日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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ワールドカップと日本 初参加から5大会連続出場の偉業
《W杯と日本代表チームの記録 第1回大会~第5回大会》
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イルランド、カナダ、トンガ▽プール3:ニュージーランド、フィジー、イタリア、アル
ゼンチン▽プール4:フランス、スコットランド、ルーマニア、ジンバブエ日本の予選成
績①5.23●日本18−21アメリカ○(ブリスベ...
戦後の国際交流 Ⅱ 初めて見る世界のナショナルチーム
《初めて目にする華麗なシャンパンラグビー》
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では次のフランス戦での日本代表は、ウェールズ、スコットランドの2戦に比べてどうだ
っただろう。テストマッチのスコアは1...
戦後の国際交流 Ⅲ 日本代表の海外遠征
《日本代表の遠征を総括すると》
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963(昭和38)年4月のカナダ太平洋岸だった。以来、アマチュア時代の最後となった2000年
11月のフランス・アイルランド遠征まで、訪れた国はホームユニオン4カ国をはじめ12カ
国18回に及んでいる。ただ単純計...
日本ラグビー新時代 Ⅱ 日本代表強化新体制
[[Ⅱ 日本代表強化新体制]]
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)コーチという体制があった。その後、2005年には、太田治GM(ジェネラル・マネージャー
)とともに、フランス人のジャン・ピエール・エリサルド氏をヘッド・コーチ(実質上の監
督)に採用することを決定した。日本協会...
敗戦の焦土から復興へ Ⅱ 多様化する協会活動
《日本の女子ラグビーが正式加盟》
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日から14日までの9日間、ウェールズで日本など12カ国が参加して開かれた。日本女子代
表は予選リーグでフランス、スウェーデンと対戦して2敗。このあと敗者復活戦でもスペ
インに敗れ、結局、ワールドカップ初参加は3戦...
戦後の国際交流 Ⅳ 国際社会の地域大会と日本ラグビー
《ジャパンを支えるエージグループの強化》
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のといえる。「U19世界選手権(ジュニア世界選手権)」に日本が参加したのは、1998(平
成10)年にフランスのツールーズで開催された第30回大会からである。もともとこの国際
大会はFIRA(国際アマチュアラグビ...
日本ラグビー新時代 1. 昭和40年代~50年代
[[1. 昭和40年代~50年代]]
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りトップレフリー、ジョセフ氏を招聘し、講演を行った。昭和50年代にはいるとウェール
ズ(昭和50年)、フランス(同53年)、イングランド(同54年)カナダ(同56年)、フランス(同5
9年)とテストマッチが行われ...
ワールドカップと日本 初参加から5大会連続出場の偉業
《5大会連続出場と世界のレベル》
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なった。予選プールは4敗ながらも、会場のタウンズビルには大勢の地元ファンが足を運
び、スコットランドやフランスなどの強豪国を苦しめたことから、地元メディアが“Brav
eBlossoms”(勇敢な桜たち)というニ...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅴ 日本代表が開いた世界への窓
《豪州&NZ大学選抜が相次いで来日》
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ヵ月後の1928(昭和3年)1月にやってきた上海駐屯ウェールズ連隊をもって嚆矢とする。以
来、天津駐屯フランス軍(1929年2月)、カナダ代表(1932年1月)とつづいてAURFCは4番目で
あるが、シビリアンで...
定期戦から選手権時代へ Ⅴ 日本協会主催の各種全国大会
《三地域対抗ラグビー》
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三地域対抗が戦後のラグビー界の頂点に立つ最高の試合であり、ラグビー発祥の英国4ホ
ームユニオンとフランスが参加する5カ対抗をイメージしたものであり、また、その前身
が1928(昭和3)年2月の第1回東西対抗...
戦後の国際交流 Ⅰ 来日した大学ラグビーのエリートたち
《黒衣のパワフル3軍団》
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このあと日本協会はフランスのパリ大学クラブ「ピュック」、ニュージーランド大学選抜
(NZU)、カンタベリー大学(NZ)、ダブリン...
戦後の国際交流 Ⅱ 初めて見る世界のナショナルチーム
《相次いで5カ国対抗の勇者たちが…》
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スコットランド代表が1977(昭和52)年9月と1989(平成元)年5月に、フランス代表が1978(
昭和53)年9月と1984(昭和59)年9月に、そして5カ国対抗のメンバーとしては最...
戦後の国際交流 Ⅲ 日本代表の海外遠征
《第2次ウェールズ遠征の成功》
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Hの神さまといわれたガレス・エドワーズも10年前の日本代表を「オールブラックスの持
つサポートプレーとフランス代表の持つランニングラグビーをまじえたものを二つ同時に
日本ラグビーに見ることができた」(日本協会機関...
戦後の国際交流 Ⅳ 国際社会の地域大会と日本ラグビー
《環太平洋を巡る3つの大会》
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イベントとして、格式、伝統を誇る6カ国対抗(イングランド、スコットランド、アイルラ
ンド、ウェールズ、フランス、イタリア)、南半球のトライネーションズ(オーストラリア
、ニュージーランド、南アフリカ)にある。すで...
戦後の国際交流 Ⅴ 花開いたセブン・アサイド(7人制)ラグビー
《YC&ACセブンズとジャパン・セブンズ》
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など9カ国。次ぎの第4回大会ではさらに南半球から豪州、西サモア、トンガ、アルゼンチ
ン、ヨーロッパからフランスも招待に応じるなど、参加国はワールドワイド化していった
。なかでも人気を呼んだのは第4、第5、第6回と...
戦後の国際交流 Ⅴ 花開いたセブン・アサイド(7人制)ラグビー
《アジア競技大会で7人制日本代表が悲願の金メダル達成》
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かけて、カタールのドーハで開催された。そのほんの2週間前、15人制の日本代表が、香
港で韓国を一蹴し、フランスワールドカップのアジア代表の座を獲得したばかりだった。
今回は、7人制だけの大会となった。佐野順監督率...
日本ラグビー新時代 Ⅲ ジャパンラグビートップリーグの創設
《トップリーグのめざすもの》
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平成19年度5回目のシーズンを迎えるトップリーグは、同時にラグビーワールドカップ
ランス大会の開催と同じくしている。トップリーグ創設が前回のワールドカップオースト
リア大会と同じくしていり、...
ルール改正の変遷 Ⅰ 主なルール改正について ルール改正の変遷をたどる目的
[[ルール改正の変遷をたどる目的]]
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ラグビーを総括する機関の名称のこと。現在は、イングランド、スコットランド、ウエー
ルズ、アイルランド、フランス、南アフリカ、NZ、オーストラリアの8ヶ国協会(ユニオン
)で構成されている。注2.ラグビーのルールに...
ルール改正の変遷 Ⅰ 主なルール改正について 主なルールの改正点と変遷
4.昭和50年代(1975~1984)
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いう明確な役割を担って、定期的で継続した活動を実施してきた証とも言えよう。IRFBで
は、1978年にフランスが常任理事国入りし、主要8ヶ国となった。IRFB補助機関であるル
ールコミッティやメディカル・アドバイ...