函館市/函館市地域史料アーカイブ

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No 史資料 年表種別 元号年 西暦年 事項文 備考 関連

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恵山町史

年表

延元4年

1339

当時の尻岸内は豪族相原周防守の所領といい、戸井、椴法華の両村は岡部六郎左エ門の所領地であったと伝えられる。

467

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恵山町史

年表

文化元年

1804

高田屋嘉兵衛、秋田茂吉が、恵山絶頂より恵山八幡社を椴法華村の現在地へ移したという。(椴法華八幡宮明細書)

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恵山町史

年表

文化5年

1808

この年児玉紀成の書いた「蝦夷紀行」に東蝦夷地六ヶ場所を次のように記している。『小安、釜谷、汐首一所、戸井一所、尻岸内、根田内一所、椴法華、尾札部、鹿部一所、砂原、尾白内、森、鷲ノ木茅部、石倉一所、落部、野田追一所』これは当時の場所の受持区域を示している。

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恵山町史

年表

文政5年

1822

この頃椴法華村中で硫黄を採掘し、松前氏へ石切金5両で上納した。

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5

恵山町史

年表

天保3年

1832

7月

21日

アメリカの捕鯨船が椴法華沖に姿を現し、ボートで6人が上陸したが、その後本船に戻り出航し、更に尻岸内沖に到った。このとき松前藩は一番手、二番手の出撃準備をしたという。

6

恵山町史

年表

天保5年

1834

この年もまた飢饉、「松前大保凶荒録」には「椴法華村天保四年楢実(スミダ)或ハ漁粕ヲ食シ又鱈、昆布ヲ漁採シ、又官ノ救助米アッテ僅カニ口籾(くちもみ)ス、此時米一俵二両二分、鱈一束(三十本)七十文…云々」

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恵山町史

年表

天保8年

1837

椴法華村に霍乱(カクラン)病流行して多くの人が死んだ。[霍乱病]とは急性腸カタル・コレラ・疫痢などをいう。

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恵山町史

年表

弘化2年

1845

6月

11日

恵山硫黄が自然発火して恵山の西手に火炎がえんえんと燃え出したので、椴法華島泊や根田内の村々は大騒ぎとなり、13日は約200人の人足が登山して消火に努めたが、消火できず、ただ傍観するのみであった。ところが15日から大雨が降りつづいたので自然に鎮火した。

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恵山町史

年表

弘化2年

1845

8月

22日

松浦武四郎が森村を出発、26日尾札部から船で椴法華に渡り恵山を山越えして根田内に到り、尻岸内、戸井、銭亀沢の村々を通って箱館に到り「蝦夷日誌」の初航版を著した。

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恵山町史

年表

弘化3年

1846

7月

晦日

大雨のため山崩れ発生、古武井死亡一三人、総戸数二三軒の内、潰れた家九軒、半潰(はんかい)一軒、根田内死亡一五人、怪我人一二人、椴法華死亡二五人、怪我人二四人、総家数四一軒内、潰れた家三〇軒、半潰七軒、船数七三艘。(蝦夷日誌)

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恵山町史

年表

弘化3年

1846

7月

晦日

夜一二時椴法華村の山崩潰(ほうかい)して四一戸の内、三八戸土中に埋没あるいは海中に押し出され、死亡者甚だ多数にして闇の事なれば岩陰等にて助命して夜の明くるを待つ。(亀田郡沿岸各村巡遊記)

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恵山町史

年表

弘化3年

1846

9月

晦日

の夜にてやありけん、エサンと云ふ所の山より遊泥を沸騰して、ふもとなる椴法華村人家と共に押され亡びたり(中略)世にいう山津波にて有けんかし(松前方言考)※9月晦日は7月晦日の誤りか。

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恵山町史

年表

安政2年

1855

椴法華の銅鉱を根田内の村民三次郎が開発。

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恵山町史

年表

安政4年

1857

3月

20日

箱館奉行の村垣淡路守、梶山らを従え、椴法華村から恵山を山越えして根田内に1泊、翌21日古武井熔鉱炉や女那川レンガ製造所などを視察。

937

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恵山町史

年表

安政6年

1859

3月

1日

箱館開運丸(100大石積)が椴法華村二ッ岩で大時化のため破船、乗組員5人中3人死亡、越後米120俵、酒1の他を流失。

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恵山町史

年表

明治3年

1870

2月

2月頃 イギリス帆船、下海岸及椴法華産の鱈を積込み横浜輸送販売。「ジョン・ウィル回想記」(当作守夫訳)

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恵山町史

年表

明治4年

1871

4月

亀田、上磯、茅部3郡所属の村落57を定め、尻岸内は小安、戸井、椴法華と共に茅部郡に所属した。

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恵山町史

年表

明治8年

1875

3月

椴法華、尻岸内両村民の寄附金、人夫65人ずつの労力奉仕で椴法華・尻岸内間の山道3里3丁30間を開削した。

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恵山町史

年表

明治9年

1876

1月

17日

椴法華、尾札部村より分村して椴法華村となる。

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恵山町史

年表

明治10年

1877

1月

10日

椴法華村の小谷金蔵、銚子澗で大セイウチ(トド)を発見、鉄砲とハナレで挑戦死闘4時間にしてようやく捕獲、31日持符船で函館へ回送した。