石川県立図書館/大型絵図・石川県史

本文テキスト検索結果
 
ソート機能:
第一章 領主及び領土
幕府領を加賀藩に寄田とす
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
日根野小左衞門正晴が支配する地の定めの簿をさゝげしを御覽ありて、加賀・能登・越中
みな加賀守(綱紀)が所領とこそ思ひつれ、何とて代官の支配所領あるやと御尋あり。こ
れは土方河内守雄久、石田がかたうどにて、佐竹...
第一章 領主及び領土
前田綱紀の所領
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
是より先正保二年四月加賀藩主前田光高卒したるを以て、六月子綱紀その所領を繼ぎしが
、更に萬治元年十月祖父利常の薨ずるに及び、十二月二十八日その養老封と、別に利常の
將軍秀忠よ...
第三章 加賀藩治恢弘期 第五節 浦野事件
浦野兵庫の相續と新開檢地
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
連頼は之を摘發せんと欲し、五年突如として領内の新開に檢地を施行するの命を發せり。
この事に關しては能州所領書に『今程天下泰平にて弓矢治り、華麗のみに成て入用は過分
也。關東武藏も田畠に成候。我等家中の者共能州...
第一章 領主及び領土
土方領・鳥居領・水野領
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
も亦幕府に歸し、土方氏の有する所、雄賀の領七村八百五十石のみとなり、子孫世々幕臣
として、武藏に於ける所領と共に千七百石を食めり。
第二章 加賀藩治創始期 第四節 大聖寺淺井畷二役
丹羽長重の蟄居
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
ことをしば〱なげき申せしかば、遂に聞召ひらかれしかど、加賀の國をば既に利長にたま
はりしゆゑに、長重は所領失て江戸にまゐり、芝浦の邊に籠居して五郎左衞門と稱したり
。台徳院殿むかしより御親しくわたらせたまへば...
第二章 加賀藩治創始期 第四節 大聖寺淺井畷二役
前田利政の末路
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
城の攻撃に參加したりしも、九月再度の出征に際しては遂に之に從はざりしを以て、戰後
家康はその罪を責めて所領を沒收せり。利政がかくの如く軍役を拒むに至りし事情は詳か
ならず。慶長記慶長五年九月二十三日の條には、...
第二章 加賀藩治創始期 第五節 三國統一
宇喜多秀家の配流
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
して備前君とす。今に其墓加賀に在り。夫人在世の時、澤橋氏が子成長して、仕べき程に
なりしかば、彼家にて所領給り、澤橋兵太夫何がしと名乘けるが、たゞ明暮母の事をのみ
思ひて涙をおとしけり。いく程なく、遁世の願あ...
第二章 加賀藩治創始期 第七節 大阪兩陣
前田利政東西の聘に應ぜず
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
この際、前田利政も亦大阪より參加を勸誘せられたる一人なりき。利政は關ヶ原戰後能登
所領を沒收せられて京都に流浪せしが、秀頼は加賀・越前二國を懸けて誘ひしも敢へて
應ぜざりしかば、家康聞きて...
第三章 加賀藩治恢弘期 第三節 白山爭議
加賀越前二藩農民の爭鬪
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
に佐久間盛政の領たりしが、十一年盛政の滅びたる後は前田利家の督する所となり、慶長
五年よりは丹羽長重の所領たりし能美郡諸村も亦その有に歸せり。然るに越前領山内十六
ヶ村の者、常に加賀領能美郡の者と親善なる能は...
第三章 加賀藩治恢弘期 第五節 浦野事件
二代目孫右衞門の奸邪
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
の劣れるを主家の臺所入となし、以て私利を圖るに汲々たりき。田鶴濱なる東嶺寺所藏の
長谷部信連并連龍能州所領害と題したる册子に、浦野一黨の所行を記して、『能登に居住
して金澤へ出る事稀也。侍の風俗をわすれ、田畠...
第三章 加賀藩治恢弘期 第五節 浦野事件
長連頼藩侯の裁斷を仰ぐ
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
で寛文七年正月釆地の農民五六十人を教唆し、檢地の中止を嘆願する連判状を提出せしめ
き。これ孫右衞門等の所領に對して檢地を行はるゝ時は、諸種の奸惡を發見せらるゝの恐
ありしが故なるも、その眞相を知らざる農民に在...
第三章 加賀藩治恢弘期 第五節 浦野事件
長氏の處分
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
ては、八月十九日綱紀より命あり。曰く、凡そ領内の臣隸にして騷擾するものあるときは
、その主君たるものゝ所領を易へしむるを例とすといへども、長氏は連龍の時以來最も前
田氏に忠誠を致しゝものなるが故に、特典を以て...
第五章 加賀藩治終末期 第二節 黒羽織黨及び海防
外寇の警報初めて至る
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
めて藩民の心膽を寒からしめたるは、文化四年四月魯人が蝦夷の地を侵せるときに在りて
、六月幕府は加賀藩の所領能登の地遠く海中に斗出するを以て、或は外船の來るなきを保
せずとなし、命じて之に備ふる所あらしめき。是...
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變
同志の退京提議
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
の要あるを豫期せざるべからざるも、これを移し奉るべき地なきに苦慮せしが、幸にして
加賀藩には江州今津の所領あるを以て、願はくは先づかの地に軍を退け、鳳輦の至るあら
ば迎へて之を守護せらるべく、又若し戰状我に不...
第三章 學事宗教 第十節 佛教
眞言宗
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
禍を受けたりといへども、翌十一年十月正親町天皇の綸旨を奉じて利家の之を再營するあ
り、次いで十九年には所領を寄進せられ、慶長二年堂塔悉く成就するに至れり。その後山
内七十二坊中十四坊は退轉したるも、尚儼然とし...
第五章 殖産製造 第一節 農業(上)
白山々麓の太閤檢地
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
年に於いて越前に及び、同時に能美郡白山々麓の十六村に及べり。この地は當時青木紀伊
守秀以[初名一矩]の所領に屬し、地勢によりて自ら東谷と西谷とに別たる。是を以て秀
吉は、東谷の檢田使として吉田益庵を、西谷の檢...