第四章 美術工藝 第六節 刀工 瑞龍寺刀劍寄進 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
反八分賀州小松住藤原勝重二尺七寸四分半反九分上記の中、富山住の重清を除く以外は皆 加賀の住人なり。以て鍛刀界當時の盛觀を察するに足る。 |
第四章 美術工藝 第六節 刀工 寛永以降の加賀新刀の特色 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
この頃に至りて注意すべきは、刀工の作風が單一化したることなりとす。即ち元和以前の 鍛刀は各派その師傳を尊重し、これを系統的に判明するの極めて容易なること前述の如く なりといへども、寛永期に... |
第四章 美術工藝 第六節 刀工 加州刀の復興 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
文化中外寇の警を傳ふるや、海内漸く騷然、藩に在りても刀劒製作の必要新たに起りたる ものゝ如く、天保元年鍛刀の資材に就いて覺書を徴したるもの今に存す。その提出書には 國平・清光・信政・勝國・兼久・幸昌の外、移入... |
第四章 美術工藝 第六節 刀工 明治初年の鍛刀 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
王政維新の大業成り、明治時代に入るときは上下匇忙を極め、從つて刀工の生活に一大不 安を感ずるに至りたり... |
第四章 美術工藝 第六節 刀工 藤島系 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
と切りたるも存す。而して貞享の後その系を絶ちたるものゝ如く、享保の鍛冶取調書にも その名を見ず。思ふに鍛刀不振期に入りて他業に轉じたるものなるべし。尚現に石川郡松 任に友重の後裔と稱するものありて、舊と道法寺... |