石川県立図書館/大型絵図・石川県史

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第三章 學事宗教 第一節 學校
學校創立
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
學校創立の沿革は、遠く第五世前田綱紀の時に遡らざるべからず。綱紀は夙に文學を好み
、多く鴻儒を祿したりしが...
第三章 學事宗教 第一節 學校
寛政の職制
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
に於ける職員は、年寄奧村尚寛・横山隆從・前田孝友及び家老大音帶刀を總裁とし、定番
頭並不破和平外三名を學校頭とせしが、寛政四年三月開校の後に至り、總裁又は學校主付
といふもの年寄三人・家老一人、定火消人持組二...
第四章 加賀藩治停頓期 第三節 風教作振
學校創設と新井白蛾
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
治脩が風教作振の第二手段として擇びたるは學校の興造にして、事は寛政三年七月老儒新
井白蛾を招聘したるに起れり。白蛾は名を祐登、字を謙吉と稱す。その...
第四章 加賀藩治停頓期 第四節 教諭政治
兼六園
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
九月轉地を命ぜられたるを以て十年十一月退去し、爾後空閑に屬すること九十六年にして
、寛政四年初めて文武學校を興造せり。然れども當時の地形は、學校の北邊に一路ありて
、廣坂より修理谷坂に通じ、この路を隔てゝ蓮池...
第三章 學事宗教 第一節 學校
文武兩學校
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
加賀藩の學校にして、寛政より明治の初年に至るまで繼續せしものを、明倫堂及び經武館
となす。而して明倫堂は文學校にし...
第三章 學事宗教 第一節 學校
學校の所在
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
文武兩學校の所在は前後三たび變遷せり。初め寛政四年開校の時には、今の兼六園中の西
南部に在りて、この地は元と老臣...
第三章 學事宗教 第一節 學校
明倫堂掲示
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
定一、父子有レ親、君臣有レ義、夫婦有レ別、長幼有レ序、朋友有レ信。學校のをしへは
此五倫に止りて、人々其身に行ひ、各其職分のなすべき事をおこたらず、つとめはげむべ
き事。一、...
第三章 學事宗教 第一節 學校
享和の改革令
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
然りといへども學校に於いて教養せらるゝ所のものは、徒らに書を讀み文を屬するを以て
能事とし、その弊の趣く所、經國濟民の何...
第五章 加賀藩治終末期 第二節 黒羽織黨及び海防
上田作之丞の末年
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
通十九歳浪人となり、母を養育致罷在、夫より素讀生を集め、廿歳之時新坂高に、書算未
熟ながら相始、同年則學校(明倫堂)生徒に成。是は榊原故武兵衞左介人と成願なり。堂
中に於て心懸も宜、辨解相分候趣に而、銀貳枚壹...
第三章 學事宗教 第一節 學校
學生
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
學校は、當初四民を教導するの趣旨なりしを以て、平士並以上たると平士並以下たるとを
問はず、その子弟は共に教...
第二章 加賀藩治創始期 第九節 金澤城及び城下
城郭の模樣替と辰巳用水
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
二上野板橋一至二龜坂水門一九百間。自二龜坂水門一至二石引町水門一三百四十間四尺。
自二石引町水門一至二學校(今ノ兼六園内)外升形一五百四十三間四尺。學校境内水道七
十間。學校升形中八間四尺。自レ是至二蓮池一也...
第五章 加賀藩治終末期 第一節 奧村榮實の献替
學制修補
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
等の献言したる學制を修補し文教を盛にして風俗の釐革を期せんとする議は、十年に至り
て實施せられ、藩の文學校なる明倫堂に督學一員・教授三員・助教五員・訓導七員・訓蒙
六員・句講師十九員を置き、武學校なる經武舘に...
第三章 學事宗教 第一節 學校
天保の職制
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
次いで天保十年の學政修補により、學校主付三人・督學即ち學校方御用四人・教授三人・
助教五人・助教加人一人・訓導二人・訓導加人三人・訓導加人...
第三章 學事宗教 第一節 學校
明治以後の職制
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
に於ける句讀師を廢することゝせり。二年三月藩治職制を改定して、藩吏の階級を九等に
別ちたりしが、この時學校主付・督學・教授等の名稱を廢し、新たに學政・軍政の二寮を
設け、知事(二等官)・副知事(三等官)・書吏...
第三章 學事宗教 第一節 學校
學生數
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第三編
學生數に就いては、寛政四年學校創立の際に於いて出校を出願したるもの二千六百人に及
びたりと見ゆ。然れどもこは當初四民教導を標榜したる...
第三章 加賀藩治恢弘期 第四節 極盛極治
綱紀の大願十事
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
たる光高のみの菩提所たらしめて、天徳寺と改稱せんとする計畫にはあらざりしかと思は
る。第九先聖殿並びに學校造營の事は、當時幕府の興造しつゝありし湯島の聖堂に倣はん
としたるものとし、第十金澤別舘造營といへるは...
第四章 加賀藩治停頓期 第一節 大槻騷動
連りに祿を加ふ
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
職制によれば、組頭は人持組の次位に列し、而して組頭に准ずるものを組頭並と稱し、側
用人・御廣式御肘又は學校督學等の職に在るものゝ階級とす。朝元は初め近習頭にして物
頭並たりしもこゝに至りて側用人たりしなり。後...
第五章 加賀藩治終末期 第一節 奧村榮實の献替
老臣の藩治振興策
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
むるに若かざるなり。且つそれ善治を得んとせば政教並び行はれざるべからず。昔者治脩
侯こゝに見る所ありて學校を創立せしも、その法未だ全く備れるにあらず。是を以て自今
學政を修補して人材の薫陶に努め、業成るに隨ひ...
第五章 加賀藩治終末期 第一節 奧村榮實の献替
近藤忠之丞の復仇
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
らざりき。その後忠之丞は屢孫三郎の出入を窺ひしも、未だ望を達するの機を得ざりしが
、天保九年五月十三日學校の式日に當り、講者・讀師等詰旦出校する例なりしかば、忠之
丞は孫三郎が宗半町の家を出でゝ高岡町に至るを...
第五章 加賀藩治終末期 第六節 藩末の改革
頻々たる改革
石川県立図書館/大型絵図・石川県史    石川県史 第二編
陪臣の兒女を嫁せしむるに當り、轎夫をして花紋を染めたる號衣(カンバン)を着けしむる
を禁じ、六日諸士の學校に登る際便宜に隨ひて筒袖・小袴を用ふるを得しめ、又學校より
直に登城する場合に在りては故らに服裝を改む...