■諸国道中商人鑑 [解説] 4 小田井から本山まで |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
漬」など、飲食物が記されていることから、中小の旅籠屋では御休所も兼ねた営業をして いたとも考えられる。本陣や脇本陣などの大きな旅籠屋には飲食物の広告は見られない。 岩村宿の旅籠屋は8軒と少なく、本陣や脇本陣の... |
■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [ルビ・注記] 龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一) |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
には御板輿(いたごし)に召され、供奉員は騎馬人力車或は徒歩にて従ひ奉れり。行在所 (あんざいしょ)は旧本陣たる佐藤織衛の邸内にして「行在所」と厳(いかめし)く記し たる表門より遥入りたる処に新築したるもの是也... |
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之一 ○筑摩 洗馬 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
原の広野に出る最初の地です。木曽の喉にあたる重要な場所で、繁昌していて、遊女など も大勢います。洗馬宿本陣の百瀬氏と志村氏の林泉は中山道にも珍しいといわれています 。珍しい石や木がある枯山水は、訪れる旅客も多... |
寺子屋師匠の日記 [翻刻・注記] 寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 7.教育、人物・伝記 |
し只足を抜て断るより外なしと了簡を究め平生心友にて万事咄合致ス心友の朋友三日町村 伊兵衛殿子息後に松島本陣へ養子ニ成千葉原喜惣治殿也是江咄思案をかり相談之上取計は んと直ニ其夜三日町へ参り喜惣治殿へ委細噺し談... |
■むしくら日記 [現代訳] 2巻 亨 [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
あり、水も湛え木草も茂っていますが、たいへん狭くなって形が残っているばかりです。 今度のご巡見の時にご本陣になるはずの所だからと、その準備に建てた駒建だけは倒れも せずにそのままにあります。大門の敷石もそのま... |
■むしくら日記 [翻刻] 2巻 亨 [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
泉水の際に其まゝあり、水も能湛て木艸も生茂りたれど、いたく狭みて形チ残りたるのみ 也、今度御巡見の時御夲陣たるべき筈なればとて、其設けに建し駒建のみハ倒れもせす( 改頁)其儘ニ存せり、大門の敷石も其まゝありて... |
上田の早苗 [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 7.教育、人物・伝記 |
ルトキニ城中ヨリ木戸ヲ開キテ突テ出寄手ノ先陣ツキ立テラレケル処城中ヨリ左衛門佐大 勢ヲ随ヒテ秀忠卿ノ御本陣へ一文字ニ突かヽル、如何シタリケン、秀忠卿ノ備色メキ立ケ ルトキ左衛門佐勝ニ乗リテ突崩シケリ、秀忠卿大... |
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
う「永荒」と記しています。・田中宿は所沢川で発生した土石流が直撃しそのほとんどが 流失しました。問屋と本陣を兼ねていた小田中家の当主と家族は流死、実家に帰っていた 左太夫が生き残ったといわれています。海野宿も... |
■諸国道中商人鑑 [解説] 3 松井田から追分まで |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
分え一里三丁」旅籠屋が5軒、店1軒が掲載されている。文久元年(1861)11月8日、和宮 御降嫁の際の本陣御宿泊所となったことが大きなできごとであった。沓掛宿は3回の大火 に遭っている。安永2年の大火では総戸... |
地震後世俗語之種 第1冊 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
所を決めたものです。舟着き場は最も川上にあった時は、裾花川の合流点を過ぎてそこか ら南下して、丹波島宿本陣の真北に当たる場所で、最も川下にあった時は綱島の裏にかか っていました。そのころ俗説で、舟着き場が川上... |
地震後世俗語之種 第1冊 [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の便利をはかりてこゝに位置を定めしなり。渡船口は、最も上なるときは裾花川を渡りそ れより南して丹波島駅本陣の真北にあたり、最下なるときは綱島うらにかゝるなり。其頃 俗諺にいふ、船場口上なるときは米穀の直段上り... |
小諸洪水流失改帳 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
くられた荒町を加えると四町になる。このうちの本町が壊滅的な被害を受けたのである( 史料には、本町では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと記されている)。 小諸町は浅間山の南西側の山麓に位置した城下町... |
寛保二年大洪水余禄 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
くられた荒町を加えると四町になる。このうちの本町が壊滅的な被害を受けたのである( 史料には、本町では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと記されている)。 小諸町は浅間山の南西側の山麓に位置した城下町... |
小諸大変書 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
くられた荒町を加えると四町になる。このうちの本町が壊滅的な被害を受けたのである( 史料には、本町では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと記されている)。 小諸町は浅間山の南西側の山麓に位置した城下町... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
くられた荒町を加えると四町になる。このうちの本町が壊滅的な被害を受けたのである( 史料には、本町では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと記されている)。 小諸町は浅間山の南西側の山麓に位置した城下町... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
くられた荒町を加えると四町になる。このうちの本町が壊滅的な被害を受けたのである( 史料には、本町では「本陣・問屋」などが流され、「亡所」になったと記されている)。 小諸町は浅間山の南西側の山麓に位置した城下町... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
半分と長屋を押し流しました。本町は、中沢川から泥流が押し寄せ、町を押し流しました 。本町問屋平右衛門、本陣清兵衛の家は破風のついた高い家ですが、泥流はその棟を越え ました。泥流は、平右衛門家・清兵衛家の人々を... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
神・稲荷之御宮、御銭蔵・御詰蔵、御城裏御馬場無残所御覧被遊、夫レより瓦御門江御出 被成、本町押流御覧、本陣清兵衛屋敷跡より向、六供祇園之社迄御覧被成、御昼弁当被遊 、御弁当御銘々持ニ被成、御地頭より御馳走何ニ... |
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
馬は一四ひき流され流れつぶれた家は二〇七軒にのぼりました。なお、小諸城下や旅人の 被害はわかりません。本陣・問屋・庄屋でも流死者がでました。一佐久郡は大災害となっ ています。一諏訪は無難でした。長久保・芦田の... |
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
、田町、本町亡所、流死三百四拾人、馬拾四疋、流潰家弐百七軒尚御城下之分此外通かゝ り候旅人数不知申候、本陣、問屋、庄や流死。一佐久郡大変。一諏訪無難、長久保、あし た中山通(ママ)之内、望月宿砂入、其外ハ田畑... |