豊島区/としまひすとりぃ

年表検索結果
 
 
No 史資料 年表種別 元号年 西暦年 できごと

1

近世

としま(江戸前期)

元和年間

1624

法明寺10世日雄が鬼子母神樹木の伐採をしたので,雑司が谷村民、これを本多佐渡守正信に訴えて中止させる 【通1-383】

2

近世

としま(江戸前期)

寛永1

1624

9月

願主岡本氏、雑司が谷鬼子母神稲荷宮へ絵馬奉納 【資3-560】

3

近世

としま(江戸前期)

寛永2

1625

太田采女正元資・同舎弟遠山平六資正、鬼子母神社殿造営 【櫨楓】

4

近世

としま(江戸前期)

寛永11

1634

長島内匠助・戸梁唯兵衛、雑司が谷鬼子母神奉射祭礼の式を記し、後世に伝える 【資3-205,櫨楓】

5

近世

としま(江戸前期)

寛永11

1634

雑司が谷鬼子母神歩射来当、長島内匠助・戸梁唯兵衛(作兵衛とも) 【資3-636,櫨楓】

6

近世

としま(江戸前期)

慶安3

1650

4月

江戸葺屋町住服部豊左衛門(生国江州甲賀郡)雑司が谷鬼子母神稲荷宮へ竪額(髭題目)奉納 【資3-560】

7

近世

としま(江戸前期)

承応3

1654

雑司が谷鬼子母神歩射来当、柳下新左衛門・田口治左衛門 【資3-636,櫨楓】

8

近世

としま(江戸前期)

明暦1

1655

1月

15日

雑司が谷鬼子母神歩射来当、大関土佐守御局・長島藤兵衛・治左衛門 【資3-636,櫨楓】

9

近世

としま(江戸前期)

明暦2

1656

8月

大坂角倉理左衛門、雑司が谷鬼子母神社へ石の輪の井を寄進 【櫨楓,資3-642】

10

近世

としま(江戸前期)

明暦3

1657

雑司が谷鬼子母神歩射来当、水野淡路守御局・田口治左衛門 【資3-636,櫨楓】

11

近世

としま(江戸前期)

万治3

1660

6月

20日

幕府、氏子の鬼子母神訴訟に関し、東陽坊は法明寺支配、宮は東陽坊支配との裁決をくだす 【通1-384】

12

近世

としま(江戸前期)

万治頃

1661

鬼子母神歩射の式、別当職出入のため絶える。以後、赤飯を出し、宝前の誦経・祭文・盃事のみとなる 【櫨楓】

13

近世

としま(江戸前期)

万治年間

1661

鬼子母神氏子、法明寺を離檀する 【櫨楓】

14

近世

としま(江戸前期)

寛文1

1661

鬼子母神歩射来当、稲富治左衛門内室・山本七左衛門 【資3-636,櫨楓】

15

近世

としま(江戸前期)

寛文2

1662

鬼子母神歩射、水野御内妙修尼施主 【資3-636,櫨楓】

16

近世

としま(江戸前期)

寛文6

1666

加賀藩主前田利常息女で広島藩主浅野光晟の妻自昌院英心日妙、鬼子母神堂本殿を造立 【資3-189、438、447】

17

近世

としま(江戸前期)

延宝5

1677

4月

8日

下谷池之端横田七郎右衛門、子なきをうれい雑司が谷鬼子母神をいのり、この日その舅木村伊左衛門、小網町三叉川で鬼子母神像を感得 【資3-690】

18

近世

としま(江戸前期)

元禄4

1691

7月

28日

鬼子母神堂石燈籠造立。本願主小石川指ケ谷町講中。のち1756・宝暦6年5月16日牛込講中再興 【豊島あちらこちら】

19

近世

としま(江戸前期)

元禄9

1696

2月

12日

鬼子母神門前の町屋より中野犬小屋に犬を納める。法明寺、法明寺門前町として出したために氏子側の反発を受け、1701・元禄14年詫証文を氏子に出す 【通1-384】

20

近世

としま(江戸前期)

元禄14

1701

5月

絵馬「鬼子母神解脱の図」、鬼子母神堂に奉納される 【豊島あちらこちら】