新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 四 日露戦争と「国宝師団」 黒溝台の死闘 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
月二十五日から二十九日までロシア軍と死闘を繰り返すことになった。黒溝台の会戦と呼 ばれるこの戦闘こそ、日露戦争の戦局を決定した奉天会戦の前哨戦として、その後長く国 民に語り継がれる戦闘となった。郷土師団たる第八師... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 四 日露戦争と「国宝師団」 地域と軍隊の密接化 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
明治三十八年(一九〇五)九月五日、日露講和条約が結ばれた。日露戦争はここに日本側の 勝利とともに正式に終わりを告げた。しかし日本の勝利といっても、日本は黒溝台の会戦 で第... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第三節 市制施行後の弘前市経済 八 金融業の展開 第五十九銀行の営業状況 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
第二」の史料からうかがうことができる。その史料から(一)営業上の失敗、(二)支店出張 所の設置、(三)日露戦争後の景況、(四)本店の新築、の営業状況を示そう。なお、次の史 料も前掲の『青森県史』資料編近現代2から... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第五節 教育の発展と充実 一 初等教育 日露戦争と小学校 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
要な役割を果たすようになる。市内各小学校はもちろん、中津軽郡の小学校も同様である 。三十七年二月十日、日露戦争の宣戦詔勅が下賜されると、その翌日市内小学校は一斉に 奉読式を挙行、必勝の信念を新たにした。各校は軍資... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 一 日清戦争と郷土部隊 日清戦争と郷土部隊の出征 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
に芽生え始めていたことがわかる。この動きは弘前市や青森県の場合、雪中行軍遭難事件 を通じて浸透し始め、日露戦争を経て確立していったと思われる。雪に覆われる地域が多 い青森県内の各地からは、軍用藁靴であるゴベやハバ... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 四 日露戦争と「国宝師団」 日露開戦と第八師団の派遣 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
たり、津軽海峡にロシア艦隊が出没したり、樺太からロシア人捕虜が弘前にやってくるな ど、弘前市民にとって日露戦争は、極めて身近な戦争を意識する場となっていたことに着 目したい。開戦翌日の二月十一日、ロシア海軍のウラ... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 四 日露戦争と「国宝師団」 ロシア人捕虜と弘前捕虜収容所 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
日露戦争の間にロシア人捕虜が弘前市に連行されることになった。政府と大本営は、明治 三十八年(一九〇五)六月十五... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第四節 農林業の発達 一 りんご栽培の拡大と販路拡張 りんご生産の展開と農業振興 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
たが、同時に、地主・商人をして、病虫害に侵されていない処女地である部落有秣場への 開園に向かわしめた。日露戦争が始まる明治三十七年(一九〇四)の栽培面積一二四一町歩 に対して、五年後の同四十二年には三二九二町歩と... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第五節 教育の発展と充実 二 中等教育 工業学校の創設と東奥義塾の廃校 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
日露戦争後、本県においても実業教育の必要が叫ばれるようになったが、県自体の産業経 済の不振もあって、なかなか進... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第四章 戦前・戦中の弘前 第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相 一 津軽のナショナリズム 東門会の創立 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
和四年東京帝国大学の西洋史学科を卒業したが、在学中に大川周明などの国粋主義者と交 遊、卒業論文を後に『日露戦争の世界史的意義』として出版、よく読まれた。父の思想を 受け継ぎ、日本の日露戦争勝利によるアジアの覚醒、... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第四章 戦前・戦中の弘前 第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相 一 津軽のナショナリズム 對馬勝雄のノート |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
月、弘前第三一連隊の對馬勝雄少尉は「現下日本ノ国状ニ対スル観察」をノートに書いた 。結論として、日本は日露戦争直前の、つまりロシア革命勃発直前のロシアと共通してい るという。第一に、軍指導部が国内情勢を考えずにい... |
新編弘前市史 通史編5(近・現代2) 第八章 近現代弘前市の文化活動 第五節 スポーツ活動 一 近代スポーツの成立(明治・大正期) (三)柔道家・前田光世 柔道で世界を制覇した男 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編5(近・現代2) |
は抜群の強さを発揮する。講道館主嘉納治五郎は光世をアメリカに派遣することを決意す る。三十七年の暮れ、日露戦争の最中、二十七歳の光世は日本と講道館を代表して世界に 柔道を広める使命を受けて渡米。時の大統領ルーズベ... |
新編弘前市史 通史編1(自然・原始) 第2章 津軽の原始時代 第一節 青森県の考古学研究史 四 第Ⅱ期…研究・鍛錬の時代 大正時代 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編1(自然・原始) |
降させる見解を示したのである(41)。しかし一方では、大山柏(おおやまかしわ)(一八八 九~一九六九、日露戦争時に満州軍司令官として活躍した大山巌(おおやまいわお)元帥の 令息)を中心に結成された史前学会のグルー... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) [口絵] [[口絵]] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
士たち口絵28雪中行軍で遭難した第五連隊の救助を指揮した齋藤長義輜重第八大隊長(元 弘前藩士)口絵29日露戦争凱旋門(弘前駅前)口絵30弘前招魂祭†町並み諸相†口絵31本町 ・元寺町方面を望む口絵32老舗金木屋の... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 序 新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次 [[新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次]] |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
……………………………………………277三歩兵第三一連隊の雪中行軍…………………… ……………282四日露戦争と「国宝師団」……………………………………294第三節市制施 行後の弘前市経済………………………………... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第一節 弘前市の誕生 四 弘前における名望人政治 名誉職の町村長・助役 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
ートが、決して高くはないが、相応の報酬を得ながら名誉職町村長として活躍するのが実 際の姿である。特に、日露戦争以後の増大する町村事務を名誉職町村長や名誉職助役でこ なしていくためには、報酬の増大が特に必要となった... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 二 第八師団の誕生 第八師団の実状 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
した各師団長の言上書が防衛庁防衛研究所図書館に残されている。それを見ると、第八師 団長立見尚文の名で、日露戦争を間近に控えた当時の第八師団管下の様子が、概略的では あるが記されている。立見師団長は、雪国を管下に控... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 三 歩兵第三一連隊の雪中行軍 二つの雪中行軍 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
雪中行軍は日露戦争を間近に控え、寒冷地であるロシアとの戦いに備えた作戦だった。雪 対策は第八師団管下の部隊に課された課題... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第二節 第八師団の設置 三 歩兵第三一連隊の雪中行軍 第三一連隊の壮挙とその後 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
中隊長は行軍の成功という快挙を成し遂げながら、人事異動で左遷とも思われる処遇を受 けた。そして最終的に日露戦争でも前線部隊を任せられ戦死している。五連隊兵士は戦死 者同様の名誉ある待遇を受け、天皇からもお墨付きを... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第四節 農林業の発達 一 りんご栽培の拡大と販路拡張 産業組合の設立普及 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
合、一九七六年)。明治中後期に入ると農産物の商品化が進展し、産業組合の普及拡大が 課題となった。特に、日露戦争後の農村不況対策として、政府の推奨もあり、産業組合結 成の機運が高まった。県内では、明治三十九年(一九... |