NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■安曇・筑摩両郡旧俗伝 [現代訳]
[[現代訳]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
まてらすおおみかみ)が岩戸(いわと、天の岩屋戸)に籠ったとき、天地が真っ暗闇にな
ってしまったので、手雄命(「日本書紀」では天手雄神、あめのたぢからをのかみ)
が岩戸を取り上げて投げたところ、この岩戸が...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田昌幸、徳川と断交へ
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
た。その後の真田氏は、徳川とは断ちながらも全くの敵対というものではなく、徳川・北
条・上杉という三大勢の間にあって、上杉寄りの姿勢ながら独立の形であったとみられ
る。そして、天正十二年(一五八四)に起こっ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田・小笠原・木曽、家康の与
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
ものにしようとしたのだろう。これで昌幸らは秀吉の政権下で、家康の指揮下に属ずる大
名となった。いわば与大名の形である。翌天正十五年三月に昌幸と貞慶は、秀吉の下へ
出仕したあと、駿府の家康の下へ挨拶に出向い...
■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 10.真田関係資料目次
真田氏三代
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信綱の家督相続………85幸隆没する信綱の支配信綱・昌輝の戦死2昌幸のもとで………90
領主として武田権の中枢で御館の乱と昌幸上野支配の要独自性を強める新府城築城と沼
田城奪還沼田領支配の強化3武田氏滅亡の...
■松代イラストマップ
32芳谷山 梅翁院
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願殿。右京が篤く信仰した魚濫(藍)観世音菩薩(江戸中期の作)を祀る。水との縁が深
く、ものを生み育てるを具備、妙智を持って善男善女に利益を授ける菩薩さま。近年
は、安産、子育て、商売繁昌の仏さまとして信...
■安曇・筑摩両郡旧俗伝 [翻刻]
[[翻刻]]
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なり、有明山の名ヲ戸放カ嶽とも云フ、其子細ハ往昔日乃神岩戸ニ籠ラセ給ひしとキ、天
下黒闇ト成ケル故、手雄命岩戸ヲ取りて投給ひしカハ、岩戸此所ニ落止レリ、夫ヨリ天
下又明カニ成故ニ、此山を有明山共、戸放カ嶽...
■上田郷友会月報 創刊号 [解説]
2 われらが国を引っ張っていこうという気概の籠った「緒言」
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のいで日本の名を世界に輝かせるためには、文学、技芸、農工商の進歩をなさなくてはな
らない。そのための努をしなければならない。そのためには、まず国を作る郡や村の隆
盛を図らなくてはならない。その隆盛如何で国...
■上田郷友会月報 創刊号 [翻刻]
[[翻刻]]
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再ヒ困難ヲ告ゲタリ茲ニ於テ乎会員相集リ本会保続ノ事ヲ討議ス甲諭シ乙駁シ終ニ本会ノ
維時法ハ本会ヲシテ勢ヲ得セシムルノ他ナキガ故隨テ先ツ雑誌ヲ刋行スルニ決シ名ツク
ルニ月報ヲ以テセリ是レ本会ガ月報ヲ発兌スル...
■浅間山 [解説]
第二編 浅間山
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
われ、常に白煙が漂い、火口の深さは八二〇尺、溶岩石・・・と続き「蒸気など漏出す。
すさまじき哉。自然のも又」と書いています。次に、浅間山の裾に並ぶ「浅間三宿」の
軽井沢・沓掛・追分を北国往還の宿として紹介...
■浅間山 [解説]
第八編 浅間登山
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
七月上旬から八月中旬に登山者が最も多いと書いています。また、身支度や食料、登山案
内、「望みとあらば強などの需(もとめ)に應ずるは勿論なりとす」とまで書いています
。浅間山登山会の項には小諸町有者のもの...
■小県郡民謡集 [ルビ・注記]
成人謡
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
呼び名。5.じんく……民謡の一つ。七七七五調、二十六音の歌詞を持つ。6.「ゆうびん
しゃ」の転。7.人車などをかぞえる言葉。8.関東でアナグマ。関西ではタヌキ。9.
山里。山村。10.代々の位牌(いはい)...
■信州飯田町家扣 [解説]
[[解説]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
綿屋小三郎家」で、特に「綿屋半三郎家」(現在の綿半ホールディングス株式会社の前身
)は町役人を勤める有な家でした。「綿屋庄助」がどの家なのかは、はっきりとはしま
せん。さらに裏表紙を見ると、「明治18年8...
■信州飯田町家扣 [現代訳]
[[現代訳]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
郎宗忠・森勝蔵長一が、清内路口を打ち破って押し入りました。松尾の小笠原掃部太夫信
嶺公は、これを聞いてを落し、信忠公へ使者を立て降参しました。飯田城には甲州より
加勢として、保科弾正忠殿が入りました。なお...
■信州飯田町家扣 [翻刻]
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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
(改頁)9峠より団ノ平八郎宗忠森勝蔵長一晴苗寺口より打破て押入島田松尾之小笠原掃
部太夫信嶺公是を聞てを落し信忠公へ使者を立て降参し為手合之所々煙を立ツ、飯田城
ニハ従甲州為加勢保科弾正忠殿御入、猶此城信...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
長が本能寺の変で倒れ、森、滝川らは追い払われてしまう。こうして無主状態となった信
濃や甲斐は、周辺の有大名、上杉・北条・徳川の争奪の地と化した。昌幸はこの混乱を
乗り切って、従来からの勢圏であった吾妻・...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の命令による上田築城の開始
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
接には徳川家康の命令で、徳川勢により始められたものだった。家康はこの前後、佐久小
県の自分に従わない勢討伐を名目に、真田昌幸の救援要請に応ずる形で甲府まで出馬し
て前線への指令を発していた。その中で昌幸の...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
上杉方による上田城増築普請
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
の居城としてではなく、当初は徳川方の対上杉の最前線の城郭として、真田が上杉方に鞍
替えした後は、徳川勢に対抗する上杉方の最前線の拠点城郭として、かなり大規模な工
事が行われたのであった。恩田等宛真田信幸書...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
徳川方への攻勢
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
もできた。さらに前項で見たように昌幸は、秀吉より天正十三年(一五八五)十一月十九
日付け書状で家康を武討伐する方針を直接告げられたものだった。これをうけて昌幸は
、十二月から翌年三月にかけて盛んに敵地につ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康、秀吉に臣従
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
秀吉は、石川数正を寝返らせた直後には、右で見たように出馬して成敗してやると、家康
に対する威勢のよい武討伐の方針を語っていた(8)。最新の研究では、秀吉は本気で
家康を攻めるつもりで準備を始めていたことが...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
沼田領の分割裁定
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
年には九州を平定し、続いて同年、関東・奥羽に惣無事(そうぶじ)令を発している。惣
無事令とは領主間の武による争いを私闘として禁じ、領地紛争については秀吉が裁定す
ると定めたものであった。このように秀吉の天...