貝塚がつくられるようになる。北守谷遺跡など

19
54

5 BC三〇、〇〇〇~一〇、〇〇〇 0000

刃器・尖頭器・細石器などがつくられ先土器文化が発達する。郷州原遺跡

17
19
55

6 AD二〇〇 0200

このころ、小貝川流域に水田が形成され、台地上に大規模な集落が営まれるようになる。大日遺跡(弥生)

31
47
48

7 三〇〇~四〇〇 0300

郷州原遺跡(古墳)・乙子遺跡・北今城遺跡・仲原遺跡・大日遺跡(古墳)

19
45
45
47
48
49
50
52
55

8 三五〇~四五〇 0350

このころ、茨城県内に初現期の古墳が築造される(八郷町丸山古墳・玉造町勅使塚古墳・岩瀬町狐塚古墳など)

35

9 四五〇 0450

常陸地方に六国が置かれ(高・久自・仲・茨城・筑波・新治)国造が支配する。守谷地方は印波国に属するとみられる

10 四五〇 0450

このころから茨城県内に大形古墳が登場する(石岡市舟塚山古古墳・水戸市愛宕山古墳など)

35

11 大化元 0645

このころ、古墳づくりが一般化し、群集墳が盛行する

35

12 大化元 0645

常陸国、六評(郡)となる(新治・筑波・久慈・那賀・多珂・茨城)。守谷地方は下総国相馬郡となる。このころ、常陸国庁を茨城(石岡)、下総国庁を葛餝(かつしか)(市川)に置く

58

13 持統元 0687

常陸国に高麗人五六人が配住される

14 文武二 0698

下総国大風、民家多数崩壊

15 大宝元 0701

郡庁がおかれるようになる

16 大宝三 0703

郡庁足下総守となる

17 和銅元 0708

賀茂吉備麻呂下総守となる

18 和銅六 0713

風土記撰上の詔。まもなく『風土記』の編纂がはじまる

19 霊亀元 0715

このころ、里を郷とする

20 養老五 0721

下総国倉麻(そうま)郡意布(おふ)郷戸籍(正倉院文書)

62

21 天平一三 0741

国分寺建立の詔。こののち、国府の地に国分寺・国分尼寺の建立がはじまる

68

22 天平一七 0745

両口布袋に「下総国相馬郡大井郷戸主矢作部麻呂調并庸布壱端」の墨書あり(正倉院宝物)

23 天平勝宝七 0755

防人として筑紫に派遣された「相馬郡の大伴子羊」の歌が万葉集(巻二〇)にみえる

88

24 天平神護元 0765

常陸国に干ばつあり

25 宝亀七 0766

このころから、下総国をはじめ東国の諸国は、東北経営のための人員・食糧・武器類を供給する兵站基地と化していく。そのため、農民の負担はますます増大する

26 宝亀七 0766

安房・上総・下総・常陸四国に船五〇隻を造らせ、陸奥国に置く

27 延暦元 0782

永泉寺が創建されたと伝えられる

100
181

28 延暦一一 0792

常陸国健児二〇〇人を置く

29 貞観六 0864

相馬郡は調・庸が二年間免除される

30 寛平元 0889

桓武天皇の皇曽孫高望王従五位下上総介に任ぜられ、平朝臣の姓を賜う

79

31 延長五 0927

長竜寺将門によって創建されたと伝えらる

100
180

32 承平元 0931

またこのころ海禅寺が創建される

99
181
230

33 承平元 0931

禅福寺(当時は真福寺)将門によって創建されたと伝えらる

93
100
179

34 承平五 0935

将門の争乱始まる。国香戦傷死する

81
84
85

35 天慶二 0939

将門常陸国府に侵入する

85

36 天慶三 0940

将門戦死する

85
92

37 天慶六 0943

『将門記』が大木の地で作られる

93
99

38 応和年間 0961

西林寺が創建される

181

39 長元元 1028

平忠常下総で反乱をおこす

107

40 天喜四 1056

源頼義に安倍氏追討の宣旨下る。千葉常将、常長従軍して功をたてる

108

41 応徳二 1085

後三年の役に千葉常兼従軍して功をたてる

108

42 大治五 1130

六月

11

千葉常重相馬家を継ぎ、相馬郡の所領を伊勢の皇太神宮に寄進する

108
110
112
113

43 治承四 1180

源頼朝伊豆に挙兵する。相馬常胤頼朝に従う

116
123
124
135

44 寿永三 1184

相馬師常は父常胤と共に範頼に従い平家を追討する。その後守谷城を築造する

87
117
124
170

45 文治五 1189

師常は頼朝の奥州藤原氏討伐に従軍する

124

46 建久三 1192

頼朝征夷大将軍となり師常仕向する

47 元久二 1205

相馬義胤、畠山重忠事件に功をたて、その恩賞として奥州行方郡の他、高城保を貰う

125
135

48 承久三 1221

承久の変に相馬氏も出陣する

49 安貞元 1227

相馬義胤の娘土用、野木崎等の所領譲渡される

118
126

50 仁治年間より文永年間 1240

相馬胤綱の後を胤村が相続する。領地分配のことで同族間の争い絶えず

118
126
128
135

51 正安二 1300

正安寺が創建される

182

52 元弘三
正慶二
1333

鎌倉幕府の滅亡

133
146

53 建武元 1334

建武新政始まり、相馬氏は新政の方針をうけてその領地は安堵する

133
134

54 延元元
正慶三
1336

足利尊氏逆き、南北両朝に分れる。奥州の相馬氏は尊氏方につく。守谷城主相馬忠重南朝方につき尊氏の軍をなやます

133
134
135
137
137
138

55 延元三
暦応元
1338

北畠親房小田城による。『神皇正統記』を著す

87
137

56 興国元
暦応三
1340

相馬忠重守谷に高野城を築き、北畠顕国を迎える

138
141
142
144

57 明徳三
元中九
1392

南北朝の合一なる

133
138

58 応永二三 1416

応永の乱おこる。相馬胤長上杉方につく

146

59 永享一〇 1438

永享の乱

147
227

60 嘉吉元 1441

結城合戦おこる。胤長結城城を攻める

146
147

61 康正二 1456

相馬氏成氏を援助する

147

62 康正二 1456

足利成氏古河により古河公方を称する

147
227

63 長禄三 1459

相馬胤広、一言主神社社殿を改造する

147

64 寛正元 1460

結城の多賀谷氏下妻に移住する

147

65 文正元 1466

清瀧寺創建される

181

66 大永元 1521

香取神社創建される(守谷町字守谷)

178

67 天文一八 1549

相馬胤高よしみを北條氏康に通ず

149

68 天文二二 1553

上杉謙信平井城を攻める。これに対して相馬治胤出陣する

150

69 永禄九 1566

治胤古河公方のため守谷城の提供を申し出る

151
152
171
227

70 天正元 1573

永泉寺再建(この寺は将門創建ともいわれる)

100
181

71 天正元 1573

雲天寺創建さる

182

72 天正元 1573

佐竹、簗田の両氏連合して相馬領猿島地方に侵入する。相馬一族これを敗走させる

154

73 天正四 1576

大生郷天神の戦

160

74 天正四 1576

古間木城落城、花島の合戦

159

75 天正五 1577

多賀谷軍相馬領に侵入、相馬軍の攻撃により敗走する

161
163

76 天正七 1579

多賀谷軍岡見氏を攻撃、相馬軍来援して敗走させる

164

77 天正一〇 1582

古河公方滅亡する

152

78 天正一四 1586

多賀谷軍再度岡見領に侵入、相馬氏はこれを助けたが失敗する

164

79 天正一八 1590

五月

豊臣秀吉の部将浅野長政、木村重滋の率いる軍勢が守谷に進駐し、土塔の長竜寺に対し禁制状を与う

180
関連

80 天正一八 1590

九月

土岐定政守谷一万石の領主として入府す

188
189

81 天正一八 1590

この年守谷城主相馬治胤、小田原の北條氏とともに亡ぶ

185

82 天正一八 1590

豊臣秀吉の小田原城攻撃により北條氏滅亡。相馬氏も居城をあけ渡す

165
173
185

83 元和元 1615

守谷城主土岐定政の子定義、摂州高槻に転封

189

84 元和五 1619

高槻城主土岐定義の子頼行再び守谷城主となる

189

85 元和七 1621

十一月

頼行の家臣井上九左衛門、賀藤久太夫愛宕神社へ鰐口を奉納す

86 寛永元 1624

このころ鬼怒川開削工事がはじまる?

224
252
261
264
265
389

87 寛永一〇 1633

鬼怒川開削工事完成後、大木新田の開発がはじめられたが、その時期は明らかでない

224

88 寛永一〇 1633

このころ鬼怒川開削工事完成?

224
252
261
264
265
267
389

89 慶安二 1649

八月

立沢村竜沢寺、野木崎村医王寺、正安寺に寺領を与えらる。

90 慶安二 1649

十一月

沼崎永泉寺に寺領が与えられた

91 寛文四 1664

領主堀田正俊高野村海禅寺に「海禅寺縁起」を寄贈す

関連

92 寛文七 1667

領主堀田正俊上州安中に転封

200

93 寛文一二 1672

新領主酒井忠挙、上町八坂神社を新築奉納

94 元禄元 1688

旧守谷町関宿領に編入され、町名主斎藤徳左衛門領主牧野成貞より割元役を仰せつかり、苗字帯刀を許さる

95 宝永二 1705

十月

十月、関宿領主牧野成春三州吉田へ転封、久世重之新たに領主となる。爾来旧守谷町は明治維新まで関宿領

96 正徳元 1711

この年、斎藤徳左衛門、関宿領十五ケ村の惣代名主を命ぜらる

97 享保元 1716

十二月

利根、鬼怒の両川における浚渫工事を関宿領の久右衛門が請負い、板戸井、大木、野木崎、高野の各村がその工事に協力した

98 享保一八 1733

奥州中村藩主相馬侯、高野村の海禅寺に一泊し、祖先将門の霊を弔う

99 延享三 1746

九月

奥山新田、小山、高野、鈴塚、赤法花、同地、板戸井、大木、立沢、大柏、大山など田安領に編さる

210

100 宝暦二 1752

この年守谷町ほか二十二か村取手宿加助郷村となる