新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第四章 戦前・戦中の弘前 第五節 戦時教育の様相 七 社会教育の動き 通俗教育から社会教育へ |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
通俗教育という言葉を廃し、社会教育という新しい言葉が用いられたのは大正十年(一九 二一)である。これは文部省が普通学務局所掌の通俗教育と... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第五章 戦後の弘前 第四節 教育の変遷 六 戦後の社会教育 社会教育研究大会 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
昭和二十二年(一九四七)七月、文部省と県主催の第一回青森県社会教育研究大会が、青 森軍政部指導のもとに津軽地区と南部地区で開催された。これは戦後における社会教育の 振興と... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第五章 戦後の弘前 第四節 教育の変遷 六 戦後の社会教育 第二回社会教育大会 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
社会教育大会は翌二十三年にも弘前市と八戸市で開かれた。弘前では五月二十九日から三 日間にわたり、第二大成小学校... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第六章 現代の弘前 第五節 教育の整備拡充 六 社会教育 市村合併と公民館 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
戦後から現代までの社会教育活動で、公民館の果たした役割は大きい。ところが、弘前市 に公民館が設置されたのは、昭和三十年(一九五五... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第五節 教育の発展と充実 四 社会教育 [[社会教育]] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
明治初年から大正十年(一九二一)までの社会教育は、一般庶民を対象とする啓蒙的、教化 的な社会教育を主体とするもので、これを「通俗教育」と称した。弘前... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 序 新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次 [[目次]] |
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と青森医学専門学校……………………207六幼稚園教育……………………………………… ……………211七社会教育の動き………………………………………………214第六節恐慌・ 戦時下の社会運動と世相………………………... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 序 新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次 [[新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次]] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
……………………………………………425三幼稚園教育……………………………………… ……………440四社会教育………………………………………………………445第六節弘前公 園の開設と市民生活……………………………... |
新編弘前市史 通史編1(自然・原始) 第2章 津軽の原始時代 第一節 青森県の考古学研究史 四 第Ⅱ期…研究・鍛錬の時代 太平洋戦争終結後 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編1(自然・原始) |
だい)遺跡について」を『考古学雑誌』にそれぞれ発表した(73)。一方、同年の発掘調査 は、県教育委員会社会教育課長であった横山武夫(一九〇一~一九八九)や青森市の開業医 で県文化財専門委員の任にあった成田彦栄(な... |
新編弘前市史 通史編1(自然・原始) 第2章 津軽の原始時代 第一節 青森県の考古学研究史 五 第Ⅲ期…緊急発掘の時代 現在の態勢 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編1(自然・原始) |
。このような事態に対応するため、青森県教育委員会では、昭和四十八年(一九七三)機構 改革を行って従来の社会教育課から文化課を独立させ、さらに増加を続ける緊急調査に対 し、昭和五十五年(一九八〇)には埋蔵文化財調査... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第五節 教育の発展と充実 三 幼稚園教育 養生幼稚園の創設 |
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者伊東重は医学士で、弘前市長や衆議院議員を務めたが、以前から養生哲学を提唱し、養 生会を設置して独得の社会教育を実践していた。伊東は明治三十年から幼稚園の設置を主 張していたが、隣家の伊東進邸を併せて養生幼稚園を... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第五節 教育の発展と充実 四 社会教育 伊東重と養生哲学 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
弘前における西洋医学の草分けである伊東重は、社会教育の面でも幅広い功績を残した。 「養生会」の創始者としても、その指導的な立場から実践してきた活動は、今日... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第3章 大正期の弘前 第五節 教育の拡充 四 社会教育 私設青年団の結成 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
明治年間を通して地方自治体や各種の自治的な組織も次第に整備され、市民の自治意識も 高くなった。ことに日... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第四章 戦前・戦中の弘前 第五節 戦時教育の様相 五 旧制弘前高等学校と青森医学専門学校 弘前高等学校と市民 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
のものである。しかし、昭和十四年、十五年、十六年には再び成人教育講座に戻った。こ のように弘高は、国の社会教育振興の施策に協力する形で、当時における弘前市民の文化 的渇望の一部を満たしたものといえる。 |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第四章 戦前・戦中の弘前 第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相 一 津軽のナショナリズム 戦後の佐藤正三 |
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に『広報ひろさき』は県一位となり、また、市制施行七十周年の記念事業として『弘前市 史』編纂事業に着手、社会教育課長時代はPTA・青年団体・子ども会・公民館の育成指導 に大活躍をした。昭和四十三年七月教育次長となっ... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第五章 戦後の弘前 第四節 教育の変遷 六 戦後の社会教育 PTAの発足 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
戦後の社会教育活動の一つに、PTAの結成と活動が挙げられる。昭和二十二年三月五日、 文部省はGHQの指導のもとに「父... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第六章 現代の弘前 第一節 市町村合併と「新弘前市」の誕生 四 「新弘前市」の誕生 市民の要望と行政の方向 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
に「新弘前市」の市民から基本的施策に関する陳情が殺到したことは、何よりの証拠であ ろう。すでに合併後の社会教育にはいろいろな問題が生じてきており、合併計画も農業補 助事業に偏重し、肝心の基本的な市民生活に対する事... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第六章 現代の弘前 第五節 教育の整備拡充 四 私立大学の増設 弘前学院大学の開学 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
、教科は国語である。また、昭和五十年六月、大学の学則を変更し、この年の入学生から 、司書教諭、学芸員、社会教育主事任用資格の取得が可能となった。昭和六十三年に、短 期大学の家政科が生活福祉科と改称され、さらにこれ... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第八章 近現代弘前市の文化活動 第三節 音楽界の様相 一 古典邦楽 郁田流箏曲(いくたりゅうそうきょく) |
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正期に多くの門人を輩出した。その中の一人、鷹匠町の道場「明治館」(通史近・現代1 第二章第五節第四項「社会教育」参照)の娘、貞子が青森市の郵便局長に嫁ぎ、青森市の 伝統の祖になった。昭和五十年代に調査した時には以... |