NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
 上杉景勝への従属と証人信繁(弁丸)
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
の沼田引渡し命令を拒絶し、いよいよ徳川軍の攻撃を受けそうになってから、真田昌幸は
援軍を得るために上杉景勝に従属する。昌幸の出した誓詞に応えてであろう、景勝が昌幸
に誓詞を与えたのは、最終的に昌幸の上杉氏への...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
東西に分かれた真田父子
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
康勢・西軍の決起を告げ、豊臣秀頼への忠節、つまりは西軍への同心を求めている。家康
(内府)が会津の上杉景勝征討の軍を起こしたのは誓詞や太閤の置目(遺言)に背くもの
であり、相談して「楯鉾に及」ぶ、即ち挙兵した...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の真田再征進発と秀吉による懐柔
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
て真田再攻の軍を起こし、十九日には駿府に至っている。今度は秀吉も家康の真田討伐を
承認し、さらには上杉景勝に真田支援の禁止を命じてまでいる。八月七日付け上杉景勝
ての秀吉の臣増田長盛・石田三成書状では、真田...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
秀吉の死と家康の上杉征伐
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
かし、利長は家康と争おうとはせず母親を人質として江戸へ送っている。これについで家
康がねらったのが上杉景勝であった。景勝は慶長四年九月に帰国していたが、会津百二十
万石へは前年に越後から移されたばかりであり、...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
三成ほか西軍諸将よりの書状
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
十七日付けの挙兵の第一報に続く長束正家らよりの書状。先に出した家康弾劾状が着いた
かを聞き、家康の上杉景勝征討のための出陣を非難するとともに、大坂城西の丸にいた家
康の留守居を追い出し、替って毛利輝元がそこへ...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
徳川秀忠軍の上田攻め
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
五年(一六〇〇)八月二十一日真田信幸(伊豆守)の沼田領は、徳川に敵対した父昌幸の
信州上田領および上杉景勝の会津領と接していた。信幸はそれぞれの境界の出入口を、し
っかり固めさせている、と家康に報告した。それ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
上杉方による上田城増築普請
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
遂げ、敵を千三百余討ち取ったとしている。なお、上田(神川)合戦の際の上杉勢の具体
的な動きについては、景勝自身の出馬は長沼(長野市)までであり、「惣人数五千余、真
田館際に陣取る」と見えるだけで、実際の戦闘に...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
小田原出陣
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
あたって、真田昌幸は前田利家が指揮する「北国囗」の一員を命ぜられた。その軍勢は、
真田昌幸三千人、上杉景勝一万人、前田利家一万人で、計二万三千人というものであった
。上杉勢と木曽を経て進軍してきた前田勢と合流...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康重臣石川数正の秀吉への寝返り
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
ら駐在していた徳川の重臣たちが、十一月の半ばに突然遠州へ引き上げてしまった。これ
について昌幸は、上杉景勝の重臣直江兼続に宛てた十一月十七日付けの書状で、「甲州・
佐久郡・諏訪郡主に指し置き候平岩七之助(親吉...
■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [ルビ・注記]
龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一)
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
之を愛したりしを以て初めは之を加賀松と称びしなりとか伝ふ]道より少しく右に入り、
千曲浅間を眺め得べき景勝の地を選びて御野立(のだて天皇の野外の休息所)場を立つ、
小諸町の造営する所にして、普請はこの間際俄に...
■二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 [翻刻]
[[翻刻]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
の高嶺ならび立、東ハ駿河なる不二の高根を遥に望み、湖水の順道三里とはいへども、乱
山重畳の内に有て風色景勝又筆に尽すべからず。殊に奇と称するハ、冬月湖上一面に厚氷
張り詰たるを、人馬皆氷の上を往来し、諏訪の上...
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之二
○筑摩 青柳
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
が没落し、小笠原貞慶(さだよし)が帰城の後もなお小県(ちいさがた)郡の真田氏等に
味方して、越後の上杉景勝に志を通じて、小笠原家ヘ一応の届もなく無礼であり、ことに
怨敵の憤りがあれば、取り合いがはじまる、麻績...
■善光寺道名所図会 [翻刻] 善光寺道名所図会 巻之二
○筑摩 青柳
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
の武田家に属し、五十騎の軍役たり、甲州没落、小笠原貞慶帰城の後もなほ小県郡の真田
等と一味して、越後の景勝へ志を通るにや、小笠原家ヘ一応の届もなく無礼の様子なり、
殊に怨敵たりし憤りあれバ、取合始りける、麻績...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
玄・上杉謙信が争奪戦をくり返したことで有名な地であるが、ここは信長横死直後の六月
中に謙信の後継者上杉景勝が、ほぼ掌握した。真田昌幸は、小県へも侵入した上杉に一旦
は従った後、七月には佐久、小県へと軍勢を進め...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の命令による上田築城の開始
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
して、この普請とは間違いなく上田築城普請のこととみられるのである。また、その築城
開始の報に接した上杉景勝は早速それに対する妨害を北信濃の配下の将士に命じている。
その命を受けて上杉勢は集結しているのだが、実...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田昌幸、徳川と断交へ
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
で沼田城代であった矢沢頼綱らが、北条方からの使者を成敗、つまり斬殺するという事件
も起こしており、上杉景勝はそれを賞している。真田方は、北条方への沼田城引渡しを、
断固拒否したものであり、この時点で真田は徳川...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
昌幸の秀吉への接近
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
みられていた。しかし、昌幸は実際には上杉氏に従属する以前から、秀吉への接近を図っ
ていたのだった。上杉景勝が真田昌幸に宛てた誓詞の中に「春松太夫」という名が見える
のだが、これは上方から信濃へも訪れていたむ幸...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
徳川方への攻勢
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちら真田昌幸は、上杉景勝そして秀吉との提携もなり、徳川軍
の攻撃をしのぎ切ることもできた。さらに前項で見たように昌幸は、秀吉よ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田・小笠原・木曽、家康の与力に
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
、秀吉の下へ出仕したあと、駿府の家康の下へ挨拶に出向いている。しかし、秀吉は特に
昌幸については、上杉景勝の与力扱いから外しただけで、実質的には直臣化したといって
よい扱いをしている。この後も家康を全く介する...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
家康の関東移封と真田昌幸・信幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
五九〇)七月の小田原の役終了と同時に、秀吉の命で家康は北条氏の遺領関東へ移封とな
った。そのため、上杉景勝領となっていた北信濃四郡を除く、家康配下の信濃の諸領主は
根こそぎ関東へ移されることになる。これに対し...