第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 小川幸三の建白 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
藩が今日の状態を持續する時は、政界の勢力遂に薩長の掌握する所となるべきを以て、藩 侯の急に準備を整へて上洛せざるべからざる理由を建言せり。乍レ恐奉二言上一候一、此 度薩長之一擧に付、公武の御間、醜夷之御處置、... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 齊泰の上洛 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
その後朝幕の形勢一變し、將軍家茂上洛の事は全く實行せられざるに至りしが、十一月朝 廷再び中納言三條實美等を勅使として東下せしめ、勅を將軍に... |
第六章 經濟交通 第四節 交通 上洛の道程 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第三編 |
藩侯の上洛は、第三世前田利常の時に至るまで屢これありしといへども、光高の世には之 を見ず。次代綱紀の時、江戸より... |
第三章 加賀藩治恢弘期 第四節 極盛極治 直姫と二條吉忠の結婚 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
綱紀がその晩年に於いて上洛せし事も、亦異數として之を記せざるべからず。蓋し幕府に 在りては諸侯の公卿と親昵し、之に因りて朝廷と近... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 上國の形勢一變す |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
とする者なりしが、固より時事に志ありしを以て、海内の形勢に關して注意を怠らず、同 二年薩摩の島津久光が上洛せんとする風聞あるに及び、屢京攝の間を往返して實否を探り 、録して之を藩に告げたりき。尋いで京師に遊學... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 同志の上洛 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
初め大野木源藏が齊泰の書を齎して上洛せんとせしとき、永原恒太郎は同志をして之に隨 行せしめんと欲し、不破富太郎・廣瀬勘右衞門・福岡文平・小... |
第二章 加賀藩治創始期 第五節 三國統一 宇喜多秀家の配流 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
國をさり、形をかへて僧となり、いづかたにありとも行衞しれざりけるに、元和のころに かありけん、將軍家御上洛ありて、二條の御城へ入せらるゝ時、ひとりの僧御駕輿ちかく 訴状之さゝげるを、御供の中より抑へけれどもき... |
第二章 加賀藩治創始期 第八節 社稷の危殆 利常の上洛と將軍の臨邸 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
八月六日家光の入朝して襲職の恩を謝するや、利常又之に隨從し、儀畢りて國に就けり。 寛永三年七月家光また上洛せしに、利常も亦隨ひて本國寺に舘し、九月六日天皇の二條城 に幸し給ひしとき、利常は將軍及び諸侯と共に、... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 福岡惣助淺野屋佐平の逮捕 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
の二候補吏を放ちて諸藩浪士の洛中に在るものを捕へしに、その中に山上六郎といふ者あ り。先に淺野屋佐平の上洛せし時、福岡惣助の書を齎して之を六郎に傳へしに、その書六 郎が窃かに金澤に來りて惣助の幽居を訪ひたるを... |
第五章 加賀藩治終末期 第四節 元治の變 長連恭の上洛 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
慶寧退京の報藩に達したる日、藩侯齊泰は急に長大隅守連恭に命じ、上洛して聖安を奉伺 し、禁裏を守護せしめき。因りて連恭は、即夜その弟雅樂介連賢(後九郎左衞門成連)及 び家士... |
第五章 加賀藩治終末期 第五節 征長の役と南越の陣 浪士との交渉 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
浪士軍に在りては既に全く戰鬪力を失ひたるを以て、加賀藩と衝突するの困難を避けんと 欲し、書を致してその上洛を企つるに至りたる顚末を述べ、彼等の目的が水戸藩の一親族 に請ひて素志を貫徹せんとするに在るを以て、決... |
第五章 加賀藩治終末期 第六節 藩末の改革 本多政均の上洛 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
は不日加賀以下列侯の入朝を待ちて諮詢したる後決する所あるべしと宣へり。是に於いて 慶喜は書を以て慶寧の上洛を促し、二十五日天皇も亦日野大納言をして勅を傳へしめ、十 一月中に慶寧の入朝すべきを命じ給へり。因りて... |
第五章 加賀藩治終末期 第六節 藩末の改革 朝廷復慶寧を召す |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
、朝廷は徳川氏の軍を撃退せりといへども、京師の物情頗る穩ならざりしを以て、正月七 日慶寧に士卒を率ゐて上洛すべきを命じ、十一日には我が在京の兵士三百五十人及び大炮 四門を徴發して橋本の關門を守らしめ、又更に加... |
第一章 領主及び領土 近江に於ける加賀藩領 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
近江に於ける加賀藩領は、前田利家上洛の途次宿泊の利便に供せんが爲、豐臣秀吉より高 島郡今津西濱九百二十八石四升、弘川之内九百三十六石五斗三... |
第二章 加賀藩治創始期 第二節 越中平定 成政降伏後の秀吉 |
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二破却一隙明候之條、今日加州迄納馬候。寔太刀も刀も不レ入躰に而、任二一篇一候間可 二御心易一候。頓令二上洛一候之條、猶其節可二申承一候。恐々謹言。壬八月七日(天正 十三年)秀吉印本願寺殿〔本願寺文書〕 |
第二章 加賀藩治創始期 第二節 越中平定 加賀殿 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
秀吉侍女の發したるものにして、その『さだめてきやう中けんぶつにひまいり云々』とい ふは、摩阿姫が初めて上洛せしを秀吉の大坂に在りて待望に堪へざるの意を現すものとす べく、五月廿七日の日附は恐らくは十四年に在り... |
第二章 加賀藩治創始期 第三節 前田利家の晩年 秀吉の關東征伐と利家利長の從軍 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
均一候間、近日可レ令二歸陣一候。謹言。七月廿二日(天正十八年)利家在判三輪藤兵衞 殿〔遺編類聚〕○先度上洛之刻は、早々對面申候。去年於二關東一松枝・八王寺之手柄共 、人口により染々と禮も不レ申候。其方儀を宰相... |
第二章 加賀藩治創始期 第三節 前田利家の晩年 征明軍の終局 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
せり。この年二月利家は大阪に上り、次いで京都・伏見の間を往來せしが、十二月歸りて 國政を視、四年正月亦上洛せしに、秀吉は三月六日利家に江州今津西濱及び弘川の地を與 へて、封國往返の旅次に便ならしめき。翌慶長元... |
第二章 加賀藩治創始期 第三節 前田利家の晩年 鷄群の一鶴 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
さはるものなし。西國は備前中納言殿御入候而、毛利家自然出候者可レ有二御押一。最早 家康計に候。家康打立上洛被レ仕候者、此飛騨守即時にくひつき、箱根を一足も爲レ越申 間敷候間、其分別して何茂御覽候へ。但又上方に... |
第二章 加賀藩治創始期 第三節 前田利家の晩年 利家の遺言 |
石川県立図書館/大型絵図・石川県史 石川県史 第二編 |
之城之留守居には、篠原出羽(一孝)に、貴殿(利長)の内にてなじみ深き者を一人相添 被レ置、殘人數孫四郎上洛、則一手に罷成候樣に仕置可レ被レ仕候。然者出羽事、せがれ より我等側に召仕、心持存候。片口なる律義者に... |