常総市/デジタルミュージアム

年表一覧
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西暦    :       ~               
No 元号年 西暦年 水海道市史 上/下 年表 事項文 石下町史 年表 事項文
1 旧石器時代(先土器文化) 0000 敲打器・刃器・尖頭器・細石器の石器文化が発達する
守谷町郷州原遺跡・結城市才光寺遺跡
水海道市内守谷町(北梅向前)出土ナイフ形石器?
尖底・深鉢・押圧による施文や廻転による撚糸文の土器が発達し、石鏃・石槍等が用いられる
内守谷・長之入出土土器
下花島・花島貝塚
大輪・築地貝塚
縄文施文、平底の土器が発達し、大生郷遺跡(隠滅)に見られるような円形・方形の堅穴住居が営まれる
下花島・花島貝塚、豊岡・横曽根貝塚
上花島・花島遺跡
坂手・日之王神遺跡
大生郷・上新田遺跡、大生郷・大生郷遺跡
大型厚手の土器や広口のカメ等つくられ、施文は隆起した立体的な意匠をもつ。集落も拡大され生活用具(石器・土器)も多種に及ぶ
大輪・築地遺跡
坂手・貝置遺跡
内守谷・向地遺跡
菅生・古谷遺跡
埦・皿・高坏・注口土器等つくられ、施文は磨消縄文の手法をとり入れた精選土器と簡単な粗製土器とに分かれる。定住生活もつづくようになり大規模な貝塚が形成される
大輪・築地貝塚・大日山貝塚・満蔵A遺跡
大生郷・大生郷貝塚・上口A遺跡・上口B遺跡・内久根遺跡
内守谷・館ノ台遺跡
菅生・古谷遺跡
工芸品的な土器が発達し、集落も低地にも営まれるようになる。市内にはこの時期の遺跡はきわめて少ない
大輪・築地遺跡
北九州に稲作の技術が普及し弥生式土器が発達する。この時期、東日本ではこの影響は見られず縄文最終末の文化が引きつがれた
この時期、北関東に弥生文化の波及を示す岩櫃山式土器、須和田式土器が出現するが、水海道市では今のところ確認されていない
下館市女方遺跡
リス間氷期 火山活動が活発し、ローム層が形成される
敲打器文化時 石核石器使用
小型石刃文化時 小型石槍がつくられる
気候が温暖化にむかい照葉樹の植生ひろがる 土器、弓矢の使用はじまる
尖底土器が多く撚糸文波線文条痕文などが施文される 貝塚が形成される 国生北山、蔵持稲荷山、古間木入遺跡存する
海水の浸入が最高潮に達する 干潟が形成される 複雑な縄文の施文が盛行す集落も形成され始まる 鴻野山、崎房貝塚等遺跡各地に散在する
海退はじまる 土器は大型化豪放的なものに変化し、石器の種類も増加 注口付土器が出現し、鬼怒川流域の地区に遺跡散在する
土器薄手になり磨消縄文を施す、製塩土器石棒土製耳飾土偶などみられる 狩猟漁撈採集活動が発生し小海進がある 古間木地区中心に遺跡散在す
縄文文化が衰退し、稲作農耕が東に伝わる
稲作農耕が次第に発達し、集落の形成がみられ、隅丸方形 隅丸長方形床面のほぼ中央部に炉、土器棺墓、縄文土器の伝統の濃い土器がみられる(馬場堤下遺跡)
稲作が伝播する、大型有肩石鏃、石包丁様石器使用する
大形蛤刃石斧などの農工具がつくられる
円形・方形の竪穴式住居に住む 銅鏃の出土がみられる
畿内に前方後円墳が出現したといわれる
弥生期遺物は小数であるが、縄文時代より平安時代にわたる複合遺跡として、国生本屋敷遺跡が存在する
2 弥生時代(弥生文化)(後期) 0100 この時期になると水海道市にも弥生文化の影響が現われ土器片などの散布が見られるが住居址などの確証はない
菅生・上野A遺跡・原遺跡
豊岡・谷津遺跡
内守谷・長之入出土土器
3 古墳時代(前期) 0300 畿内で四世紀中頃に発展した古墳文化が東日本に波及し、常総地方にも五領式の土器が現れる
花島・上花島遺跡
内守谷・本郷遺跡
常総地方にも古墳文化が波及する
4 古墳時代(中期) 0400 常総地方にも出現期の古墳(前方後方墳)が現れる
筑波町・山木古墳
八郷町・丸山古墳
常総地方にも前方後方墳が現われる
5 古墳時代(後期) 0500 常総地方に巨大古墳が築造され地方豪族の台頭が顕著となる。政治の中心地域が形成される
下館市・徳持古墳
大穂町・夫婦塚古墳
常総地方にも巨大古墳が築かれ、地方豪族の台頭がみられる
地方政治の中心地域が形成される
6 古墳時代(終末期) 0600 石岡市・舟塚山古墳
畿内においては前方後円墳の築造は衰退の一途をたどるがこのころ東日本では前方後円墳を中核として有力古墳群築造され横穴式石室箱式石棺が墓制として登場する
玉造町・三昧塚古墳
玉里村・舟塚古墳
出島村・稲荷山古墳
八郷盆地から筑波西麓、小貝・鬼怒川流域から千葉県北部にかけて追葬・合葬方式をとる変則的古墳が築造される
羽生・七塚古墳群 坂手・剣崎古墳群
下花島・花島古墳群 大塚戸・篠山古墳群 豊岡・豊岡古墳
前方後円墳を中核として古墳群が築かれる 神子埋六十六塚・杉山十三塚・鴻野山御林・崎房香取・馬場・国生東山塚等
7 大化1 0645 大化改新以前は、箱根から東方は「我姫の国」と呼ばれ改新以後、下総・常陸等八か国に分かれる 初めて年号を定める 総の国を上総・下総の二国に分つ 利根川以北を結城国とし、後、結城郡という のち南部を別けて岡田郡を置かれる
8 慶雲1 0704 常陸国司、鍛冶佐備大麻呂を率いて常陸・下総国境若松の浦の鉄を採りて剣をつくる「常陸風土記」
9 和銅2 0709 下総国印旛郡に竜角寺建立さる「竜角寺大縁」
10 和銅6年 0713 風土記出される 嘉字をもちいて石毛と定めるという
11 養老3 0719 常陸国守藤原宇合、安房・上総・下総三国を管轄す
12 養老5 0721 下総国葛飾郡大嶋郡(東京都柴又周辺)戸口六三とある。また、同時代に下総国相麻郡意布郷(相馬郡)戸籍がある(正倉院文書)
13 神亀1 0724 陸奥の蝦夷叛き、坂東九か国兵士三万人騎射陣法を習練す
14 天平10 0738 駿河国正税帳に帰国する防人の数が記載される。下総二七〇人
15 天平勝宝7 0755 萬葉集に収載された防人の歌詠まれる。下総一一首、上総一三首 常陸・下総国の防人ら歌をつくる この頃万葉集編纂される
16 神護景雲1 0767 猿島郡不動倉の穀六四〇〇斛を焼く
17 神護景雲2 0768 8 19 下総国結城郡小塩郷小嶋村から常陸国新治郡川曲郷受津村にいたる毛野川(鬼怒川)新河道を掘削『続日本紀』
18 神護景雲2年 0768 毛野川河道改修 下総国結城郡小塩郷小嶋村から、常陸国新治郡川曲郷受津村まで、毛野川一千丈を開疎す
19 宝亀3年 0772 下総介桑原王、岡田郡国生に桑原神社を創建す(延喜式内社)
20 宝亀3 0773 桑原神社、岡田郡国生に下総国司桑原王創建と伝う『延喜式』
21 宝亀7 0776 出羽国志羽村の蝦夷反乱。下総などの騎兵に討たす。また、下総・常陸外二か国に五〇隻の船建造を命ず
22 宝亀11 0780 夷俘の反乱に、坂東の軍士を徴発、下総の糒など輸送す『続日本紀』
23 天応元年 0781 富士山大噴火、後1707年迄一〇数回に及ぶという
24 延暦11 0792 郡司の子弟から選んだ健児(こんでい)、下総一五〇人、常陸二〇〇人
25 延暦23 0804 1 第四次征夷軍に下総国など諸国から糒・米を陸奥中山柵に運送す
26 大同4 0809 11 13 一言主神、大塚戸村宮内に分祀の伝承あり。『一言主神社略縁起』
27 天長3年 0826 常陸・上総・上野の三国、親王任国となる
28 嘉祥元年 0848 上総国俘囚反乱を起す
29 貞観17 0875 下総に俘囚の乱あり社寺・役所など焼く。下総上総軍兵三〇〇人救援 下総・下野両国の俘囚反乱を起す
30 元慶7年 0883 上総国俘囚反乱を起す
31 寛平元年 0889 高望王、平朝臣の姓を賜わり上総介となり、上総国に下るという
32 昌泰2年 0899 僦馬の対策として、足柄・碓氷両関を設置する
33 延喜3 0903 菅原道真、九州筑紫太宰府にて没す
34 延喜4年 0904 下総国岡田郡を改めて、豊田郡とする
35 延長4 0926 菅原道真の遺児等によって真壁郡羽鳥に天神社建立される
36 延長7 0929 2 25 道真遺児らにより真壁郡羽鳥から大生郷へ天神社遷宮さる
37 延長7年 0929 常陸羽鳥の地より、豊田郡大生郷の地に菅原天神を遷し祀るという
38 延長8 0930 「倭名抄」に下総国田数二万余町とあり、「延喜式」に同正税・公廨(くげ)各四〇万束雑稲二二万束余、産物として絁・紺布・縹布・黄布を調、庸として布、貢進物に紫草・稚海藻・商布・鹿革・筆・牧手皮・牛角・熟麻
39 延長9 0931 平将門京都より相馬本郷に帰郷する 平将門、伯父平良兼と隙を生ず
40 承平5 0935 2 4 将門、源護の三子を野本に倒し、平国香を石田で殺す
41 承平5 0935 10 21 将門、叔父良正を川曲に破る
42 承平5年 0935 2 2日、平将門常陸野本で源扶等に要撃され、平国香を石田に攻め殺す
43 承平6 0936 7 26 将門、良兼・良正・平貞盛を下野国府に追い包囲す。のち逃がす
44 承平6 0936 9 英保純行ら、将門の召喚状を持して下向。
45 承平6 0936 10 将門、陳弁のため上京し検非違使所で無罪となり京中に武名を上げる
46 承平6年 0936 平将門、下野国庁附近で平良兼と戦いこれを破り、良兼を逃れさせる
47 承平7 0937 8 6 平良兼、将門を子飼渡に破り、多治経明を栗栖院常羽御廐に焼打ち
48 承平7 0937 8 17 将門、大方御堀越の渡に敗戦。妻妾を幸島郡葦津江に隠す
49 承平7 0937 8 19 良兼・将門の探索中止上総に帰国。残党狩りはじまり船・絹布を略奪
50 承平7 0937 11 19 将門、羽鳥の良兼館を焼打ち。良兼を弓袋山に見失う
51 承平7 0937 11 朝廷、常野諸国に命じ将門と合力して良兼・貞盛ら追捕の官符を下す
52 承平7 0937 12 10 良兼・子春丸の情報により、多治良利に石井営所を急襲させるが敗北
53 承平7年 0937 平将門、京に召喚されるも、恩詔により郷里豊田郡に帰る
平将門、子飼の渡の戦で良兼軍に破れ、常羽御廐、豊田領内等を焼かれる その後良兼と筑波弓袋山・石井営所等での戦をくりかえすもよく撃退する
54 天慶1 0938 2 29 将門、信濃国分寺辺千曲川原に貞盛を追撃するが逃亡さる
55 天慶1 0938 2 将門、武蔵新国司と郡司との紛争に仲裁として入る
56 承平8年 0938 平将門、京に上る平貞盛を追い信濃国千曲川に戦う
57 天慶2 0939 3 25 将門らの謀叛の真偽を調査するため、関白忠平から教書が下されたが、五か国解文により無実の証を得る
58 天慶2 0939 11 29 将門、藤原玄明を庇護し常陸国庁に乱入
59 天慶2 0939 12 11 将門、下総国府を包囲し国府の印鎰を没収、国司を追放す
60 天慶2 0939 12 15 将門、上総国府の印鎰を奪い、八幡大菩薩の託宣により新皇を称す
61 天慶2 0939 12 17 将門、太政大臣に事の次第を陳情し、この間諸国の除目を発令す
62 天慶2年 0939 平将門、藤原玄明の訴により常陸国府に赴き、国の印と鎰を奪う
平将門、上野国府において新皇と称し、やがて坂東諸国の国司を任命する
63 天慶3 0940 2 1 将門、下野に藤原秀郷・貞盛連合軍を攻撃するが敗れ、水口に退却
64 天慶3 0940 2 13 秀郷・貞盛軍石井営所を直撃、営所妙屋等を焼く
65 天慶3 0940 2 14 将門、秀郷・貞盛軍の総攻撃にあい島広山に落命す 2月14日平将門、平貞盛・藤原秀郷等に攻められ、石井の地で戦死する
66 天慶5 0942 4 将門調伏を祈願した下総一宮香取神宮、常陸三宮吉田神社昇格す
67 長元元年 1028 6 6月前上総介平忠常反乱を起こす
68 長元1 1028 7 前上総介平忠常反乱を起こし安房守惟忠を焼殺
69 長元元年 1028 9 9 9月9日鐘林宮黒須大学が常陸一の宮鹿島大神を、若宮戸に祀るという
70 長元3 1030 9 忠常、再び安房侵入。平直方を召還、源頼信と坂東諸国司に追討勅す
71 長元3年 1030 平忠常再び安房に侵入する 源頼信と坂東諸国司に追討を勅す
平維幹、平忠常の乱の追討軍に加わるという
72 長元4 1031 6 頼信進発前に忠常降伏。忠常、美濃国で没。子は罪を許される
73 永承年中 0000 この頃、常陸大掾多気太郎平重幹の第三子政幹、(石毛荒四郎、赤須四郎)豊田郡若宮戸に住す
74 天喜4 1056 7 豊田四郎政基ら、源頼義の安部頼時父子討伐に参陣す
75 天喜5 1057 7 源頼義、安部頼時を鳥海柵に誅す
76 康平5 1062 8 17 頼義、安倍宗任・貞任の小松柵を攻略す
77 康平5 1062 9 豊田兵の先陣、衣川関の貞任を討つ。貞任戦死、宗任降伏
78 康平5 1062 12 17 投降の阿倍宗任ら京にて助命さる
79 康平5年 1062 平政幹、前九年の役に源義家に従い、豊田郡を賜わり名を豊田四郎平政基(将基)と改め、豊田氏ここに興る
80 寛治1 1087 12 源義光、義家を援けるため陸奥に下向、家衡・武衡を金沢柵に誅殺
81 天仁1 1108 豊田郡宗道(千代川村)に宗任神社創建される(宗任神社縁起)
82 天仁2年 1109 この頃千代川村宗任神社創祀されると伝う
83 久安1 1145 千葉常胤、相馬郡司の国判を賜わる
平頼盛、豊田郡松岡荘を領す『吾妻鏡』
平頼盛、豊田郡松岡荘を領す
84 保元1 1156 7 鳥羽法皇薨じ内訌起る。天皇方に源義朝・平清盛・上皇方に為義等つく
85 平治1 1159 12 清盛の熊野詣に乗じ義朝等内裏を占領。清盛帰還し天皇を六波羅に奉ず
86 治承2 1178 恵信尼(親鸞の妻)の父、越後介三善為教帰京す
87 治承4 1180 5 26 源頼政、以仁王を奉じて挙兵。宇治平等院に敗走自害す
88 治承4 1180 8 17 源頼朝、伊豆に挙兵。三浦義明、石橋山の戦に間にあわず安房に遁る
89 治承4 1180 9 7 源義仲、信濃に挙兵
90 治承4 1180 10 6 頼朝、鎌倉に入る。のち富士川に平家軍を破る
91 治承4 1180 11 4 頼朝、常陸国府に着し、佐竹忠義を滅ぼし秀義を追う
92 養和1 1181 2 20 志田義広、下野国野木宮に向ったが、小山朝政・源範頼らに敗れる
93 養和1 1181 4 頼朝の宿衛に結城朝光・下河辺行平あり
94 寿永元年 1182 源頼朝、大神宮に神馬の奉納につき、豊田太郎、鴾毛駮一疋を進む
95 寿永2 1183 5 11 源義仲、平家軍を越中砺波山に破る
96 元暦1 1184 2 一の谷の戦、義経の部下に豊田義幹あり
97 元暦元年 1184 豊田義幹、義経に従い平家討伐に参戦する
98 文治1 1185 1 26 源範頼、九州に渡る。従兵下河辺行平の家臣に矢作二郎・鈴置平五あり
99 文治1 1185 4 頼朝、無断任官の豊田氏ら二二人を叱責す『吾妻鏡』
100 文治1 1185 11 下総守護職に千葉常胤、豊田氏・相馬氏地頭職となる