No | 史資料 | 年表種別 | 元号年 | 西暦年 | 月 | 日 | 事項文 | 備考 | 関連 |
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1 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
康正2(丙子) |
1456 |
夏 |
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東部のアイヌ,蜂起.この年春に東部志濃里(しのり)鍛冶屋村の鍛冶(和人)と注文主のアイヌ少年とマキリの価格について口論となり,鍛冶がアイヌ少年を殺害したことが原因(以後,大永5年までアイヌ,連続的に蜂起.そのため太平洋沿岸は鵡川,日本海沿岸は余市に至る間の居住和人の村里は滅亡,居住範囲は天の河と大館に縮小). |
【関連】:第1巻p362 【出典資料番号】:1 2 |
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2 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
長禄1(丁丑) |
1457 |
5 |
14 |
首長コシャマインに率いられたアイヌ,志濃里・箱館・中野・脇本等各和人館たてを攻略,12の館のうち残った下の国の守護茂別館主下国家政と上の国の守護花沢の館主蠣崎季繁は反撃に転じた.長禄2年,コシャマイン父子をはじめ多数のアイヌは討たれる. |
【関連】:第1巻p362 【出典資料番号】:1 2 |
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3 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文明3(辛卯) |
1471 |
夏 |
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夏から秋にかけてアイヌ蜂起や疾病・風災・飢饉が重なり,アイヌ・和人共に死者多数をだす. |
【関連】: 【出典資料番号】:1 |
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4 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
大永5(乙酉) |
1525 |
春 |
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東西両道のアイヌ蜂起,多数の和人死亡.生き残った者は天の河と徳山に集住. |
【関連】:第1巻p362 【出典資料番号】:3 |
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5 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文禄2(癸巳) |
1593 |
1 |
6 |
蠣崎慶広,豊臣秀吉より朱印状(1月5日付)を授けられ,松前(和人地)での交易独占者としての地位を保証される. |
【関連】:第1巻p363 【出典資料番号】:1 2 |
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6 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
寛永17(庚辰) |
1640 |
6 |
13 |
東部駒ヶ岳噴火,沿岸一帯に津波が発生する.福山近辺,和人・アイヌ共に死者700余人を数える(一説には戸勝より亀田に至るまで溺死500余人という). |
【関連】: 【出典資料番号】:2 3 10 11 |
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7 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
安永6(丁酉) |
1777 |
この年 |
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松前(和人地)の鰊漁,この年頃を境に減少に転じる.このため蝦夷地へ追鰊に出向く者,また蝦夷地へ出稼する者も増加. |
【関連】: 【出典資料番号】:242 |
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8 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
天明4(甲辰) |
1784 |
この年 |
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天明2年より凶漁つづきの江差の鰊漁が,この年皆無となる.この頃より鰊漁の中心が和人地から西蝦夷地のセタナイ・シマコマキ・スッツ・オタスツ辺に移る. |
【関連】: 【出典資料番号】:51 242 |
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9 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
寛政1(己酉) |
1789 |
5 |
7 |
この日より13日にかけてクナシリ・メナシ地方のアイヌが蜂起し,飛騨屋久兵衛請負場所の支配人・番人ら71人を殺害.7月8日アイヌ鎮撫を松前道広から命じられた新井田孫三郎正寿(番頭)以下260余人の鎮撫隊,ノツカマフに到着.間諜の謀略とアッケシの長イコトイ,ノツカマフの長シヨンゴ,クナシリの長ツキノエらの説得により蜂起のアイヌらは戦わずして投降し,ノツカマフに集結.7月17日3人の長に蜂起アイヌの取調方を命じる.20日和人殺害の廉によりホロメキ以下23人のメナシアイヌ,マメキリ以下14人のクナシリアイヌに入牢を申付け,翌21日37人全員を処刑する.この事件の結果,8月飛騨屋の請負っていたクナシリ・キイタップ・アッケシ・クスリ・ソウヤ場所支配を取り上げ,以後領主直交易とし,その差配方を阿部屋伝兵衛に命じる(実質的には請負と異ならない). |
【関連】: 【出典資料番号】:59 60 61 |
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10 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
寛政4(壬子) |
1792 |
4 |
24 |
後志地方に地震・津波.オショロ・タカシマ・オカムイ・シャコタン・ビクニ・フルビラにて鰊漁従事の和人・アイヌらに溺死者をだす. |
【関連】: 【出典資料番号】:65 |
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11 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文政5(壬午) |
1822 |
閏1 |
16 |
この日より有珠・虻田地震続発.19日有珠岳噴火,泥流大いに流失.和人およびアイヌ70余人死亡. |
【関連】: 【出典資料番号】:101 |
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12 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
嘉永3(庚戌) |
1850 |
この年 |
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和人戸数1万3301,人口5万9554人. |
【関連】: 【出典資料番号】:131 |
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13 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
安政2(乙卯) |
1855 |
この年 |
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ユウフツ・サル場所請負人山田文右衛門,シップの浜に大網1統,イシカリ川筋に小網14統の合計15統を持つ.イシカリの和人網では阿部屋6に対し山田4にあたる.長年イシカリ川口からバンナグロまでは阿部屋の引場であるため,入会網とする場合,阿部屋2統,山田1統を基本とする. |
【関連】:第1巻p781 【出典資料番号】:158 |
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14 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 明治以前 |
文久2(壬戌) |
1862 |
この年 |
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イシカリ場所鮭漁へのユウフツ場所からの出稼人アイヌ160人・和人32人. |
【関連】:第1巻p793 【出典資料番号】:218 |
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15 |
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 |
年表 社会・生活 |
明治6(癸酉) |
1873 |
4 |
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◎開拓使,賑恤規則の制定により,アイヌ民族の養育料・老病者の扶持などを和人同様とし,特別扱いを廃止. |
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