浅間焼覚帳 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
降った。湯の平まで石が降った。大石がおびただしく降った様子が、小諸からも見えた。 七月七日・八日には、追分宿では宿場中が家を閉め、みな縁故者を頼って逃げ出した。当 町宗兵衛殿方へは相聟の関係で、追分宿の孫右衛門... |
浅間焼覚帳 [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
中ニ大石もヲヒタヽシクフリ、一湯平ノ方迄石落候事、大石おびたゝしき小諸江見へ申候 事、七月七日・八日、追分宿ニ而は宿不残家内仕舞、所々江にけ、縁こ/\にけ申候&nbs p;(改頁)3 当町宗兵衛殿合聟... |
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之五 ○佐久郡小諸 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
29右追分宿へは3里半、牧野侯の居城です。(乙女が城ともいいます)城下の町は、25、6 丁ほどが、がにぎやかな町通... |
■諸国道中商人鑑 [解説] 3 松井田から追分まで |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
分去(わかされ))である追分にはふたつの行き先である小田井と小諸とが記されている 。文化・文政のころの追分宿は、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商家28軒(『商人鑑』に載る旅 籠屋はわずか4軒、商家8軒)と大きな宿場... |
■善光寺道名所図会 [翻刻] 善光寺道名所図会 巻之五 ○佐久郡小諸 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
29右追分宿へ三里半、牧野候居城、[乙女が城といふ、]城下の町凡弐十五六丁相対して巷 をなし、猶小路多く、家数千余... |
■信州善光寺御堂額之写 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 8.民話、俳諧、絵画等 |
益で両目が明き、嬉しく、余りのありがたさに自分の姿を描いて奉納し、世の人々にお知 らせ致します。中仙道追分宿甲州屋次郎右衛門」中仙道追分宿の甲州屋次郎右衛門は、長 いこと眼病を患い、盲目になってしまったので、同... |
■信州善光寺御堂額之写 [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 8.民話、俳諧、絵画等 |
たし、そのまゝきえうせにけり。ふしぎにもありがたく、現当二世のためにとてゑまを納 申候。(中段)中仙道追分宿甲州屋次郎右衛門、かん病長くわつらひ目つふれしかハ、同国 にまします善光寺如来さまへ心願いたし、せめて... |
■浅間山噴火の被害記 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
。沓掛宿はじめ、信州の木曽街道(軽井沢宿は除いて)では、鳴り音が強いだけで、被害 はそれほどなかった。追分宿へ西風が強く吹きかけた。沓掛宿では猪・狼が多く出て、人 馬が怪我をしたので、近辺の人々が鉄砲で大半を撃... |
天明3年7月14日 御役所より被仰渡御書付之写并請印 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が 軽井沢宿で、沓掛宿・追分宿(以上の軽井沢三宿は軽井沢町)・小田井宿(御代田町)を へて岩村田宿にいたる。次の宿場は千曲川に面した... |
天明3年8月23日 浅間山大焼け以来難儀につき見分願い [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が 軽井沢宿で、沓掛宿・追分宿(以上の軽井沢三宿は軽井沢町)・小田井宿(御代田町)を へて岩村田宿にいたる。次の宿場は千曲川に面した... |
天明3年12月10日 浅間山焼けにより小物成免除願い [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
村田宿は、中山道の宿場の一つで、江戸から碓氷峠を越えて信州に入ると、最初の宿場が 軽井沢宿で、沓掛宿・追分宿(以上の軽井沢三宿は軽井沢町)・小田井宿(御代田町)を へて岩村田宿にいたる。次の宿場は千曲川に面した... |
小諸洪水流失改帳 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)であ る。小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿と も呼ばれるが、三つないし四つの町から成っている... |
寛保二年大洪水余禄 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)であ る。小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿と も呼ばれるが、三つないし四つの町から成っている... |
小諸大変書 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)であ る。小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿と も呼ばれるが、三つないし四つの町から成っている... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)であ る。小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿と も呼ばれるが、三つないし四つの町から成っている... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
受けたのは、小諸藩の城下町であり、北国街道の宿場でもあった小諸町(現小諸市)であ る。小諸町は、中山道追分宿(現軽井沢町)から分かれた北国街道最初の宿場で小諸宿と も呼ばれるが、三つないし四つの町から成っている... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
でした。十二日に西の桜井村へ移られる予定でしたが、江戸より村上茂左衛門様という御 勘定方が、十一日の晩追分宿へ泊り、十二日に塩名田宿へ来られるというので、桜井文八 郎様は十二日に市町の宿(やど)から塩名田宿へ帰... |
■戸隠善光寺往来 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
宿、坂本宿は碓氷峠の麓、峠の熊野権現の社は信州と上州の境に鎮座している。軽井沢宿 、平葉の原、沓掛宿、追分宿は「信濃なる浅間の山」と歌に詠まれた浅間山の麓の宿場で 、まっすぐに行けば京街道・木曽街道で、右の方を... |
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之五 ○別所温泉 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
峠を越え、別所へ下ります。これは11里あまりの道のりです。別所から長瀬(注11)通り で海野宿へ出て、追分宿までは9里です。一東国から来て善光寺参詣し、別所北向山を参 詣するためには、海野宿から長瀬通りで別所へ... |
■善光寺道名所図会 [翻刻] 善光寺道名所図会 巻之五 ○別所温泉 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
んにハ、中山道洗馬宿より松本へ出、保福寺峠を越へ別所へ下り、十一里余、別所より長 瀬通り海野宿へ出て、追分宿まて九里也、(改頁)一東国より善光寺参詣に別所北向山へ 参らんには、海野宿より長瀬通別所へ三里余、諏訪... |