日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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日本代表国際大会史 アジアラグビー史
[[アジアラグビー史]]
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
異議を唱え、日本選手権への出場を辞退した。準優勝のトヨタ自工、3位の三菱重工京都1
)も辞退したため、日本協会は3位の富士鉄釜石を社会人代表として日本選手権に出場させ
たが、釜石は日体大に敗れた。日本協会はアジア...
敗戦の焦土から復興へ Ⅰ 国敗れて「ラグビー」あり
日本協会の体協脱退と復帰》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
【体協脱退の理由とその経緯】日本協会が1926(大正15)年11月30日の創設以来、初めてと
もいえる試練に直面した。それは1956(昭和...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅰ 日本協会の設立
《初代会長問題と役員人事》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
さきに日本協会の設立時期について諸説が交錯していたことを述べたが、さらに初代会長
問題についても年史という立場から日...
敗戦の焦土から復興へ Ⅰ 国敗れて「ラグビー」あり
日本協会創設35周年と50周年記念祭》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
【35周年記念祭】日本協会の創設35周年記念祭が1963(昭和38)年9月24日の秋分の日、秋
晴れの秩父宮ラグビー場で行われた...
敗戦の焦土から復興へ Ⅱ 多様化する協会活動
《日本の女子ラグビーが正式加盟》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
日本協会への加盟と現況】日本協会に新しい仲間が参加した。その友人とは日本女子ラ
グビー連盟(以後日女連)である...
日本代表国際大会史 パシフィック・リム選手権から
[[パシフィック・リム選手権からIRBパシフィック・ネーションズカップへ]]
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
流により強化の促進を図ってきたのだが、ラグビー強国はいずれもスケジュール過密で簡
単にことは運ばない。日本協会は毎年同レベルの相手と戦う、ヨーロッパ5ヵ国対抗のよ
うなスケジュールを持ちたいと願っていた。平成8年...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅰ 日本協会の設立
《協会成立の経緯と背景》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
られたので一層熱が上り、遂にラグビー協会の設立を見るに至った次第である。だから関
西ラグビー倶楽部は(日本)協会の生みの親である。而して又育ての師であると云ってもよ
い」(原文のまま)。このように杉本貞一の提言が...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅴ 日本代表が開いた世界への窓
《日本とカナダの国際交流がはじまる》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
表が初めてカナダ遠征へ】バンクーバーで記念の写真をバンクーバーを相手にドリブル攻
撃を仕掛ける日本代表日本協会は1930(昭和5)年8月に日本代表チームをカナダへ送った。
日本ラグビーの世界へのデビューとなった記...
戦後の国際交流 Ⅴ 花開いたセブン・アサイド(7人制)ラグビー
《YC&ACセブンズとジャパン・セブンズ》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
た現象ではあるが、それ以前の日本ラグビー界は国内のプレシーズンといえば7人制ラグ
ビーの独壇場だった。日本協会機関誌が伝える戦後の7人制ラグビー復活のいきさつを再
録した。原稿の執筆者は元日本協会副会長小林忠郎と...
ワールドカップと日本 初参加から5大会連続出場の偉業
《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
20決勝○ニュージーランド29−9フランス●(オークランド)第1回ワールドカップ日本代表
団長金野滋(日本協会専務理事)監督宮地克実(日本協会強化委員)コーチ水谷真(日本協会
強化委員)主将林敏之(神戸製鋼)【第...
日本代表国際大会史 ラグビーワールドカップ史
[[ラグビーワールドカップ史]]
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
土田雅人(強化委員)、テクニカルアドバイザー:勝田隆(強化委員)、飯島均(三洋電機)、
マーク・エラ(日本協会)、田村誠(トヨタ)、中島修二(NEC)、フィットネスコーチ:太田
正則(日本協会)、ドクター:福田潤...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅱ 秩父宮さまと日本ラグビー
《私とラグビー》
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なく、此使命を果することによりラグビー界が今後とも躍進を續けることに大きな期待を
かけるものである。(日本協会の機関誌「Rugby Football」復刊第1号から)秩父宮さまご
自身で綴られたエッセー(上記)に...
ワールドカップと日本 初参加から5大会連続出場の偉業
《5大会連続出場と世界のレベル》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
かったオールブラックスである。第1回W杯で豪州に善戦の日本代表。左は生田、右は河瀬
大会に参加してみて日本協会はいろいろな点で驚かされる。大会後に発表された数字の数
々がものすごい。11会場につめかけた観客の総数...
敗戦の焦土から復興へ Ⅱ 多様化する協会活動
日本協会機関誌の復刊》
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ビー草創期のメンバー松岡正男の原稿を掲載するなど、日本ラグビーの歴史探求という観
点からいえば、これら日本協会揺籃時代に発行された機関誌「ラグビー」の存在は貴重な
史料といえる。ただ、発行機関が日本協会ではなく関...
敗戦の焦土から復興へ Ⅰ 国敗れて「ラグビー」あり
《ラガーマン手づくりのラグビー場と国への移管》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
土を周囲に盛って観客席にする工事費が150万円…」で請け負ってくれるというが、その
条件を充たす蓄えは日本協会にも、関東協会にもまったくない。それでもまだ救いはあっ
た。「着手金として30万円が出せるなら残金はい...
戦後の国際交流 Ⅳ 国際社会の地域大会と日本ラグビー
《タイ国の提唱で始まったアジア大会》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
ずアジア・ラグビー協会(ARFU)が前年の1968年12月15日の創立総会で誕生。ARFU初代会長
日本協会会長代行湯川正夫、書記長兼会計役に金野滋が選出された。憲章によると、大
会は2年間隔で開かれることにな...
日本代表国際大会史 国際交流の歩み
[[国際交流の歩み]]
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
した。昭和58年(1983)10月、ウエールズから10年ぶりにフルインビテーションの招聘を受
けた際、日本協会の金野専務理事は、ここ数年日本代表が不振なことから「惨敗すればウ
エールズユニオンに多大の迷惑をかける...
定期戦から選手権時代へ Ⅰ 日本選手権がスタート
《日本選手権の変遷》
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    日本ラグビーフットボール史
ない。その現れのひとつが大会直前に大阪のスポーツマンクラブで開かれた「第1回日本
選手権展望」と題する日本協会機関誌主催の座談会である。出席者は関東協会・小林忠郎
、関西協会・宮原万寿、丹羽正、九州協会・平山新一...
女子日本代表史 女子ラグビーの歩み
女子ラグビー検討委員会報告・引継書
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
私は女子ラグビーが日本協会に加盟する以前に、側面から協力しながら女子ラグビーの将
来をどうすることが良いのか、検討委員会の担当理...
女子日本代表史 女子ラグビー国際交流試合
[[女子ラグビー国際交流試合]]
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o559/4○女子日本代表34-10●サラセンズサラセンズクラブ女子日本代表メンバー団長:
岸田則子(日本協会)、ヘッドコーチ:萩本光威(神鋼)、アシスタントコーチ:中道紀和(
神鋼)、メディカル:田中彩乃(日本...