豊島区/としまひすとりぃ

年表検索結果
 
 
No 史資料 年表種別 元号年 西暦年 できごと

1

原始・古代・中世

としま(原始~織豊期)

康暦2

1380

千川墓地(現存せず)の板碑(弥陀)造立(現存せず) 【豊島の板碑】

2

近世

としま(江戸前期)

元禄9

1696

千川上水、小石川御殿・湯島聖堂・上野寛永寺などへの給水を目的として、玉川上水より分水される。工事請負人千川徳兵衛・千川太兵衛 【通1-566~7】

3

近世

としま(江戸前期)

元禄10

1697

千川上水素堀部分、検地により除地となる 【資2-382~3】

4

近世

としま(江戸前期)

宝永4

1707

長崎・池袋・巣鴨など20か村、千川上水の灌漑利用を願い認められる。水料米1反につき3升を千川氏へ納入する 【資1-567,資2-680】

5

近世

としま(江戸前期)

正徳4

1714

10月

千川上水の江戸市中給水中止 【通1-569】

6

近世

としま(江戸中期)

享保7

1722

10月

千川上水廃止され、以後農業用水となる。室鳩巣の建言によるという 【資2-680,資3-132、152、433、691】

7

近世

としま(江戸中期)

明和6

1769

2月

浅草田原町3丁目小兵衛店忠兵衛、同町1丁目嘉右衛門店孫兵衛、高砂町三郎兵衛店幸左衛門の3人願人となり、千川上水の再開工事を普請方役所に申請する。同年工事始まる 【御府内備考,新編武蔵風土記稿】

8

近世

としま(江戸中期)

明和8

1771

旱魃により玉川上水渇水となったため、千川用水の使用禁ぜられる。歎願の結果樋口半明け認められる 【通1-570】

9

近世

としま(江戸中期)

安永8

1779

11月

28日

千川上水再開工事完成し,巣鴨庚申塚より駒込辺などの見分あり 【御府内備考】

10

近世

としま(江戸中期)

天明1

1781

本郷下谷辺に、千川上水の水掛樋普請を認める。ただし小間1間につき1銭ずつ上納のこと 【資3-500】

11

近世

としま(江戸中期)

天明2

1782

8月

千川上水の水銭、小間につき28文の上納命じられる。1786・天明6年5月より半減 【御府内備考】

12

近世

としま(江戸中期)

天明6

1786

11月

千川上水、江戸への給水中止。水道に毒を流すとの雑説あり 【資3-152、216、433】

13

近世

としま(江戸後期)

寛政10

1798

千川善蔵・金七、長崎村内の千川用水路水番家絵図面を屋敷改役所へ提出 【資2-419・20】

14

近世

としま(江戸後期)

文化6

1809

3月

千川分水口、三分明命じられる 【資2-375】

15

近世

としま(江戸後期)

文政4

1821

4月

玉川上水減水により千川上水口、二分明に制限される。長崎・池袋・巣鴨など下流の村々渇水につき、苗代に難渋する 【資2-377】

16

近世

としま(江戸後期)

天保6

1835

3月

普請方役所、千川分水樋口を検査する。千川家請書提出 【資2-380】

17

近世

としま(江戸後期)

天保13

1842

2月

感応寺境内へ千川上水より引水の件調査あり 【櫨楓】

18

近世

としま(江戸後期)

慶応2

1866

2月

27日

池袋・巣鴨・長崎ほか17か村、滝野川大砲製造水車取建による千川用水の減水をおそれ、嘆願する 【資2-425~7】

19

近代

としま(明治)

明治13

1880

8月

21日

千川水道の再興を許可 【市史稿】

20

近代

としま(明治)

明治14

1881

5月

11日

千川水道取締禁例を定める 【市史稿】