第三章 學事宗教 第一節 學校 致遠館 七尾語學所 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
するを避けしめ、能登七尾町なる軍艦所内に壯猶館英學所の分校を設置して語學所と名づ け、優等生三十餘名を派遣してその教授を受けしめたり。後の工學博士平井晴二郎・海軍 大將瓜生外吉・理學博士櫻井錠二・工學博士石黒... |
第三章 學事宗教 第一節 學校 留學生派遣 |
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らざるべからず。蓋し藩費を以て學生を留學せしめたるは、文久元年航海測量を研究する 爲江戸の軍艦操練所に派遣したるを嚆矢とす。是より先、子弟の私費を以て遊學するもの 間々これ無きにあらざりしも、藩費留學に至りて... |
第四章 加賀藩治停頓期 第一節 大槻騷動 朝元の自殺 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
たりしに、當時射水郡小杉に在りて礪波・射水二郡の奉行たりし千秋三郎太夫は金澤に急 告し、尋いで金澤より派遣せられたる二人の御徒横目と共に往きて檢せしに、朝元は白帷 子を著け、小刀(コガタナ)を用ひて自害し、側... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 齊泰の上洛 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
旺盛なるに至れり。是の月朝廷警衞の兵を諸藩に徴せしを以て、加賀藩は岡田隼人有鄰に 兵士一百を添へて之を派遣したりき。四月京師に在りし鶴見小十郎・豐島安三郎・永山平 太の三士藩に送還せられ、各その家に錮せらる。... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 齊泰父子幕府の徴命を辭す |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
。當時藩の老臣本多播摩守政均は、先に姉小路公知が賊の爲に要殺せられたるを以て、天 皇の安を奉伺せんが爲派遣せられて京師に在りしが、藩議將に慶寧をして幕命に應ぜしめ んとすと聞き、その朝譴を得んことを慮り、關白... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 慶寧長藩の爲に尚斡旋す |
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警戒する青山因幡守忠敏の應援として兵を出すべき命を與へたりき。因りて二日總員千五 十五人を東堀川附近に派遣せり。三日慶寧、山崎庄兵衞・松平大貳二人を一橋慶喜及び稻 葉正邦に遣はし、長藩の哀訴する所數件の内その... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 小川幸三等の就縳 |
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、幸三等は府中に留りて暫く密偵に從ひたりき。然るにこの時藩は幸三等三人を縳するに 決したるを以て捕卒を派遣したりしが、彼等の府中に達するに及び幸三等がこの地に留れ るを知り、先づ府中の吏に牒して助力を求め、幸... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 藩軍出征と長藩の歸順 |
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を告ぐ。十九日連恭は總督より、緩急の際廣島の西口草津を加賀藩の防備區域とすべきを 以て、豫め常に斥候を派遣してその地の動靜を偵察すべきを命ぜられ、二十四日轉じて東 寺町禪林寺を本營とし、同町源勝寺・等覺院に士... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 加賀藩兵の葉原滯陣 |
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爲に嚮導を託せられたるを以て將に敦賀に赴かんとせしなり。乃ち縳して之を本營に送る 。幾くもなく二ツ屋に派遣したる斥候歸り來りて、浪士等の新保驛に進み來るを報ぜしか ば、加賀藩は兵を葉原の驛外に出して戰備を修め... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 加賀藩王師の先鋒たらんと請ふ |
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も、將に大に親兵を徴發せんとするが故に、之に對する費用に就きて力を致すべきを命じ 、又親兵取調係二名を派遣せしめき。藩乃ち井口嘉一郎・安達幸之助を以て之に應ぜり。 御書取加賀宰相(慶寧)中將先年輦下(元治元年... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 東本願寺法主遊説の計畫 |
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を越前・加賀・能登・越中に派して諭示する所あらしめんとしたりき。蓋し曩に西本願寺 が朝命を奉じて使僧を派遣し、親政の趣旨を宣傳して功を收めたるを以て、今次の戰役に 於いて東本願寺は自ら進みて王事に竭くさんこと... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 長岡城の秩序回復 |
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より割きて輔けしめ、又大島に在りし齋藤隊は參謀の命により柏崎に轉じたるを以て、小 川隊の一分隊を大島に派遣せり。この日長岡城は、薩長・高田及び加賀藩の兵力によりて 全くその秩序を回復し、市民の戰禍を避けたるも... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 小川隊の目附守備 |
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に進軍せんとするを以て、小川隊は松代の一小隊・高田の一炮門と共に目附に在りて戰状 の推移に從ひ應援隊を派遣すべきを命ぜらる。三藩乃ち相議し、萬一の際松代藩と高田藩 と援兵となりて前進し、加賀藩は目附に留りて守... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 青地隊と小川隊との交代 |
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が、七日更に泉村領の陣ヶ嶺に出兵するの命を得たりしを以て、乃ち一ノ貝に在りし半隊 と森立峠の一炮門とを派遣し、尾張・飯田二藩に代りて之を守らしめしに、陣ヶ嶺に連續 せる山脈の兩端は栃尾驛に通ずる本道なるを以て... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 津田玄蕃隊長岡に入る |
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占領する所たりしを以て、津田隊は諸口防禦の任に當りしが、十九日參謀長太郎より比禮 ・栃窪二村に各半隊を派遣すべき命を得たりき。因りて第一半隊は玄蕃之を率ゐて比禮に 、第二半隊は弟津田輔吉之が長として栃窪に入り... |
第五章 加賀藩治終末期 第七節 北越戰爭 加賀藩の兵數 |
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は並びに庄内・鶴岡に在りき。上記の内山村甚之助・横地秀之進・堀悌四郎等の諸隊は、 戰爭中守備補充として派遣せられたるものなり。その他老臣前田直信の手兵百五十人は、 越中泊驛に次して戰線に進むの機を待ちたれども... |
第五章 加賀藩治終末期 第九節 版籍奉還 世子利嗣の遊學 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
三月十七日太政官令して、諸大藩に士族各二名を出し、之を海外に派遣して政治文物民情 風俗を視察せしめんが爲、その人を銓衡して申告せしむ。因りて金澤藩は岡田雄次郎・吉 井立... |
第六章 大聖寺藩治一斑 利章の晩年 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
くの如き事情に在りしもの、固より種々の原因あるべしといへども、内には利章自ら政に 倦み、當時加賀藩より派遣せられし青地齊賢の手記に、利章が藩内を鑓・長刀を携へず、 近習數輩兩刀を帶せずして隨從し、將棋その他の... |
第六章 大聖寺藩治一斑 親兵を貢す |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
五月藩士十二名を派遣して禁闕の守衞に充つ。所謂親兵是なり。是より先幕府十萬石以上 の諸侯伯をして、秩祿萬石毎に身幹偉大にし... |
第六章 大聖寺藩治一斑 元治事變の影響 |
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福井藩に備へしめしが、その虚報なるを知るに及びて撤し、穩齋は二日再び南上せり。三 日、先に大聖寺藩より派遣したる援兵罷め歸る。援兵の海津に著せしは七月二十八日にし て、海津の隣邑なる柳澤侯の領澤村に駐りしが、... |