新編弘前市史 通史編1(古代・中世) 第4章 中世前期 第三節 中世前期の宗教世界 一 古代における北奥の宗教世界 [[古代における北奥の宗教世界]] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編1(古代・中世) |
5)聖観音不詳久渡寺(真言宗)僧円智の創立とも伝える(6)深沙大権現大同二年坂上田村麻 呂猿賀山長命院神宮寺(天台宗)(7)熊野三所大所大権現不詳飛龍山東福院(天台宗)元亀四 年の建立ともいう(8)八幡太神宮不... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 二 寺院 (二)天台宗の寺院 神宮寺 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編3(近世2) |
神宮寺(現南津軽郡尾上町)は、深沙宮(じんじゃぐう)(現猿賀神社)の別当であった。「天 台宗縁起」(同前No... |
新編弘前市史 通史編1(古代・中世) 第4章 中世前期 第三節 中世前期の宗教世界 二 北奥宗教界を彩る中世的寺社 [[北奥宗教界を彩る中世的寺社]] |
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文元年(一五三二)僧弘信が堀越に建立した金剛山光明寺に始まるという。天正年間(一五 七三~九二)猿賀山神宮寺(尾上町)の別当。円明寺浄土真宗東本願寺明応八(一四九九)念 西坊油川(青森市)新寺町念西坊の俗名は下... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第6章 維新変革と藩体制の解体 第四節 廃藩置県前後の動静 一 弘前藩の解体と神仏分離 大社の神仏分離 |
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照宮(とうしょうぐう)は日光東照宮の例を調査してから行うとしている。次に深沙宮(現 南津軽郡尾上町)は神宮寺が別当を免じられ、本社の仏像は神宮寺に預けられ、社号を猿 賀(さるか)神社と改称することとなった。袋宮... |
新編弘前市史 資料編1(古代・中世編) 序 例言/目次(綱文・史料一覧/出典・典拠一覧) 第一章 綱文・史料一覧 [[第一章 綱文・史料一覧]] [[第一章 綱文・史料一覧]] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 資料編1(古代・中世編) |
の死をとげるという。………封内事実秘苑・津軽一統志339●天正十四年(一五八六)正月 、大浦為信、猿賀神宮寺を祈願所となすという。……………………………永禄日記340● 天正十四年(一五八六)十月三日、小野寺輝... |
新編弘前市史 資料編1(古代・中世編) 第1章 蝦夷・津軽関係編年史料 [十六世紀] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 資料編1(古代・中世編) |
、大浦為則の実子、五郎君・六郎君不慮の死をとげるという。●天正十四年(一五八六)正 月、大浦為信、猿賀神宮寺を祈願所となすという。●天正十四年(一五八六)十月三日、小 野寺輝道、南部信直の滴石(雫石)攻略を賀す... |
新編弘前市史 通史編1(古代・中世) 第4章 中世前期 第一節 中世的北方世界の開幕 一 延久蝦夷合戦 乳井福王寺の伝承 |
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かも彼は沢田古館に住み、その地の人々を指導して「長崎村より高畑まで」高二千石余を 開発した上に、猿賀山神宮寺の別当職も兼帯して、その所領千石も領知したと伝えられて いる。ここにみえる「白河天皇の勅願で承暦二年に... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第6章 維新変革と藩体制の解体 第一節 幕末の政局と民衆 二 幕末期の民衆 (一)都市民衆の姿 宗教と交通統制の低下 |
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として挙げられよう。藩は寺社奉行を頂点として、仏教は薬王院(やくおういん)・百沢寺 (ひゃくたくじ)・神宮寺(じんぐうじ)・袋宮寺(たいぐうじ)・最勝院(さいしょういん)と いった大寺院が中心となり、本山・末寺... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第7章 藩政期の人々の生活 第一節 武家の生活 五 参勤交代と江戸屋敷の生活 (一)参勤交代 帰国の旅 |
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出発し、横手(よこて)で昼の休憩。午後三時に大曲(おおまがり)に到着。十七日、午前四 時に大曲を出発、神宮寺(じんぐうじ)を経て境(さかい)で昼の休憩。やがて久保田(くぼ た)へ着き、佐竹右京へ添田が使者となっ... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第7章 藩政期の人々の生活 第一節 武家の生活 五 参勤交代と江戸屋敷の生活 (二)江戸屋敷の生活 江戸勤番と生活 |
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、夕暮れに帰宅。七日、夜に出番(請取番)。藩主が今朝、老中廻りをなされ比較的早くお 帰りになる。今日、神宮寺の僧侶が津軽へ出発した。八日、将軍が上野へおいでになるの で、その道筋の大名・小名が道筋のほか町屋まで... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 一 宗教政策の展開と特徴 (一)寺社の保護と統制 藩政前期為信 |
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棟札天正十四年(一五八六)に為信は深沙宮(じんじゃぐう)(現猿賀神社、南津軽郡尾上町) へ参拝し、別当神宮寺(じんぐうじ)の所領を安堵し、祈願所としたが、翌十五年には領主 の命に別当が従わないのは反乱に結びつく... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 一 宗教政策の展開と特徴 (一)寺社の保護と統制 二代信枚 |
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うしょういん)(現薬王院)の創建に当たっては本祐を開基に推し、真言宗に改宗させられ ていた深沙宮の別当神宮寺を天台宗に戻した。また、幕府から一三年間預けられていた天 台宗の僧慶好院(金勝院)の意見を取り入れ、最... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 一 宗教政策の展開と特徴 (一)寺社の保護と統制 藩政中期四代信政 |
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信政が明暦二年(一六五六)、父信義のため天台宗報恩寺(ほうおんじ)を創建し、薬王院( やくおういん)・神宮寺・袋宮寺とともに天台「四山」とした。大円寺(現最勝院)五重塔 は寛文四年(一六六四)から築造されたが、... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 二 寺院 (三)真言宗の寺院 最勝院 |
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最勝院(さいしょういん)は、天文元年(一五三二)、弘信僧都が堀越村に創建し、為信が神 宮寺別当を兼帯させ寺領五〇〇石を寄進した(「津軽一統志」)。寺伝によれば、為信が高 野山無量寿院の宥観を第... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 三 神社 (一)神社 深沙宮 |
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、翌年別当延命院を追放し、最勝院に兼帯させたという。元和五年(一六一九)、信枚がも との天台宗へ戻して神宮寺を別当とし、塔頭四院と神主四軒を置いた。神仏分離によって 猿賀神社と改称、郷社となり、明治十三年(一八... |
新編弘前市史 通史編3(近世2) 第8章 藩政期の文化 第三節 宗教と信仰 五 人々の信仰 (二)庶民の信仰 一代本尊 |
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齢から生まれた年の守本尊を捜し、占いをしている様子が記され、幕末にはこの信仰が成 立していた。京徳寺・神宮寺(現南津軽郡尾上町)の十二支堂、袋宮寺の三夜堂(辰・巳・ 午)にも一代守本尊が祀られた。表36津軽の一... |