NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「月桂新誌」(7冊) [解説]
[[解説]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    7.教育、人物・伝記
までは窪田重平がなっている。編輯長は4人で、第29号(明治12年8月4日)までは竹内泰
信、第52号(明治13年2月1日)までは松沢求策、第69号(明治13年5月26日)まで市川量
造が社主兼編輯、それ以降は、仮編...
松沢求策と奨匡社の国会開設運動トピック(
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    パスファインダー
代、国会開設運動は愛国社系政社の潮流、都市民権派の潮流、 在地民権結社の潮流があ
った。信州においても明治13年、松本におい て松沢求策等によって奨匡社が設立され国
会開設請願運動が展開され た。奨匡社の国会開設請...
■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [解説] Ⅰ六大巡行の概要
2明治六大巡行の概要(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』より)
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
寺実則、侍補佐々木高行、陸軍少輔大山巌、内務書記官品川弥二郎等300名余に警部・巡
査約400名(4)明治13年の巡行日程6月16日~7月23日行程(府県名)山梨、長野、愛知、
三重、京都、兵庫随行官員太政大臣三条...
■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [解説] Ⅲ六大巡行の歴史的意義
1巡行における府県の布達
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
明治11年に地方官へ国旗・提灯で奉祝の形を表すことを人民の自由意志にするよう指示し
た。「不敬禁止」は明治13年・14年のみ地方官心得書に載ったが、これは不敬にさえなら
なければ立礼・蹲踞(そんきょ)は土地の習慣に...
■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [解説] おわりに-近代天皇制国家への道
[[おわりに-近代天皇制国家への道]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
とき、明治天皇の巡行が呼び出されたのである。戦時中の昭和18年、県立長野図書館長で
あった乙部泉三郎は明治13年の松本巡行についてラジオ放送で「…畏くも陛下が人民の生
活を御覧になられた一方におきましては、人民は又...
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之一
○筑摩 郷原
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
。深さが20メートルもある深井戸の場所は、下問屋南・郷福寺入口・お茶屋付近の3ケ所
です。郷福寺には、明治13年(1880)6月25日に、明治天皇巡幸のさいに御小休の石碑が
建っています。本堂南側に、高さ63センチ...
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之一
○筑摩 松本
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
この井戸は湧水量も多く水質もよいため、松本城ができる前から飲用水、酒造用水として
利用されてきました。明治13年の明治天皇の巡幸の際には、御膳水として使用されました
。その後水量は減少しましたが、周辺のまちづくりに...
■分県之建白 [解説]
分県建白書の提出
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    6.行政、政治等の記録
名運動は中南信140か町村におよび、その署名数は1万2000人でした。当時としては国会開
設請願運動(明治13年)と並ぶ大がかりな署名運動でした。この署名数は当時の中南信10
万6000戸の11%に当たります。署名...
■木曾山林学校要覧 [ルビ・注記]
2.木曽の歴史
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    7.教育、人物・伝記
配下にある小国)となり、福島の関を守ること旧の如し。明治維新に至り額土の奉還と共
に福島の関を撤去し、明治13年西筑摩に編入せられ、長野県の治下に属するに至れり。此
に木曽谷政次権革の大要なり。 (改頁)...
■木曾山林学校々友會報 第一號 [ルビ・注記]
[注記]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    7.教育、人物・伝記
山口県出身。1843年生れ、幕末期の萩藩士、明治期の藩閥政治家。ドイツ・イギリスに留
学。本文の時点(明治13年)では宮内省御料局長心得であるが後局長。明治15年に大日本山
林会が創立されると初代会頭(総裁)に伏見...
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」  [ルビ・注記]
[[ルビ・注記]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    7.教育、人物・伝記
れない。(注1)松平忠礼(ただなり)。上田藩最後の藩主。明治四年廃藩置県後、アメ
リカに留学し、帰国後明治十三年に外務省に勤めた。小河君が、私の善後策として、案を
立てゝくれた、それは帝大(注1)の別科法学部に入学...