上田の早苗 [翻刻] [[翻刻]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 7.教育、人物・伝記 |
三万石ノ領主トナレリ、[処替ハ必竟城郭修覆ノ罪ナリシト聞エタリ、]一元和八年十二月 、仙石兵部少輔忠政小諸城ヨリ上田城ニ転ス、小県郡村数八十五ケ村高五万石、更級郡川 中島ニ於テ更ニ八ヶ村高一万八十八石八斗五升三... |
小諸洪水流失改帳 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方 向へ流れている。町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千 曲川になる。町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(... |
寛保二年大洪水余禄 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方 向へ流れている。町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千 曲川になる。町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(... |
小諸大変書 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方 向へ流れている。町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千 曲川になる。町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方 向へ流れている。町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千 曲川になる。町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の南西側の山麓に位置した城下町で、山麓を下りきったところを千曲川が東南から北西方 向へ流れている。町が小諸城より高い位置にあり、城から急坂や断崖を下ると、そこが千 曲川になる。町へは浅間山麓から蛇堀川・松井川(... |
寛保二年 小諸大洪水変地絵図(2)の裏書 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
小諸大変次第書小諸城主が牧野内膳正様の時代のことです。越後国与板藩主であった大殿 様(祖父)の牧野周防守様が、元禄十六年九... |
浅間焼覚帳 [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
山が噴火したため、途中で逗留した。本庄宿に泊まり、安中宿に逗留し、ようやく七月一 六日の夜一〇時過ぎに小諸城へたどり着いた。そのため町役人は、夜に入って、御家中御 役人様方が無事帰国されたことのお祝いを申し上げ... |
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
の六供、田町、本町が流失し、流死者は三四〇人、馬が四匹流され、流れつぶれた家は二 〇七軒でした。なお、小諸城下を通りかかった旅人の数は知れず、その消息もわかりませ ん。本陣、問屋、庄屋の人々も流死しました。『小... |
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [現代訳] [[現代訳]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 1.震災・火災・水害等災害の記録 |
町、本町が流失し、流死者は三四〇人、馬は一四ひき流され流れつぶれた家は二〇七軒に のぼりました。なお、小諸城下や旅人の被害はわかりません。本陣・問屋・庄屋でも流死 者がでました。一佐久郡は大災害となっています。... |
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之五 ○佐久郡小諸 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 2.紀行文・道中記、地誌 |
。脇指は、背丈よりも長いものを畏れずに横たえます。女の子は装いたて、多くの人が町 々から出そろいます。小諸城下から布引観音(注2)まで1里あまりです。千曲川の橋を渡 り、大久保村・氷村を過ぎ、坂道が険しく、往来... |
■浅間山 [解説] 第三編 浅間山変異記 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 4.地域の記録 |
日碓氷峠を越え軽井沢宿へ乱入・・・岩村田へ打ち入り・・・野澤に乱入、隅屋甚五右衛 門を散々に潰し・・・小諸城下へ・・・田中から海野へ・・・上田町へと進みました。一 揆勢は、上州から信州の佐久、小県の町村へと、広... |
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役 小田原出陣 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 4.地域の記録 |
たすよう命じている。大道寺政繁が降伏し松井田城が落ちたのは四月二十日であった。な お、松井田城攻撃には小諸城主依田(芦田・松平)康国も加わった。前田・上杉・真田・ 依田の四手で分担し四方から攻めたという。真田昌... |
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏 伏見城普請 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 4.地域の記録 |
ったことは確かだが、それも昌幸・信幸のものだけでなく、信繁の屋敷もあったとみられ る。なお、上田の隣の小諸城主仙石秀久は元からの秀吉家臣でもあり、もちろん伏見に屋 敷を構えていた。「仙石家譜」等によれば、秀久自... |
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏 上田城の大改修 |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 4.地域の記録 |
られるようになる。松本城では五層の大天守が築造され、諏訪高島城でも三層ながら天守 が建てられた。また、小諸城にも天守台の高い石垣が残り、かつては三層の天守があった と伝えられている。天正十三年には一応の完成をみ... |
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦 徳川秀忠軍の上田攻め |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 4.地域の記録 |
は上田城に立て籠もり、押し寄せた徳川秀忠軍三万八千を、わずか二千五百という兵で待 ち受けた。九月二日に小諸城に入った秀忠は、まず昌幸に降伏を促したが、それを受け入 れる態度を示した昌幸にはぐらかされている。後は... |
■小諸繁昌記 [解説] [[解説]] |
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 5.繁盛記、社史、産業の記録 |
す。一、「官衙・学校」では「小諸義塾」を簡単に紹介しています。二、「神社・仏閣」 の6「懐古園神社」は小諸城主牧野氏と旧城の鎮守である天神と火魂の二神を祀ってある と述べています。三、「工場」では「純水館碓氷社... |