日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム

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日本代表国際大会史 ラグビーワールドカップ史
[[ラグビーワールドカップ史]]
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
った、前述のアンディ・ダルトンに代わって、SHのデビッド・カークが務め、栄えあるエ
リスカップを手にした。イタリア戦で90メートル独走して怪物といわれた、WTBジョン・
カーワン[現日本代表HC]、No8ウェイン...
日本代表テストマッチ史 テストマッチ観戦記とテーブル
テストNo.347 リポビタンDツアー2018 欧州ツアー2018 イングランド代表戦
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ール・ウィリアムス(NZ)●日本代表 15-35 イングランド代表○日本代表は前半40分、主
役を演じた。イングランドのキックオフ。開始からFWで執拗に身体を当ててくる。3分、S
O田村優のキックをFBエリオット...
日本ラグビーフットボール前史 ユニオン成立まで Ⅰ 日本ラグビーの創始
《寄宿舎制度の恩恵》
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中の合宿のような感じがして、食堂に近い方(付属棟)に野球部の連中、遠い方にラグビー
やボートの連中がいた。いずれにしても私は何も知らずにこの寄宿舎に入れられたので、
好むと好まざるとにかかわらず、ボートとラグビー...
日本ラグビーフットボール前史 ユニオン成立まで Ⅴ ようやく東都にもラグビーのうねりが日本協会の設立と興隆時代へ
《早慶ラグビーに触発された東都の諸大学》
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は国立)3大学の戦後の衰退は惜しまれてならない。ここまで前史は年代順に大学ラグビー
部の創部を追ってきた。いよいよ「ビッグ・3」の一角と称される明治大学、そして5人TB
ラインで名を馳せた立教大学の登場である。ま...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅲ 大学ラグビーの興隆
《早稲田が豪州へ遠征》
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、どんな遠征も勝敗に関する限り、無理だといえる。まず体力差をなくし、対等に戦える
日の早く来るのを望みたい」と報道されたことにもふれている。しかし、「フォワードと
バックスが一体となっての総合的プレーに欠けていた...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅳ 関西に2つの競技場
《甲子園南運動場と全国中等学校大会》
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「かつて、戦前の若いラガーメンが、一度は出場してみたいと悲願し、又ラグビーのMecc
aとして景慕されていた甲子園南運動場は、第二次世界大戦の終了後に、そのコン...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅳ 関西に2つの競技場
《実業団と軍隊ラグビー》
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年史には公式、オープン戦を問わず実業団チームとの対戦記録はゼロ。早稲田六十年史に
は3試合の記載があった。いずれも国鉄チームとの対戦。最初の試合は1932(昭和7)年2月2
1日に鉄道省が対戦相手。29−6で早稲...
日本協会の設立と興隆時代へ Ⅴ 日本代表が開いた世界への窓
《日本とカナダの国際交流がはじまる》
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の経験から考えた作戦で、体力と走力に優れた彼らにとっては当を得たものであったろう
。彼らのチームはだいたい社会人からなっており、シーズン初めで練習不足の点がみとめ
られたが、もし彼らに一ヶ月の余裕を与えチームワー...
敗戦の焦土から復興へ Ⅰ 国敗れて「ラグビー」あり
《ラガーマン手づくりのラグビー場と国への移管》
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しかも「雨が降ったら使用させない、必要があれば何時でも許可を取り消すなど、進駐米
軍の管理責任者は言いたい放題。こんな不安定なことでは、とても将来の発展は期されな
い」(日本ラグビー史)との思いが、当時の関東協会...
敗戦の焦土から復興へ Ⅰ 国敗れて「ラグビー」あり
《九州協会が独立・西部協会は関西協会へ》
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7(昭和22)年9月となっており、同時に西部協会は名称を関西協会と改称して新たな出発を
することとなった。いずれにしても、英国の4ホームユニオン(イングランド、ウェールズ
、スコットランド、アイルランド)とニュア...
敗戦の焦土から復興へ Ⅰ 国敗れて「ラグビー」あり
《日本協会創設35周年と50周年記念祭》
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ではなく、過去を顧み、反省することによって、未来への飛躍の跳躍台に資することでな
ければなりません…。タイム・アップのホイッスルではなく、まさにキック・オフのホイ
ッスルと理解すべきであります」と記している。日本...
敗戦の焦土から復興へ Ⅱ 多様化する協会活動
《揺れる大学ラグビー界》
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抗戦を主張する定期戦側と意見が対立したまま合意に達せず、前年度方式の継続というこ
とでシーズンに突入した。いろいろ思考錯誤を繰り返してきた対戦方式ではあったが、結
局は13年前の振り出しにもどった形となった。⑪関...
定期戦から選手権時代へ Ⅲ 大学選手権に青春をかけて
[[Ⅲ 大学選手権に青春をかけて]]
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両者の間に格差が生じていったのも否定はできないが、ここで前述の社会人ラグビーの項
を思いだしていただきたい。神戸製鋼7連覇の門出となったV1フィフティーンのうち、同
志社初優勝、そして1年おいた3連覇のメンバーな...
戦後の国際交流 Ⅱ 初めて見る世界のナショナルチーム
《夢の創始国イングランド代表が初来日》
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は不本意な時代がつづいた交流19年目の1971年9月。初めてイングランド代表を日本に迎
えることができた。イングランドといえばラグビーの創始国。世界のラグビー界でもっと
も古い歴史と権威を誇るナショナルチームであ...
戦後の国際交流 Ⅳ 国際社会の地域大会と日本ラグビー
タイ国の提唱で始まったアジア大会》
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アジアラグビー選手権大会がスタートしたのは1969(昭和44)年3月となっている。タイのI
OC(国際オリンピック委員会)委員で、同国ラグビー協会会長チャロック・クマラクールの
提唱によるもので...
年代史 大正
大正4年(1915)度
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西遠征慶応は1908年(明治41年)2月にKRACとの第1回定期戦以来、5回目となる関西遠征を
実施した。いずれもいまでは考えられない強行日程で、そのタフネスぶりに驚かされる。
KRACに5−15で敗れたが、再起...
年代史 昭和
昭和54年(1979)度
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
【代表】イングランド代表(4勝)にあと一歩昭和46年(1971)9月来日時に、あわやという試
合を演じたイングランドは、今回の来日でも日本代表にラストプレーで逆転というドラマ
を見せてくれた。横井久監督が挑戦した...
日本選手権史 日本選手権大会の歩み
平成3年(1991)1月15日 第28回日本選手権試合
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
ラグビー界を沸かせた。結果は明大の健闘を退け、風格あるラグビーを見せた神鋼が38−1
5で3連覇を遂げた。いよいよ神鋼時代の到来だ。前半明大は丹羽のPGで先制したが、神鋼
は4分、CTB平尾の飛ばしパスでFB細川...
大学ラグビー史 決勝観戦記とテーブル
昭和61年(1986)1月4日 昭和60年(1985)度 第22回大学選手権決勝
日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム    年代史・観戦記・その他資料
10分に勝負を賭けたこの判断は正しかったと見るが、スクラムを選択していれば押しきれ
たという人も多かった。いまならトライが5点で明大が勝っていた。抽選に勝った慶大が
余勢を駆ってトヨタを下して日本一になったので、...
大学ラグビー史 決勝観戦記とテーブル
平成1年(1989)1月11日 昭和63年(1988)度 第25回大学選手権決勝
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が、明大がボールの落下点でプレーしようとしたのに対し、大東大はバウンド後のカバー
リングを欠かさなかった。いずれも80分間のほんの一瞬のできごとで、勝負のアヤといえ
るかもしれない」。昭和63年(1988)度第2...