常総市/デジタルミュージアム

年表一覧
年表1   年表2

西暦    :       ~               
No 元号年 西暦年 事項文 備考 関連
1 旧石器時代(先土器文化) 0000

敲打器・刃器・尖頭器・細石器の石器文化が発達する

39

2 旧石器時代(先土器文化) 0000

守谷町郷州原遺跡・結城市才光寺遺跡

41
42

3 旧石器時代(先土器文化) 0000

水海道市内守谷町(北梅向前)出土ナイフ形石器?

4 縄文時代(縄文文化)(早期) 0000

尖底・深鉢・押圧による施文や廻転による撚糸文の土器が発達し、石鏃・石槍等が用いられる

41
43

5 縄文時代(縄文文化)(早期) 0000

内守谷・長之入出土土器

43

6 縄文時代(縄文文化)(早期) 0000

下花島・花島貝塚

12
41
72
72

7 縄文時代(縄文文化)(早期) 0000

大輪・築地貝塚

12
41
72
78

8 縄文時代(縄文文化)(前期) 0000

縄文施文、平底の土器が発達し、大生郷遺跡(隠滅)に見られるような円形・方形の堅穴住居が営まれる

104

9 縄文時代(縄文文化)(前期) 0000

下花島・花島貝塚、豊岡・横曽根貝塚

12
41
72
72
98

10 縄文時代(縄文文化)(前期) 0000

上花島・花島遺跡

72
76

11 縄文時代(縄文文化)(前期) 0000

坂手・日之王神遺跡

72

12 縄文時代(縄文文化)(前期) 0000

大生郷・上新田遺跡、大生郷・大生郷遺跡

72
104
104

13 縄文時代(縄文文化)(中期) 0000

大型厚手の土器や広口のカメ等つくられ、施文は隆起した立体的な意匠をもつ。集落も拡大され生活用具(石器・土器)も多種に及ぶ

43

14 縄文時代(縄文文化)(中期) 0000

大輪・築地遺跡

43
72
78

15 縄文時代(縄文文化)(中期) 0000

坂手・貝置遺跡

72

16 縄文時代(縄文文化)(中期) 0000

内守谷・向地遺跡

72

17 縄文時代(縄文文化)(中期) 0000

菅生・古谷遺跡

72

18 縄文時代(縄文文化)(後期) 0000

埦・皿・高坏・注口土器等つくられ、施文は磨消縄文の手法をとり入れた精選土器と簡単な粗製土器とに分かれる。定住生活もつづくようになり大規模な貝塚が形成される

43

19 縄文時代(縄文文化)(後期) 0000

大輪・築地貝塚・大日山貝塚・満蔵A遺跡

12
41
72
78
79

20 縄文時代(縄文文化)(後期) 0000

大生郷・大生郷貝塚・上口A遺跡・上口B遺跡・内久根遺跡

12
41
72
99

21 縄文時代(縄文文化)(後期) 0000

内守谷・館ノ台遺跡

72

22 縄文時代(縄文文化)(後期) 0000

菅生・古谷遺跡

72

23 縄文時代(縄文文化)(晩期) 0000

工芸品的な土器が発達し、集落も低地にも営まれるようになる。市内にはこの時期の遺跡はきわめて少ない

43

24 縄文時代(縄文文化)(晩期) 0000

大輪・築地遺跡

43
72
78

25 弥生時代(弥生文化)(前期) 0000

北九州に稲作の技術が普及し弥生式土器が発達する。この時期、東日本ではこの影響は見られず縄文最終末の文化が引きつがれた

48

26 弥生時代(弥生文化)(中期) 0000

この時期、北関東に弥生文化の波及を示す岩櫃山式土器、須和田式土器が出現するが、水海道市では今のところ確認されていない

27 弥生時代(弥生文化)(中期) 0000

下館市女方遺跡

51

28 弥生時代(弥生文化)(後期) 0100

この時期になると水海道市にも弥生文化の影響が現われ土器片などの散布が見られるが住居址などの確証はない

51

29 弥生時代(弥生文化)(後期) 0100

菅生・上野A遺跡・原遺跡

30 弥生時代(弥生文化)(後期) 0100

豊岡・谷津遺跡

31 弥生時代(弥生文化)(後期) 0100

内守谷・長之入出土土器

32 古墳時代(前期) 0300

畿内で四世紀中頃に発展した古墳文化が東日本に波及し、常総地方にも五領式の土器が現れる

33 古墳時代(前期) 0300

花島・上花島遺跡

34 古墳時代(前期) 0300

内守谷・本郷遺跡

79

35 古墳時代(中期) 0400

八郷町・丸山古墳

56

36 古墳時代(中期) 0400

常総地方にも出現期の古墳(前方後方墳)が現れる

56

37 古墳時代(中期) 0400

筑波町・山木古墳

56

38 古墳時代(後期) 0500

常総地方に巨大古墳が築造され地方豪族の台頭が顕著となる。政治の中心地域が形成される

59

39 古墳時代(後期) 0500

下館市・徳持古墳

59

40 古墳時代(後期) 0500

大穂町・夫婦塚古墳

59

41 古墳時代(終末期) 0600

石岡市・舟塚山古墳

59

42 古墳時代(終末期) 0600

畿内においては前方後円墳の築造は衰退の一途をたどるがこのころ東日本では前方後円墳を中核として有力古墳群築造され横穴式石室箱式石棺が墓制として登場する

59

43 古墳時代(終末期) 0600

玉造町・三昧塚古墳

44 古墳時代(終末期) 0600

玉里村・舟塚古墳

59

45 古墳時代(終末期) 0600

出島村・稲荷山古墳

59

46 古墳時代(終末期) 0600

八郷盆地から筑波西麓、小貝・鬼怒川流域から千葉県北部にかけて追葬・合葬方式をとる変則的古墳が築造される

65

47 古墳時代(終末期) 0600

羽生・七塚古墳群 坂手・剣崎古墳群

72
87
87

48 古墳時代(終末期) 0600

下花島・花島古墳群 大塚戸・篠山古墳群 豊岡・豊岡古墳

72
77
83
99

49 大化1 0645

大化改新以前は、箱根から東方は「我姫の国」と呼ばれ改新以後、下総・常陸等八か国に分かれる

108

50 慶雲1 0704

常陸国司、鍛冶佐備大麻呂を率いて常陸・下総国境若松の浦の鉄を採りて剣をつくる「常陸風土記」

51 和銅2 0709

下総国印旛郡に竜角寺建立さる「竜角寺大縁」

52 養老3 0719

常陸国守藤原宇合、安房・上総・下総三国を管轄す

53 養老5 0721

下総国葛飾郡大嶋郡(東京都柴又周辺)戸口六三とある。また、同時代に下総国相麻郡意布郷(相馬郡)戸籍がある(正倉院文書)

121

54 神亀1 0724

陸奥の蝦夷叛き、坂東九か国兵士三万人騎射陣法を習練す

55 天平10 0738

駿河国正税帳に帰国する防人の数が記載される。下総二七〇人

56 天平勝宝7 0755

萬葉集に収載された防人の歌詠まれる。下総一一首、上総一三首

57 神護景雲1 0767

猿島郡不動倉の穀六四〇〇斛を焼く

58 神護景雲2 0768

8

19

下総国結城郡小塩郷小嶋村から常陸国新治郡川曲郷受津村にいたる毛野川(鬼怒川)新河道を掘削『続日本紀』

59 宝亀3 0773

桑原神社、岡田郡国生に下総国司桑原王創建と伝う『延喜式』

109

60 宝亀7 0776

出羽国志羽村の蝦夷反乱。下総などの騎兵に討たす。また、下総・常陸外二か国に五〇隻の船建造を命ず

61 宝亀11 0780

夷俘の反乱に、坂東の軍士を徴発、下総の糒など輸送す『続日本紀』

62 延暦11 0792

郡司の子弟から選んだ健児(こんでい)、下総一五〇人、常陸二〇〇人

63 延暦23 0804

1

第四次征夷軍に下総国など諸国から糒・米を陸奥中山柵に運送す

64 大同4 0809

11

13

一言主神、大塚戸村宮内に分祀の伝承あり。『一言主神社略縁起』

212

65 貞観17 0875

下総に俘囚の乱あり社寺・役所など焼く。下総上総軍兵三〇〇人救援

66 延喜3 0903

菅原道真、九州筑紫太宰府にて没す

67 延長4 0926

菅原道真の遺児等によって真壁郡羽鳥に天神社建立される

130
206

68 延長7 0929

2

25

道真遺児らにより真壁郡羽鳥から大生郷へ天神社遷宮さる

130
206

69 延長8 0930

「倭名抄」に下総国田数二万余町とあり、「延喜式」に同正税・公廨(くげ)各四〇万束雑稲二二万束余、産物として絁・紺布・縹布・黄布を調、庸として布、貢進物に紫草・稚海藻・商布・鹿革・筆・牧手皮・牛角・熟麻

70 延長9 0931

平将門京都より相馬本郷に帰郷する

132

71 承平5 0935

2

4

将門、源護の三子を野本に倒し、平国香を石田で殺す

133

72 承平5 0935

10

21

将門、叔父良正を川曲に破る

133

73 承平6 0936

7

26

将門、良兼・良正・平貞盛を下野国府に追い包囲す。のち逃がす

133

74 承平6 0936

9

英保純行ら、将門の召喚状を持して下向。

133
136

75 承平6 0936

10

将門、陳弁のため上京し検非違使所で無罪となり京中に武名を上げる

133

76 承平7 0937

8

6

平良兼、将門を子飼渡に破り、多治経明を栗栖院常羽御廐に焼打ち

134

77 承平7 0937

8

17

将門、大方御堀越の渡に敗戦。妻妾を幸島郡葦津江に隠す

134

78 承平7 0937

8

19

良兼・将門の探索中止上総に帰国。残党狩りはじまり船・絹布を略奪

134

79 承平7 0937

11

19

将門、羽鳥の良兼館を焼打ち。良兼を弓袋山に見失う

135

80 承平7 0937

11

朝廷、常野諸国に命じ将門と合力して良兼・貞盛ら追捕の官符を下す

136

81 承平7 0937

12

10

良兼・子春丸の情報により、多治良利に石井営所を急襲させるが敗北

136

82 天慶1 0938

2

29

将門、信濃国分寺辺千曲川原に貞盛を追撃するが逃亡さる

136

83 天慶1 0938

2

将門、武蔵新国司と郡司との紛争に仲裁として入る

137

84 天慶2 0939

3

25

将門らの謀叛の真偽を調査するため、関白忠平から教書が下されたが、五か国解文により無実の証を得る

137

85 天慶2 0939

11

29

将門、藤原玄明を庇護し常陸国庁に乱入

138

86 天慶2 0939

12

11

将門、下総国府を包囲し国府の印鎰を没収、国司を追放す

138

87 天慶2 0939

12

15

将門、上総国府の印鎰を奪い、八幡大菩薩の託宣により新皇を称す

139

88 天慶2 0939

12

17

将門、太政大臣に事の次第を陳情し、この間諸国の除目を発令す

139

89 天慶3 0940

2

1

将門、下野に藤原秀郷・貞盛連合軍を攻撃するが敗れ、水口に退却

139
142

90 天慶3 0940

2

13

秀郷・貞盛軍石井営所を直撃、営所妙屋等を焼く

142

91 天慶3 0940

2

14

将門、秀郷・貞盛軍の総攻撃にあい島広山に落命す

142

92 天慶5 0942

4

将門調伏を祈願した下総一宮香取神宮、常陸三宮吉田神社昇格す

144

93 長元1 1028

7

前上総介平忠常反乱を起こし安房守惟忠を焼殺

151

94 長元3 1030

9

忠常、再び安房侵入。平直方を召還、源頼信と坂東諸国司に追討勅す

151

95 長元4 1031

6

頼信進発前に忠常降伏。忠常、美濃国で没。子は罪を許される

151

96 天喜4 1056

7

豊田四郎政基ら、源頼義の安部頼時父子討伐に参陣す

153

97 天喜5 1057

7

源頼義、安部頼時を鳥海柵に誅す

153

98 康平5 1062

8

17

頼義、安倍宗任・貞任の小松柵を攻略す

154

99 康平5 1062

9

豊田兵の先陣、衣川関の貞任を討つ。貞任戦死、宗任降伏

154

100 康平5 1062

12

17

投降の阿倍宗任ら京にて助命さる

154