NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
 上杉景勝への従属と証人信繁(弁丸)
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
再度の沼田引渡し命令を拒絶し、いよいよ徳川軍の攻撃を受けそうになってから、真田昌
幸は援軍を得るために上杉景勝に従属する。昌幸の出した誓詞に応えてであろう、景勝が
昌幸に誓詞を与えたのは、最終的に昌幸の上杉氏への...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
徳川秀忠軍の上田攻め
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
慶長五年(一六〇〇)八月二十一日真田信幸(伊豆守)の沼田領は、徳川に敵対した父昌
幸の信州上田領および上杉景勝の会津領と接していた。信幸はそれぞれの境界の出入口を
、しっかり固めさせている、と家康に報告した。それ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の真田再征進発と秀吉による懐柔
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
率いて真田再攻の軍を起こし、十九日には駿府に至っている。今度は秀吉も家康の真田討
伐を承認し、さらには上杉景勝に真田支援の禁止を命じてまでいる。八月七日付け上杉景
宛ての秀吉の臣増田長盛・石田三成書状では、真田...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
東西に分かれた真田父子
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
反家康勢・西軍の決起を告げ、豊臣秀頼への忠節、つまりは西軍への同心を求めている。
家康(内府)が会津の上杉景勝征討の軍を起こしたのは誓詞や太閤の置目(遺言)に背く
ものであり、相談して「楯鉾に及」ぶ、即ち挙兵した...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
三成ほか西軍諸将よりの書状
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
九日十七日付けの挙兵の第一報に続く長束正家らよりの書状。先に出した家康弾劾状が着
いたかを聞き、家康の上杉景勝征討のための出陣を非難するとともに、大坂城西の丸にい
た家康の留守居を追い出し、替って毛利輝元がそこへ...
■善光寺道名所図会 [現代訳] 善光寺道名所図会 巻之二
○筑摩 青柳
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    2.紀行文・道中記、地誌
甲州が没落し、小笠原貞慶(さだよし)が帰城の後もなお小県(ちいさがた)郡の真田氏
等に味方して、越後の上杉景勝に志を通じて、小笠原家ヘ一応の届もなく無礼であり、こ
とに怨敵の憤りがあれば、取り合いがはじまる、麻績...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
武田氏・織田氏の滅亡と真田昌幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
田信玄・上杉謙信が争奪戦をくり返したことで有名な地であるが、ここは信長横死直後の
六月中に謙信の後継者上杉景勝が、ほぼ掌握した。真田昌幸は、小県へも侵入した上杉に
一旦は従った後、七月には佐久、小県へと軍勢を進め...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康の命令による上田築城の開始
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
からして、この普請とは間違いなく上田築城普請のこととみられるのである。また、その
築城開始の報に接した上杉景勝は早速それに対する妨害を北信濃の配下の将士に命じてい
る。その命を受けて上杉勢は集結しているのだが、実...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田昌幸、徳川と断交へ
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
重臣で沼田城代であった矢沢頼綱らが、北条方からの使者を成敗、つまり斬殺するという
事件も起こしており、上杉景勝はそれを賞している。真田方は、北条方への沼田城引渡し
を、断固拒否したものであり、この時点で真田は徳川...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
上杉方による上田城増築普請
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
破ったと伝える。このため、この戦いは神川(かんがわ)合戦とも呼ばれる。なお、これ
に見える信幸の花押は上杉景勝初期の花押に大変よく似ている。この戦い直前に従属した
景勝のそれにならったものだろう。真田氏の上杉氏に...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
昌幸の秀吉への接近
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
ととみられていた。しかし、昌幸は実際には上杉氏に従属する以前から、秀吉への接近を
図っていたのだった。上杉景勝が真田昌幸に宛てた誓詞の中に「春松太夫」という名が見
えるのだが、これは上方から信濃へも訪れていたむ幸...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
家康重臣石川数正の秀吉への寝返り
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
前から駐在していた徳川の重臣たちが、十一月の半ばに突然遠州へ引き上げてしまった。
これについて昌幸は、上杉景勝の重臣直江兼続に宛てた十一月十七日付けの書状で、「甲
州・佐久郡・諏訪郡主に指し置き候平岩七之助(親吉...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
徳川方への攻勢
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
「秀吉と真田」の目次はこちら真田昌幸は、上杉景勝そして秀吉との提携もなり、徳川軍
の攻撃をしのぎ切ることもできた。さらに前項で見たように昌幸は、秀吉よ...
■秀吉と真田 神川合戦(第一次上田合戦)と秀吉の動き
真田・小笠原・木曽、家康の与力に
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
慶は、秀吉の下へ出仕したあと、駿府の家康の下へ挨拶に出向いている。しかし、秀吉は
特に昌幸については、上杉景勝の与力扱いから外しただけで、実質的には直臣化したとい
ってよい扱いをしている。この後も家康を全く介する...
■秀吉と真田 名胡桃事件と小田原の役
小田原出陣
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
役にあたって、真田昌幸は前田利家が指揮する「北国囗」の一員を命ぜられた。その軍勢
は、真田昌幸三千人、上杉景勝一万人、前田利家一万人で、計二万三千人というものであ
った。上杉勢と木曽を経て進軍してきた前田勢と合流...
■秀吉と真田 秀吉政権下の真田氏
家康の関東移封と真田昌幸・信幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
(一五九〇)七月の小田原の役終了と同時に、秀吉の命で家康は北条氏の遺領関東へ移封
となった。そのため、上杉景勝領となっていた北信濃四郡を除く、家康配下の信濃の諸領
主は根こそぎ関東へ移されることになる。これに対し...
■秀吉と真田 関ヶ原の役と第二次上田合戦
秀吉の死と家康の上杉征伐
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
。しかし、利長は家康と争おうとはせず母親を人質として江戸へ送っている。これについ
で家康がねらったのが上杉景勝であった。景勝は慶長四年九月に帰国していたが、会津百
二十万石へは前年に越後から移されたばかりであり、...
■秀吉と真田 豊臣氏関係遺品
[[豊臣氏関係遺品]]
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
いた豊臣秀次が、やはり従軍中の真田信幸の労をねぎらったもの。信幸は北国囗部隊の一
員として、前田利家・上杉景勝らと上州碓氷郡松井田城を攻撃中であった。秀次は秀吉の
甥で天正十九年には秀吉から関白職を譲られた。しか...
■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 10.真田関係資料目次
真田家文書 上巻
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
石田三成書状………6156備口人数………6557徳川家康書状………7058徳川秀忠書状………
7059上杉景勝書状………7160徳川家康書状………7461石田三成書状………7562石田三成書
状………7563石田...
■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 10.真田関係資料目次
真田昌幸
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ    4.地域の記録
大名領の形成………101一武田氏滅亡と織田氏への対応………101ニ北条・徳川氏への臣従
………109三上杉景勝との同盟………118四第一次上田合戦………123第五大名領の確立…
……130一その発給文書………13...