NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 [現代訳]
[[現代訳]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
つではない。一つは善光寺より犀川を渡り、芝村の阿弥陀堂を拝し、千曲川を越えて松代
の城下に出、ここから塩崎、稲荷山、麻績、青柳、会田、刈谷原、岡田を経て松本の城下
に至り、再び越後の高田へ戻る方法がある。続い...
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [解説]
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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    1.震災・火災・水害等災害の記録
下流坂城町との境、大日向以下は真田地域です。この両地区での被害も甚大なものでした
。・川中島、稲荷山、塩崎地域は上田藩松平氏の近親者が納めている領地ですから情報が
入り『問屋日記』に記されているのです。八月一...
■二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 [翻刻]
[[翻刻]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
拝の巡路一ならず。或ハ善光寺より犀川を渡り、芝村の阿弥陀堂を拝し、千隈川を越へ松
代の城下に出、是より塩崎、稲荷山、をみ、青柳、会田、かいやハら、岡田を経て松本の
城下に至り、再び越後の高田へもとるもあり。直...
弘化丁未夏四月十三日信州犀川崩激六郡漂蕩之図 [現代訳]
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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    1.震災・火災・水害等災害の記録
2丈(6メートル)余も増水し、上流は横田(長野市篠ノ井)・篠ノ井(篠ノ井駅付近では
なく、長野市篠ノ井塩崎)までさかのぼりました]。夜10時ころには水の広がりは東西で5
~7里(20~28キロメートル)、南北...
■むしくら日記 [翻刻] 4巻 貞
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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    1.震災・火災・水害等災害の記録
て殊の外流行したりとそ、公義より厳度御停止ありて、読売も錦画も後にハ止たりしと云
、川中嶋の内にても[塩崎領]地震潰水押抔部分にしたる絵画売たり、人の持居たるを借見
しか、山中辺抔大に違たる所も有し、江戸にて...
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [現代訳]
[[現代訳]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    1.震災・火災・水害等災害の記録
同じでした。下塩尻下村、中島、新屋、大日向、横沢久保、軽井沢、大庭も流失しました
。一川中島、稲荷山、塩崎が流失、岡田には土砂が流入しましたがそのほかの一万石の領
地は無事でした。一千曲川東の松代も被害を受け...
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記より [翻刻]
[[翻刻]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    1.震災・火災・水害等災害の記録
、右同断、下塩尻下村亡所、中島、新屋亡所、大日向、横沢久保、軽井沢、大庭亡所同前
。一川中島、稲荷山、塩崎亡所同前、岡田砂入其外壱万石之内無難。一川東通松代大変、
下越後大水。一江戸大水、五百羅かんはふ迄水つ...
■龍駕の跡 (明治11年の天皇北陸・東海道巡行) [ルビ・注記]
龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一)
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
なく船渡しによらなければならなかった。矢代(屋代)舟渡は、矢代宿の新町を下った千
曲川岸にあり、対岸の塩崎村唐猫神社側との間に設けられていた。(江戸前期は下流雨宮
に「犬ケ瀬船渡」があった。)矢代船渡しには船...
■安曇・筑摩両郡旧俗伝 [現代訳]
[[現代訳]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
郡の(改頁)中でも筑摩と安曇ノの両郡ははてしなく広い海原(うなばら)だった、中山
の崎から湖が入るので塩崎といい、その潮は伊奈(伊那)郡へ流れる、塩尻(しおじり、
塩尻市)の名もここからはじまった、深瀬(ふか...
■安曇・筑摩両郡旧俗伝 [翻刻]
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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
当国信濃十二郡乃(改頁)6中ニモ筑摩・安曇ノ両郡ハ漫々タル海原ナリ、中山の崎より
湖サシ入リシニ依テ、塩崎卜称し、其潮伊奈郡へ流ル、塩尻の号も爰ニ始レリ、深瀬卜云
ハ其中ニ川筋乃深き瀬有し所トカヤ、山家乃名ハ...
■松代イラストマップ
19白鳥山證蓮寺
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
子、康楽寺二世の法眼淨賀を開基とし、東条村に建立され、慶長年間に現在地に移った。
西仏坊覚明は、篠ノ井塩崎の康楽寺を開山。伝承では、滋野一族の流れを汲む海野小太郎
幸親の子で、木曾義仲の祐筆だったとも伝わる。...