NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
伏見城普請
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
せ、関白の政庁としての聚楽第も秀次に明け渡した。こうして太閤となった秀吉が、京都
郊外伏見に築いた城が伏見城である。最初は秀吉の隠居城として着工されたが、文禄三年
(一五九四)からは本格的な城と城下町の建設に発...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
真田氏の動静
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は、まず慶長四年閏三月二十五日の信幸宛て徳川秀忠返書が上げられる。これによると、
家康が伏見の自邸から伏見城へ移ったことを信幸が江戸の秀忠に報じていた。これより、
まず信幸も伏見にいたことが分かる。そして、何よ...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
三成ほか西軍諸将よりの書状
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康の留守居を追い出し、替って毛利輝元がそこへ入ったこと、また、やはり家康の留守居
鳥居元忠が守っていた伏見城を攻め立てており落城は間違いないこと、九州・西国・北国
は皆味方についている、(京・大坂にいる)日本中...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
家康の関東移封と真田昌幸・信幸
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することになる。しかし、信幸についても、これ以後は父昌幸と同様、秀吉の直臣扱いと
したことは、その後の伏見城普請への動員などにあたって、家康を介することなく信幸宛
てに豊臣政権から直接の指示が出ていることからも...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
上田城の大改修
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上田城跡より出土している金箔瓦や菊花文様の軒丸瓦などの桃山期に特有な瓦が上げられ
る。また、これには、伏見城普請への参加の経験や、やはり秀吉の城であった大坂城、聚
楽第などでの見聞も当然あずかっていたこととみら...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
秀吉の死と家康の上杉征伐
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「秀吉と真田」の目次はこちら秀吉は慶長三年(一五九八)八月十八日、伏見城で没した
。秀吉の遺言は五大老が遺児秀頼の成人するまで補佐するというものだった。しかし、五
大老筆頭の家...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
真田氏上田領・沼田領の石高
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昌幸領は、豊臣氏よりの言わば拝領高がかなり低い数字になっていた。そのため軍役量、
具体的には朝鮮の役、伏見城普請等への動員の負担が軽くてすんだとも言える。これは信
幸(信之)が相続したときに、加増という形で実際...
■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 10.真田関係資料目次
真田氏三代
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宣戦布告秀吉の小田原攻撃小田原陣と真田氏沼田領安堵と統治7秀吉のもとで………176昌
幸の名護屋城在陣伏見城の普請頻発する災害秀吉逝く第三章豊臣と徳川の間で………1831
関ヶ原合戦………183鳴動する浅間山と...