豊島区/としまひすとりぃ

年表検索結果
 
 
No 史資料 年表種別 元号年 西暦年 できごと

1

原始・古代・中世

としま(原始~織豊期)

元弘
建武頃

1338

後醍醐天皇に仕奉の北面の雑司、柳下若狭・幌(戸張)平次左衛門・長島内匠など、浪人して関東に下り、雑司が谷村を開く。一説に応永(1394-1428)の頃ともいう 【資1-411,資3-437】

2

原始・古代・中世

としま(原始~織豊期)

永禄4

1561

5月

16日

柳下若狭の下男山本丹右衛門なる者、清土の田面中より、鬼子母神像を掘りだし、5世東陽坊に預ける 【資3-189、206、438、447、546~7】

3

原始・古代・中世

としま(原始~織豊期)

天正6

1578

5月

3日

鬼子母神社棟礼に柳下三郎右衛門・田口新左衛門内方の名あり 【資3-440,櫨楓】

4

近世

としま(江戸前期)

承応3

1654

雑司が谷鬼子母神歩射来当、柳下新左衛門・田口治左衛門 【資3-636,櫨楓】

5

近世

としま(江戸前期)

元禄年間

1704

柳下住の家持専右衛門、雑司が谷鬼子母神の風車をつくり始める。あるいは元文の頃高田四つ家町角住の尾張藩家中酒井宇平次が元祖という 【資3-493、584、612】

6

近世

としま(江戸後期)

文化6

1809

1月

15日

高田四つ家町家主丑之助倅文次郎(16歳)、雑司谷町里俗大門辰之助店市助倅彦六郎(19歳)、里俗柳下善三郎店忠蔵(23歳)、鬼子母神門前甚八店鉄五郎(25歳)、鬼子母神歩射祭礼当前後藤七郎兵衛宅に乱入し、負傷者でる。このもめごとにより歩射祭礼簡略化される 【櫨楓】

7

近世

としま(江戸後期)

文政11

1828

雑司が谷村柳下安兵衛寺小屋入門者数(~1841・天保12年)文政11→男7・女8、文政12→男5・女4、文政13→男4・女3、天保2→男3・女4、天保3→男8・女2、天保4→男4・女6、天保5→男4・女4、天保6→男10・女2、天保7→男4・女3、天保8→男3・女4、天保9→男11・女3、天保10→男16・女19、天保11→男13・女9、天保12→男15・女5 【資2-148~54】

8

近世

としま(江戸後期)

文政12

1829

11月

雑司が谷村名主柳下三郎右衛門、「初生湯釜書上」を地誌調の節提出 【資1-400~1】

9

近世

としま(江戸後期)

安政5

1858

3月

雑司が谷柳下氏、宮負貞雄「草木撰種録」(文政11)を写す 【資1-420~1】

10

近代

としま(明治)

明治27

1894

10月

柳下会創立 【高田町政概要】

11

近代

としま(明治)

明治38

1905

6月

16日

柳下三郎右衛門、高田村長に就職を認可される。1920年10月26日退職 【府公報】