NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
東西に分かれた真田父子
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちらこうして徳川家康の命に従い、会津遠征の軍に加わるべく
、下野国犬伏(いぬぶし)(栃木県佐野市)に陣を取っていた真田...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
徳川秀忠軍の上田攻め
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちら徳川軍は家康が東海道を、秀忠は中山道筋を進むことにな
った。会津攻めの途上、宇都宮に滞陣していた秀忠は八月二十三日に、...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の真田再征進発と秀吉による懐柔
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちら話は前後するが、秀吉が家康の出仕を要請したのに対し、
家康は、信濃の情勢、特に真田との問題を理由に出仕を先延ばしにしたらしい。こうし...
■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 10.真田関係資料目次
真田家文書 上巻
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田昌幸宛行状………108羽柴秀吉書状………109羽柴秀吉書状………1110豊臣秀吉書状……
…1211徳川家康書状………1312豊臣秀吉書状………1413豊臣秀吉朱印条目………1614豊臣
秀次書状………19...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の命令による上田築城の開始
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
には真田に反旗を翻した。そのため閏一月に昌幸はこれらと戦闘を交えている(4)。こ
れに対する措置として家康は、三月には「佐久小県の逆心」の徒の討伐のためとして、昌
幸に近く出馬する旨を伝えるとともに、南信濃伊那郡...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
北条氏討伐へ
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
に預る者として、北条を是非とも誅伐しないわけにはいかない旨を通告している(写真)
。北条氏の当主氏直は家康の娘婿でもあった。徳川の最大の同盟者北条を倒すことは、
の力を殺ぐことにもつながり、秀吉としてはまさに...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
三成ほか西軍諸将よりの書状
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
檄文に名を連ねていた三人、長束正家・増田(ました)長盛・前田玄以については、長束
は自殺したが、増田は家康に内通していたものの許されず高野山へ追放、前田は戦闘に加
わらず戦後、家康に謁して本領を安堵されている。真...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田・小笠原・木曽、家康の与力に
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちら天正十四年(一五八六)十月、家康は大坂城の秀吉の下に
出仕した。こうして家康との和議が完全になった中で秀吉は、真田昌幸・小笠原貞慶・木
曽義...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
家康の関東移封と真田昌幸・信幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちら天正十八年(一五九〇)七月の小田原の役終了と同時に、
秀吉の命で家康は北条氏の遺領関東へ移封となった。そのため、上杉景勝領となっていた
北信濃四郡を除く、家康配下の信濃の諸領...
■秀吉と真田 「真田」の錦絵
[[「真田」の錦絵]]
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意として絵筆をふるった。当時の最も活動的な絵師の一人。[目録]  幸村、巡
見中の家康を追い詰める<史料解説>「幸村、巡見中の家康を追い詰める」大蘇(月岡)
芳年(一八三九~一八九二)画上田市...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康、秀吉に臣従
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
吉と真田」の目次はこちら秀吉は、石川数正を寝返らせた直後には、右で見たように出馬
して成敗してやると、家康に対する威勢のよい武力討伐の方針を語っていた(8)。最新
の研究では、秀吉は本気で家康を攻めるつもりで準備...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
秀吉の死と家康の上杉征伐
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
城で没した。秀吉の遺言は五大老が遺児秀頼の成人するまで補佐するというものだった。
しかし、五大老筆頭の家康は、当初より秀吉の遺命に背く行動をとった。かろうじて家康
に対抗しえた前田利家も翌四年閏三月に死去する。そ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
に従った。このような動きは真田氏だけでなく、周辺の中小領主もほとんど同じであった
。しかし、九月末には徳川家康の意を受けた佐久の依田信蕃(のぶしげ)らの勧誘を受け
入れ、家康に従属する。このおり徳川方は、滝川...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康重臣石川数正の秀吉への寝返り
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を遣わして様子が分かったら報告申し上げる、この趣を(景勝に)披露していただきたい
、としている。これは家康の幼時からの側近であった重臣石川数正が岡崎城を出て秀吉の
下に走ったためだった。この突発事件に動揺した家康...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
北条の兵、名胡桃城を奪取
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へ入った猪俣(いのまた)邦憲が攻め、乗っ取ってしまったのである。これについて真田
信幸より報告を受けた家康は、十一月十日付け書状で、先の沼田城明渡しの両上使(津田
・富田)へ、まずは使者を出して知らせるよう指示し...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
真田氏の動静
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
動きを知る史料としては、まず慶長四年閏三月二十五日の信幸宛て徳川秀忠返書が上げら
れる。これによると、家康が伏見の自邸から伏見城へ移ったことを信幸が江戸の秀忠に報
じていた。これより、まず信幸も伏見にいたことが分...
真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)・信繁
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 真田信之(信幸)上田合戦 関ケ原の戦い 真田十勇士 犬伏の陣 上田 沼田 松代
 大阪 信玄 秀吉 家康1 書名真田家文書 [上巻・中巻・下巻]著者名 出版社 出版
年米山一政/編 長野市 1981ー1983真...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田昌幸、徳川と断交へ
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「秀吉と真田」の目次はこちら家康は、真田の要請に応じた形で佐久小県の残徒討伐を名
目に出陣し、最低限の構にせよ上田城も造ってやり、恩を売っ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
昌幸の秀吉への接近
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
日かその少し前に、上杉氏の使者により、昌幸の書状が秀吉方へ伝えられ、また、昌幸の
件について、つまりは家康と争っている件の詳細が、関白秀吉に言上されていたのであっ
た。その上で、昌幸の思うとおりに取計ってやるとの...
真田氏関係の城址、寺社、文化遺産トピック
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幸・信之・幸村宛豊臣氏 普請奉行連書状、真田昌幸宛長束正家等連署状、真田親子犬伏
密談 図、真田信幸宛徳川家康書状、真田信幸宛徳川家康安堵状、真田昌幸 宛石田三成書
状、真田父子上田篭城図、高野山蓮華上院、真...