NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
東西に分かれた真田父子
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
遺子秀頼を擁して反徳川の兵をあげたので、是非吟方になってくれというのである。その
ため、昌幸とその長男信幸、次男信繁(幸村)の父子三人による協議がなされた。その結
果は周知のように、昌幸と信繁は石田方・西軍に...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
徳川秀忠軍の上田攻め
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
。会津攻めの途上、宇都宮に滞陣していた秀忠は八月二十三日に、明日出馬すると諸方に
通知している。沼田の信幸にも小県攻めに向かうので、そちらへ出張するように命じ(写
真)、他の諸将へは「真田表仕置きのため」に出...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
真田氏の動静
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちらこの間の真田氏の動きを知る史料としては、まず慶長四年
閏三月二十五日の信幸宛て徳川秀忠返書が上げられる。これによると、家康が伏見の自邸
から伏見城へ移ったことを信幸が江戸の秀忠...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
伏見城普請
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
秀吉の奉行や普請奉行からの幾つかの通達の内の一通、文禄三年正月十八日付け書状(写
真)の宛名には昌幸・信幸と並んで「左衛門様」つまり左衛門佐(さえもんのすけ)信繁
(幸村)の名も見える。信繁も父や兄とは別に、...
上田の早苗 [翻刻]
[[翻刻]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    7.教育、人物・伝記
タレリ]又鷹匠町切通シノ辺トモ云ヘリ、今ノ願行寺ハ寛永ノ度当城築立[最初ノ城ハ一旦
破却サセラレタレハ信幸更ニ築城セシナリ]節移ス所カ尋ヌヘシ[墓地ヲ検スルニ寛永以前
ノ碑ナシ、或ハアリト雖ドモコレハ後年再造...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
沼田領の分割裁定
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
秀吉は沼田領問題を最終的に決着させるべく津田隼人・富田左近の両人を検使として遣わ
した。これにつき真田信幸に上田から沼田までの案内と伝馬人足を出すように命じている
(写真)。信幸は昌幸の長男であるが、昌幸にで...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
小田原出陣
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
て蜂起した。大崎・葛西一揆と呼ばれる反乱事件であるが、この鎮圧に真田昌幸も出動を
命ぜられている。真田信幸宛豊臣秀次書状<史料解説>「真田信幸宛豊臣秀次書状」真田
宝物館蔵天正十八年(一五九〇)三月八日小田原...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
家康の関東移封と真田昌幸・信幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
一月の時点で既に返してやる旨を昌幸に伝えていたものでもあった(写真)。もっとも上
州沼田領は昌幸の長男信幸が、父の上田領(小県郡)とは独立した形で支配を展開するこ
とになる。しかし、信幸についても、これ以後は...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
三成ほか西軍諸将よりの書状
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
最初のもの。昌幸が大坂方(西軍)に応じる旨を申し送った書状に対する返書である。末
尾の条項より、昌幸は信幸が徳川方に付いたことは伝えていなかったことが分かる。[目
録]   &n...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
上杉方による上田城増築普請
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
真田勢二千ほどに対し、徳川勢は七千余であったという。しかし、真田方は寡兵よくこれ
を退けた。昌幸の長男信幸は沼田方面の家臣に出した書状で、その戦果を簡潔に知らせて
いる(6)。遠州(徳川)勢と国分寺(上田市)...
真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)・信繁
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真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)・信繁(幸村)トピック(テーマ) ねらいキーワー
ド概要を知るための ツール真田三代~幸隆・昌幸・信...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
北条の兵、名胡桃城を奪取
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
条氏邦の配下で沼田城へ入った猪俣(いのまた)邦憲が攻め、乗っ取ってしまったのであ
る。これについて真田信幸より報告を受けた家康は、十一月十日付け書状で、先の沼田城
明渡しの両上使(津田・富田)へ、まずは使者を...
真田氏関係の城址、寺社、文化遺産トピック
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真田昌幸・信之・幸村宛豊臣氏 普請奉行連書状、真田昌幸宛長束正家等連署状、真田親
子犬伏密談 図、真田信幸宛徳川家康書状、真田信幸宛徳川家康安堵状、真田昌幸 宛石田
三成書状、真田父子上田篭城図、高野山蓮華上...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
真田氏上田領・沼田領の石高
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
上田領つまり信濃国小県郡一円の石高は江戸時代初期以降は約六万五千石とされている。
同じく慶長五年までの信幸の沼田二万七千石(上州利根郡・吾妻郡)は、江戸前期ごろ三
万石であった。真田領それも特に昌幸領は、豊臣...
■秀吉と真田 豊臣氏関係遺品
[[豊臣氏関係遺品]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
十八年(一五九〇)四月九日付。小田原の役のおり、北条攻めに加わっていた豊臣秀次が
、やはり従軍中の真田信幸の労をねぎらったもの。信幸は北国囗部隊の一員として、前田
利家・上杉景勝らと上州碓氷郡松井田城を攻撃中...
■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 1.真田三代~幸隆・昌幸・信之(信幸)について調べる
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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
dfSearch/pf05-02.pdf';調べ方(パスファインダー)へ真田三代~幸隆・昌幸・信之(
)・信繁(幸村)
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
[[神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
蓮華定院に伝わるものが、最も丁寧に描かれており原本とみられる。ただし、これは昌幸
ではなくその子信之(信幸)像とされている。大名などの肖像画は一般的にはその菩提を
弔うために死後寺院へ納められたものであった。...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
徳川方への攻勢
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
将士起請文にもその名が見える。武田氏滅亡後、真田氏に仕えたわけだが、慶長五年に昌
幸が失脚して、信之(信幸)の代になってからは真田家を辞した模様で、江戸時代はその
出身地の名をとった「遠州屋」という上田城下町...
■秀吉と真田 真田幸村と大坂の役
昌幸最晩年の書状 幸村筆
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
、真田昌幸・幸村父子は高野山へ流罪となった。これはその配流先高野山麓九度山よりの
書状。昌幸から信之(信幸)宛てだが、筆跡・内容から幸村(信繁)の代筆とみてよいも
の。追って書き(追伸)のなかで「次に左衛門佐...
■秀吉と真田 「真田」の錦絵
[[「真田」の錦絵]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
玄初期の家臣団を中心にした模様で、真田氏では「弾正忠行(幸)隆」が見える(左下)
。幸隆は昌幸の父で、信幸・幸村兄弟の祖父にあたる。芳虎は幕末から明治初期に活躍し
た。[目録] 大坂篭城真田幸村勇戦...