常総市/デジタルミュージアム

年表一覧
年表1   年表2

西暦    :       ~               
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 前50000 0000

リス間氷期 火山活動が活発し、ローム層が形成される

2 前23000 0000

敲打器文化時 石核石器使用

3 前12000 0000

小型石刃文化時 小型石槍がつくられる

4 前10000 0000

気候が温暖化にむかい照葉樹の植生ひろがる 土器、弓矢の使用はじまる

5 縄文期早期/前8000 0000

尖底土器が多く撚糸文波線文条痕文などが施文される 貝塚が形成される 国生北山、蔵持稲荷山、古間木入遺跡存する

66

6 縄文期前期/前4000 0000

海水の浸入が最高潮に達する 干潟が形成される 複雑な縄文の施文が盛行す集落も形成され始まる 鴻野山、崎房貝塚等遺跡各地に散在する

43
68
70

7 縄文期中期/前2000 0000

海退はじまる 土器は大型化豪放的なものに変化し、石器の種類も増加 注口付土器が出現し、鬼怒川流域の地区に遺跡散在する

43
52
67

8 縄文期後期/前1000 0000

土器薄手になり磨消縄文を施す、製塩土器石棒土製耳飾土偶などみられる 狩猟漁撈採集活動が発生し小海進がある 古間木地区中心に遺跡散在す

43
47
67

9 縄文期晩期/前500 0000

縄文文化が衰退し、稲作農耕が東に伝わる

21
49

10 弥生期前期/前300~100 0000

稲作農耕が次第に発達し、集落の形成がみられ、隅丸方形 隅丸長方形床面のほぼ中央部に炉、土器棺墓、縄文土器の伝統の濃い土器がみられる(馬場堤下遺跡)

73
79

11 弥生期中期/前100~ 0000

稲作が伝播する、大型有肩石鏃、石包丁様石器使用する

82

12 弥生期中期/前100~ 0000

大形蛤刃石斧などの農工具がつくられる

13 弥生期後期/250~300 0000

円形・方形の竪穴式住居に住む 銅鏃の出土がみられる

83

14 弥生期後期/250~300 0000

畿内に前方後円墳が出現したといわれる

15 弥生期後期/250~300 0000

弥生期遺物は小数であるが、縄文時代より平安時代にわたる複合遺跡として、国生本屋敷遺跡が存在する

79

16 古墳前期 0300

常総地方にも古墳文化が波及する

85

17 古墳中期 0400

常総地方にも前方後方墳が現われる

18 古墳後期 0500

常総地方にも巨大古墳が築かれ、地方豪族の台頭がみられる

32
85
97

19 古墳後期 0500

地方政治の中心地域が形成される

98

20 古墳終末期 0600

前方後円墳を中核として古墳群が築かれる 神子埋六十六塚・杉山十三塚・鴻野山御林・崎房香取・馬場・国生東山塚等

21
32
85

21 大化元年 0645

初めて年号を定める 総の国を上総・下総の二国に分つ 利根川以北を結城国とし、後、結城郡という のち南部を別けて岡田郡を置かれる

22
100

22 和銅6年 0713

風土記出される 嘉字をもちいて石毛と定めるという

23 天平勝宝7年 0755

常陸・下総国の防人ら歌をつくる この頃万葉集編纂される

108

24 神護景雲2年 0768

毛野川河道改修 下総国結城郡小塩郷小嶋村から、常陸国新治郡川曲郷受津村まで、毛野川一千丈を開疎す

116

25 宝亀3年 0772

下総介桑原王、岡田郡国生に桑原神社を創建す(延喜式内社)

103
314

26 天応元年 0781

富士山大噴火、後1707年迄一〇数回に及ぶという

27 天長3年 0826

常陸・上総・上野の三国、親王任国となる

131

28 嘉祥元年 0848

上総国俘囚反乱を起す

130

29 貞観17年 0875

下総・下野両国の俘囚反乱を起す

130

30 元慶7年 0883

上総国俘囚反乱を起す

130

31 寛平元年 0889

高望王、平朝臣の姓を賜わり上総介となり、上総国に下るという

130

32 昌泰2年 0899

僦馬の対策として、足柄・碓氷両関を設置する

130

33 延喜4年 0904

下総国岡田郡を改めて、豊田郡とする

22

34 延長7年 0929

常陸羽鳥の地より、豊田郡大生郷の地に菅原天神を遷し祀るという

127

35 承平元年 0931

平将門、伯父平良兼と隙を生ず

36 承平5年 0935

2

2日、平将門常陸野本で源扶等に要撃され、平国香を石田に攻め殺す

145

37 承平6年 0936

平将門、下野国庁附近で平良兼と戦いこれを破り、良兼を逃れさせる

146

38 承平7年 0937

平将門、京に召喚されるも、恩詔により郷里豊田郡に帰る

146

39 承平7年 0937

平将門、子飼の渡の戦で良兼軍に破れ、常羽御廐、豊田領内等を焼かれる その後良兼と筑波弓袋山・石井営所等での戦をくりかえすもよく撃退する

147

40 承平8年 0938

平将門、京に上る平貞盛を追い信濃国千曲川に戦う

148

41 天慶2年 0939

平将門、藤原玄明の訴により常陸国府に赴き、国の印と鎰を奪う

149

42 天慶2年 0939

平将門、上野国府において新皇と称し、やがて坂東諸国の国司を任命する

149

43 天慶3年 0940

2

14

2月14日平将門、平貞盛・藤原秀郷等に攻められ、石井の地で戦死する

150

44 長元元年 1028

6

6月前上総介平忠常反乱を起こす

152

45 長元元年 1028

9

9

9月9日鐘林宮黒須大学が常陸一の宮鹿島大神を、若宮戸に祀るという

46 長元3年 1030

平忠常再び安房に侵入する 源頼信と坂東諸国司に追討を勅す

153

47 長元3年 1030

平維幹、平忠常の乱の追討軍に加わるという

153

48 永承年中 0000

この頃、常陸大掾多気太郎平重幹の第三子政幹、(石毛荒四郎、赤須四郎)豊田郡若宮戸に住す

161
167

49 康平5年 1062

平政幹、前九年の役に源義家に従い、豊田郡を賜わり名を豊田四郎平政基(将基)と改め、豊田氏ここに興る

273

50 天仁2年 1109

この頃千代川村宗任神社創祀されると伝う

317

51 久安元年 1145

平頼盛、豊田郡松岡荘を領す

52 寿永元年 1182

源頼朝、大神宮に神馬の奉納につき、豊田太郎、鴾毛駮一疋を進む

53 元暦元年 1184

豊田義幹、義経に従い平家討伐に参戦する

54 文治元年 1185

源頼朝、無断任官の豊田氏ら二二人を叱責す

55 文治5年 1189

豊田義幹、千葉常胤に属し奥州藤原泰衡を攻む

174

56 建久元年 1190

源頼朝の入洛に、豊田兵衛尉ら供奉す

174

57 建久6年 1195

源頼朝、奈良東大寺の供養に出向のさい、豊田兵衛尉家子郎従をつれ供奉する

174

58 建保元年 1213

豊田幹重、奥州泉親衡の乱に上田原親子三人を預る

59 承久3年 1221

承久の変に、豊田四郎は敵一首、同五郎は四首をあぐ

60 承久3年 1221

豊田平太、幕軍に属し宇治橋に戦う

176

61 暦仁元年 1238

豊田太郎、将軍頼経の京都参内に供奉し馬を挽く

62 暦仁元年 1238

香取神宮造営に幸島郡結城郡大方郷に課役あり

63 宝治元年 1247

豊田太郎、三浦泰村の乱に連座し、勢力を失う

64 建長2年 1250

向石毛般舟山法輪寺、源祐和尚により創建されると伝う

293

65 建長5年 1253

この頃蔵持村に石碑建てられる(平将門赦免供養碑と伝えられる)

66 元亨元年 1321

5

9

5月9日東弘寺薬師如来像の開眼供養の法要を営む(大勧進法主良俊)

162
195

67 延元3年、暦応元年 1338

小田治久北畠親房を小田城に擁し戦うものち足利氏に降る

215

68 興国3年、康承元年 1342

関・大宝両城落城し、北畠親房吉野へ帰る

215

69 興国6年、貞和元年 1345

香取神宮造営に豊田庄二〇〇石、飯沼郷一〇〇石、大方郷一〇〇石の課役

70 正平元年、貞和2年 1346

この頃豊田善基、豊田城を築き本拠とするという

250

71 弘和3年、永徳3年 1383

豊田庄田下・久安の鹿島神宮領領有争いで梶原、宍戸氏下地中分の教書下る

72 康正元年 1455

6

6月公方足利成氏、下総国古河に移る

221

73 寛正2年 1461

多賀谷氏家下妻に進出する

235

74 文明10年 1478

多賀谷家植、行田・下栗・吉沼砦を落す

241

75 文明10年 1478

袋畑・唐崎・長萱・伊古立氏等降る(一説に文明15年という)

241

76 文明18年 1486

10

10月東弘寺薬師如来像を空清法主修造する

196

77 天文21年 1552

8

8月東弘寺薬師如来像を石気次郎五郎・弥藤三郎により修造される

196

78 弘治2年 1556

小田氏治、結城・北条軍と海老か島で戦い破れ、土浦城に落去する

244

79 永禄元年 1558

豊田治親、小田の援軍を得て長峰原・蛇沼に多賀谷軍を敗るという

245

80 天正2年 1574

東弘寺、石毛小蓋地より大房に移るという

197

81 天正4年 1576

古間木城、多賀谷氏に攻略されるという

82 天正6年 1578

この頃豊田治親謀殺され、豊田氏亡ぶという(一説に天正3年という)

162
255

83 慶長6年 1601

多賀谷三経追放される 

84 慶長6年 1601

結城秀康越前福井に移る

264
335

85 慶長6年 1601

上蛇・三坂新田開墾

86 慶長6年 1601

伊奈忠次結城代官となる 

339

87 慶長6年 1601

小貝川を改修し後水海道・坂戸井間を開疎する

88 慶長7年 1602

伊奈忠次検地

351

89 慶長8年 1603

徳川家康征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く

90 慶長13年 1608

関東郡代伊奈忠次、開拓の功により飯岡三郎三右衛門、吉原八右衛門、新井五郎左衛門.小口孫兵衛.増田大学助、飯島玄蕃、国生二郎右衛門らに賜田一町歩

91 慶長17年 1612

豊田曲田開発される

92 元和元年 1615

1

2

1月2日石毛城跡に宇佐八幡を勧請して八幡宮を創記す

319

93 元和2年 1616

日光東照宮の造営をはじめる

94 元和5年 1619

7

13

7月13日本石下八幡宮を本石下総鎮守社となす

95 元和6年 1620

苗字を名乗ることを禁止する

96 寛永元年 1624

五ヶ村福二・沖新田が開発される

97 寛永6年 1629

伊奈忠治、川西村大渡戸より上妻桐ケ瀬まで新堀を掘る

98 寛永6年 1629

鬼怒川、小貝川の分流工事をなす

99 寛永7年 1630

8

8月伊奈忠治検地 

344
363

100 寛永7年 1630

石毛を石下に改める、石下を本石下・上石下・原宿に分つ 石下新田を新石下と改称 大房・東野原・山口・平内・収納谷を石下支村の五箇村と称す

885