第三章 學事宗教 第十節 佛教 三衣問題の再燃 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
する者訴訟の再起に便ならしむるが爲、故らに判決書を總持寺のみに下し、その永平寺に 對するものは之を大老彦根侯の許に保留せり。葢し彦根侯の菩提寺は永平寺の末派なるに 因る。是を以て永平寺は知らざる爲してこの訴訟... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 加賀藩降人の警護を辭す |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
る際十人を一團として喚問すべきを以て、各これを縳して出頭せしむべきを命じ、且つ今 後浪士の監視を福井・彦根・小濱・加賀の四藩に分擔せしむるの意あることを傳へき。甚 七郎乃ち浪士を縳するは徒らにその騷擾を招く所... |
第三章 學事宗教 第三節 漢學(下) 羽黒成實 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
羽黒成實、初の名は成仁、字は養潜、迂巷と號す。近江彦根の人なり。本姓は牧野。父は 井伊直興に仕ふ。成實父歿するの後故ありて仕を辭し、京師に出でゝ山崎闇齋の門... |
第四章 加賀藩治停頓期 第四節 教諭政治 二ノ丸造營 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
て渡世。其後父死、安永九年健助上京、子ノ年子日に生れ候由を以大黒天之繪をば賣弘候 處大に流行。其後江州彦根え罷越候處大に畫行はれ、夫より歸京仕、佛光寺之襖張等畫候 處、或時有栖川樣佛光寺へ御出、右畫御覽請甚御... |
第五章 加賀藩治終末期 第三節 錢屋五兵衞 河北潟流毒事件の眞相 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
。當時世人恐怖の状の異常なりしことは、『潟魚一件に付闕所迄の記録』と題したる册子 に、『錢五の咄最中に彦根より、米の早搗の糠を喰候馬牛、右同國に於て夥敷死し候よし 越前の國より當所へ申來候よし、組合頭呼立御申... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 千秋順之助 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
港攘夷の御實行相顯れ、並長州御父子御赦免の御取扱、浪士の取靜方を本文と被レ遊候事 。其後六月五日會津・彦根御手合(テアヒ)等にて浪人狩有レ之、市中不レ穩。同二十四日 福原越後等伏見表へ罷越候節、筑前守樣被二聞... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 浪士の陳情書等提出 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
士と交渉を開始せることを述べ、之に關して本營の指揮を受くるに至るまで進撃を止めん ことを求め、又同じく彦根藩の陣に傳へ、各守備を嚴にして警戒せり。次いで十三日朝、 井上七左衞門は疋田驛に在りし幕府の監察織田市... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 加賀藩の周旋顧みられず |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
公然宣戰せんことを内示せり。然るに浪士等は、常時慶喜が會津・小田原諸藩を率ゐてそ の前路を扼し、福井・彦根藩によりて背面を脅かされたるのみならず、彼等の本據とした る新保の地が山間の一寒村にして、物資の供給全... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 降人の交付 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
曉、甚七郎等諸般の準備を整へて幕吏の至るを待つ。この日各寺院の門前には竹柵を結び て出入を停め、福井・彦根・小濱三藩之を警戒し、その鎗を携ふるものは悉く室を脱した りき。既にして幕吏水野良輔先づ本勝寺に至りし... |
第三章 學事宗教 第六節 俳諧 支考の行脚 宇中 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
を以て初とすべく、その年は即ち彼の東西夜話が成りし時にして、四月上旬洛を發し、大 津に芭蕉の墓を弔ひ、彦根に許六を訪ひ、加賀に入りて山中・大聖寺・金澤に巡遊するや 、その能文と能辯とは、直に桃妖・厚爲・句空・... |