函館市/函館市地域史料アーカイブ

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No 史資料 年表種別 元号年 西暦年 事項文 備考 関連

1

戸井町史

年表

永仁4年

1296

5月

日蓮上人の高弟日持上人がウスケシ(函館)を経て黒岩に立ち寄り、石崎の白石に滞留して小庵を結んで和人や蝦夷を教化し、椴法華から唐に渡ったと伝えられている。小庵は後に経石庵と称され、日持山妙応寺の前身である。

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1201

2

戸井町史

年表

享和元年

1801

文化五年に児玉紀成の書いた『蝦夷紀行』に東蝦地の六ケ場所を次のように書いている。 小安、釜谷、汐首、一所。戸井 一所。 尻岸内、根田内 一所。 椴法華、 尾札部、鹿部 一所。砂原、尾白内、森、鷲の木、茅部、石倉 一所。落部、 野田追 一所。

3

戸井町史

年表

天保3年

1832

7月

21日

米国の捕鯨船が一隻、椴法華沖、恵山沖に現われて、沿岸の住民を騒がせた。

4

戸井町史

年表

弘化2年

1845

6月

11日

恵山頂上附火の火口の天然硫黄が燃え出し、山麓の椴法華、シマドマリ、根田内の村々は大騒ぎとなり、翌十三日は約二百人の人足(にんそく)が登山して消火に努めたが消火せず、傍観するより方法がなかった。ところが十五日から大雨が降り続き、自然に鎮火した。

213

5

戸井町史

年表

弘化2年

1845

8月

1日

道南が大暴風雨に見舞われ、各地に被害があり、死傷者が出た。特に椴法華村では、山麓の崖(がけ)の土砂崩れで、家屋が埋没し、数十名の死傷者を出し、罹災者はシマドマリに転住した。

6

戸井町史

年表

弘化2年

1845

8月

松浦武四郎が八月二十二日森村を出発し、尾札部村から船で椴法華に渡り、尻岸内、戸井、銭亀沢の諸村を通り『蝦夷日誌』を著した。(巻の五)

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戸井町史

年表

弘化3年

1846

9月

30日

恵山が噴火し、泥流が東方椴法華村に流れ、椴法華の会所や民家が二、三十戸泥流に埋没し、多くの死傷者を出した。この噴火で家を失った人々は、悉く矢尻浜に移住して新しい部落をつくった。

8

戸井町史

年表

明治14年

1881

この年測量した村々間の里程は次の通りである。函館―下湯の川(一里二十八町五十九間)下湯の川―小安(三里四町五十間)小安―戸井(二里十一町二十二間)戸井―尻岸内(二里十四町三十間)尻岸内―椴法華(三里二十七町十六間)

802

9

戸井町史

年表

明治20年

1887

5月

20日

庁令第五十三号により、戸井村に亀田警察署の附属分署として、戸井警察分署が創設され、小安、戸井、尻岸内、椴法華の四ヶ村を管轄することになった。

1005
1007

10

戸井町史

年表

明治41年

1908

3月

23日

午前二時頃、椴法華村沖合約二海里の海上で青森港を出港して室蘭に向って航行中の陸奥丸(九一四トン)と室蘭から函館に向って航行中の秀吉丸(六九ニトン)とが衝突し、陸奥丸の船員、乗客合わせて二一一名が行方不明になった。

450

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戸井町史

年表

大正7年

1918

1月

18日

函館区音羽町奈良亀太郎外三名の函館の人が椴法華村から尾札部村字古部に行こうとして、椴法華村から磯舟を雇って出発したところ、銚子岬沖で俄かに襲った北西の強風のため磯舟が転覆し、乗客四人、村人二人が溺死した。

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12

戸井町史

年表

大正12年

1923

5月

2日

午前三時、椴法華村字島泊の理髪業中村幸次郎方の二階から出火し、二十六棟三十六戸を焼失した。

460

13

戸井町史

年表

昭和8年

1933

1月

函館・椴法華間の道路改修工事が古武井まで竣工し、乗合自動車が八往復運行するようになった。

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戸井町史

年表

昭和45年

1970

4月

1日

函館市から戸井、尻岸内、椴法華を経由して森町に至る道道が、国道に昇格し、二七八号線となり、その整備に着手されることとなった。

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