新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第3章 大正期の弘前 第五節 教育の拡充 一 初等教育 旧藩主逝去と小学校 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
旗を掲げ、弔意を表するため臨時休業とした。また、三年以上の男女児童は報恩寺におけ る遙拝式に参列した。旧藩主と市内小学校の結びつきは極めて強固であった。小学校教員 に旧藩士族が多かったためか、各校とも旧藩主を敬... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第一節 近代自治制度と弘前 一 青森県の成立と弘前 [[青森県の成立と弘前]] 県政初期の混乱 |
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に約五〇万両かかり、維新前後に藩札を大量に発行した。この中に官に無届けのものもあ り、それが廃藩のとき旧藩主の私債としてに二六万両残り、旧藩主津軽承昭の家禄で決済 することになった。しかし、米価の低落などで順調... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第三節 弘前地方の経済活動 四 明治維新後の弘前と町の経済状態 町の様子 |
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前県であったときは別に変はりがなかったが、一旦青森県となって県の位置がなくなり、 同時に旧藩知事たりし旧藩主が東京に移住となり又各士族は何れも田地を分配せられて津 軽郡内に分かれて住むやうになってからは、弘前は... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 一 弘前不平士族 弘前士族の反発 |
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、その時代錯誤は悲劇的である。川越石太郎は、維新後に戸長も務めたが、維新政府の文 明開化政策に反対し、旧藩主流派に怨念を抱く山田登や藩主の津軽承昭に批判的な一門の 津軽平八郎、森岡鶴翁、戊辰の功労賞に不満の山崎... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 東奥共同会の設立 |
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明治十五年(一八八二)十一月、青森県会議員で東奥義塾塾長の本多庸一は旧藩主の津軽家 に次の書面を送って、それまで自由民権運動に参加し、運動を推進してきた真情を述べる 。写真8本多... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第四節 文明開化と東奥義塾 三 東奥義塾とキリスト教 東奥義塾開学 |
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れる。東奥義塾はその中の一つであった。国や県からの補助を受けなかった東奥義塾の開 学を可能にしたのは、旧藩主津軽承昭の財政援助によるところが大きい。承昭は五〇〇〇 円の開学資金及び「奨学の書」を学校に寄せるなど... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第四節 文明開化と東奥義塾 三 東奥義塾とキリスト教 私学東奥義塾の終焉-公立への移管 |
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派の勝利となり、その攻撃は東奥義塾にも直接向けられた。保守派勢力は公然と東奥義塾 の教育方針を非難し、旧藩主に東奥義塾を廃して皇漢学塾復興を請願した。それは単に弘 前という狭い地域の争いにとどまらず、政府関係者... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第一節 近代自治制度と弘前 一 青森県の成立と弘前 [[青森県の成立と弘前]] 廃藩置県 |
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県ト為ス是務(つとめ)テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無実ノ弊ヲ除キ政令多岐ノ憂ヒ無(なから) シメントス」と、旧藩主をそのまま藩知事としたそれまでの体制の根本的変革を宣言した 。そして藩知事は東京に留め置かれ、全員免官... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 一 弘前不平士族 不平の源流 |
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弘前不平士族の不満の第一は、維新時の藩政と廃藩後の旧藩主家の家政に参加できないこ とにあった。彼らは自らを正義派・勤皇派と自認していた。したがって、藩政や藩主... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 東奥義塾の啓蒙活動 |
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牛場だった。この中で、保守勢力にとって東奥義塾の開化主義教育やキリスト教は好まし くなかった。そのため旧藩主家からの資金援助が妨げられたり、卒業した有為の若者でも 官途に迎えられなかったりした。自由民権運動は、... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 蝦夷の月 |
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本多庸一が旧藩主津軽家へ提出した紛紜に対する弁明の答申書の第二項に「国会開設請願 ノ趣意」があり、そこで自分らの行動は... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第四節 文明開化と東奥義塾 三 東奥義塾とキリスト教 草創期の外国人教師たち |
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社人筆頭に名前が出ている兼松成言でさえ月額七円であった日本人教師の給料に比してき わめて高額であった。旧藩主津軽承昭が開学資金として提供した五〇〇〇円の大半が外国 人教師雇用に充てられていたことになり、当時の関... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第四節 文明開化と東奥義塾 三 東奥義塾とキリスト教 キリスト教 |
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、市内に家屋を購入して本多等が居住するなどの対策をとったりしたが、非難は収まらな かった。それはやがて旧藩主との関係も絡んで政治問題と化し、後述するように東奥義塾 存廃問題へと進んでいくことになった。写真50弘... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第一節 弘前市の誕生 四 弘前における名望人政治 最初の県会 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
、ともに弘前貫族の給禄問題の紛争当事者で、さらに明治六年十月、鰺ヶ沢などで多額の 旅費を借用して上京、旧藩主家の家政のことで争い、封建復帰の建白を政府に出そうとし た時代を理解しない人物たちであった。他の大区の... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第六節 弘前公園の開設と市民生活 一 公園の開放 城跡の荒廃 |
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旧藩の政庁であった弘前城は、明治四年七月の廃藩とともにその機能を失った。旧藩主に して知藩事の津軽承昭はすでに東京に移住していたので、主(あるじ)なき荒城となってし まった。そして九... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第六節 弘前公園の開設と市民生活 一 公園の開放 公園の払い下げ |
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便利に充てた。三十六年四月、これまでも小規模な陳列を試みたが、天守閣を活用して古 物館にし、三層全部に旧藩主や家臣の遺品・遺物を出陳して一般の観覧に供することにな った。同月、内山覚弥の尽力によって実現した桜の... |