No | 史資料 | 年表種別 | 元号年 | 西暦年 | 月 | 日 | 事項文 | 備考 | 関連 |
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1 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
元禄5(壬申) |
1692 |
7 |
9 |
商人宮之越五郎右衛門,イシカリの藩主直場所の運上金上納,さらに来酉年秋味船の派遣願出,許可される. |
【関連】:第1巻p389 【出典資料番号】:18 |
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2 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
元禄5(壬申) |
1692 |
10 |
20 |
目谷六左衛門,勝手不如意につきイシカリ運上金一部赦免(秋味交易船か). |
【関連】:第1巻p388 【出典資料番号】:18 |
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3 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
元禄7(甲戌) |
1694 |
この年 |
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イシカリ川秋味上乗役山下伴左衛門の願により白鳥若太夫が初めてイシカリ弁天社の神体・神号等を勧進. |
【関連】: 【出典資料番号】:19 |
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4 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
享保年間(1716~1736) |
1736 |
この年間 |
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西川伝右衛門,イシカリ秋味漁として船2艘150両1カ年仰せつけられる. |
【関連】:第1巻p391 【出典資料番号】:25 |
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5 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
宝暦8(戊寅) |
1758 |
この年 |
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飛騨屋久兵衛,「石狩秋味囲切(あきあじかこいきり)」支配を行う.その後も引き続き夏商を明和5年まで継続か. |
【関連】:第1巻p400 【出典資料番号】:33 |
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6 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
明和2(乙酉) |
1765 |
この年 |
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熊野屋菊池忠右衛門,福山城表御門その他の普請支配の費用引当てとして,イシカリ秋味跡買添船(あきあじあとかいそえぶね)400石積1隻を運上金1カ年35両宛の積りにて許される. |
【関連】:第1巻p404 【出典資料番号】:40 |
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7 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
明和3(丙戌) |
1766 |
4 |
5 |
熊野屋忠右衛門,イシカリの鮭切囲(きりかこい)(浜の蔵に塩漬けにして囲い置き,翌年船に積込む塩引鮭のこと)10カ年拝領願に対し,この日家老松前広長よりまず3カ年許可される.その後,熊野屋,安永8年イシカリ鮭切囲と秋味跡買添船の両方の権利を没収される. |
【関連】:第1巻p404 【出典資料番号】:40 41 |
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8 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
安永8(己亥) |
1779 |
この年 |
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松前藩,イシカリ秋味を浅間嘉右衛門の一手支配とする.これにともない安永7年まで熊野屋忠右衛門に許可してきたイシカリ切囲・秋味添船を引き上げる(安永9年,飛騨屋,浅間嘉右衛門不法の件につき公訴.天明元年,事件の判決により嘉右衛門死罪申付られ,イシカリ場所より撤退). |
【関連】:第1巻p405 【出典資料番号】:40 43 45 46 |
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9 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
天明1(辛丑) |
1781 |
この年 |
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松前藩,小林屋宗九郎が幕府に訴え出た公訴を内済にする代わりとして,藩主直場所のイシカリ秋味1カ年惣船15隻6000石目をこの年より20カ年間小林屋に請負わせ,負債の引当とする. |
【関連】:第1巻p410 【出典資料番号】:48 49 50 |
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10 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
天明2(壬寅) |
1782 |
この年 |
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熊野屋忠右衛門,イシカリ切囲・秋味添船の代わりとしてイワナイ場所の請負を許される(『蝦夷地一件』によれば天明3年より20カ年間). |
【関連】:第1巻p404 【出典資料番号】:40 |
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11 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
寛政4(壬子) |
1792 |
夏 |
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夏から秋にかけて幕府のアイヌ救済交易がソウヤおよびイシカリで実施される.イシカリにおいては秋味漁を主として実施.この時西丸与力小林源之助,イシカリ川近辺の岩石・砂・化石類・草木類などを採取,『蝦夷草木譜』を残す(『蝦夷地見取絵図』によれば,小林源之助ら一行は3月29日にイシカリに到着,4月4日まで滞在). |
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12 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
寛政11(己未) |
1799 |
4 |
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松前藩,阿部屋伝兵衛を一代侍・大広間格に登用,イシカリ秋味ほか,ソウヤ・シャリ・カラフトなど「御手支配」場所の掛手付を命じ,かつ没収の家蔵屋敷などのすべてを返却する. |
【関連】:第1巻p414 【出典資料番号】:60 71 |
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13 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文化4(丁卯) |
1807 |
8 |
2 |
幕府若年寄堀田正敦(蝦夷地出張を命じられ箱館滞在),小普請方近藤重蔵・鷹野方山田忠兵衛・小人目付田草川伝次郎に西蝦夷地リシリ島辺までの見回りを命じる.9月1日近藤重蔵ら一行イシカリに到着,3人連名でイシカリ場所の立地等を記した用状を福山の遠山景晋宛に出す.近藤重蔵,ソウヤからの帰路テシオ川からイシカリ川上流に出る.一行の田草川伝次郎は『西蝦夷地日記』の中でイシカリ13場所について記す(イシカリ夏商として請負人米屋孫兵衛,トクヒラ・ハッサム・上ツイシカリ・シママップの計4場所を運上金255両で請負う.なお秋味は栖原屋が請負い,6500石産出). |
【関連】: 【出典資料番号】:70 89 |
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14 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文化6(己巳) |
1809 |
この年 |
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イシカリ夏商の請負として米屋孫兵衛,トクヒラ・ハッサム・上ツイシカリ・シママップのほか下ユウバリも加え,計5場所を265両で請負う.秋味の請負として松前城下町人,2500両で請負う. |
【関連】:第1巻p441 【出典資料番号】:94 |
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15 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文化12(乙亥) |
1815 |
この年 |
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阿部屋伝兵衛,イシカリ夏場所トクヒラ・ハッサム・上ツイシカリ・下ユウバリ・シママップの5カ所を320両で,ならびに秋味請負を2200両で,ともに5カ年間預かる(差配か). |
【関連】:第1巻p442 【出典資料番号】:98 |
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16 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文政1(戊寅) |
1818 |
8 |
8 |
幕府,イシカリ場所請負人阿部屋伝兵衛(この年より夏商・秋味請負ともに一括請負う)の願をいれて疱瘡流行につき当年より来る辰年(文政3年)まで3カ年間,イシカリ場所運上金を半減(1カ年秋味鮭運上金2250両を1125両に,13カ所夏運上金678両永175文を339両永87文5分に). |
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17 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
安政5(戊午) |
1858 |
8 |
11 |
イシカリ浜名主五十嵐勝右衛門,近隣より秋味出稼に700余人もイシカリに集住につき,「売女渡世(ばいじょとせい)」の者昼夜(1泊)の代金を2朱までとし,昼酒禁止の旨を市中に廻文を出す. |
【関連】:第1巻p758 【出典資料番号】:202 |
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