新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第三節 弘前地方の経済活動 六 通信・運輸 電信事業 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
わが国の通信・運輸の近代化は、まず明治二年(一八六九)に電信が開通し(東京・横浜間) 、次いで明治四年(一八七一)に郵便(東京・京都・大阪間)、そして明治五年に鉄道の開通 (新橋... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 一 弘前不平士族 不平の源流 |
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条を訴えた。しかし認められず、山田登は永禁固、他の四人も処罰された。山田登は明治 六年幽閉を解かれて出京、在京で活躍する。このとき、一門の津軽済(尚友)が君側一変の 偽情報を伝える。森岡鶴翁、津軽平八郎の山... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第三節 市制施行後の弘前市経済 六 弘前市の特産物取引 菜種・水油の商況 |
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であった。(七月卅一日報)同人当市輸出ノ菜種ハ専ラ南、中津軽二郡ノ産ニシテ、其仕向 先ノ重ナル地方ハ東京市、大坂市、三重県、四日市ナリ、而シテ本年ニ至リ、今日迄ニ輸 出シタルハ、数量四十七石、価格弐百弐拾九... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 三 反自由民権グループ 陸奥立憲帝政党の結成 |
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明治十六年(一八八三)一月の『東京日日新聞』は弘前の反自由民権グループの動きと帝政 党結成について次のように報じている。此度津軽弘前の有... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第三節 弘前地方の経済活動 四 明治維新後の弘前と町の経済状態 町の様子 |
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たときは別に変はりがなかったが、一旦青森県となって県の位置がなくなり、同時に旧藩 知事たりし旧藩主が東京に移住となり又各士族は何れも田地を分配せられて津軽郡内に分 かれて住むやうになってからは、弘前は空虚と... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第四節 文明開化と東奥義塾 二 旧慣廃止と新風俗 肉食と牛乳 |
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った。さて、明治初年の神仏分離という宗教上の大改革が、まず食肉の禁忌を緩めること になった。それに、東京では、幕末以来入ってきた西洋の食文化の影響で牛肉屋が続々と 現れ、たとえば『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第三節 市制施行後の弘前市経済 六 弘前市の特産物取引 金細工物の商況 |
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次に金細工物については、東京、大阪等から移入し、新潟、秋田、北海道へ移出していた 。その様子は次のように報告されている。(七月廿日... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第三節 市制施行後の弘前市経済 六 弘前市の特産物取引 漆器の商況 |
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内外各地方ヘ輸出アレトモ、販路未タ十分ナラズ、而シテ管外ニ於ケル重ナル取引地方ハ 、北海道庁、仙台、東京市ニシテ、本年一月ヨリ四月頃マテハ活溌ナル取引ヲナセシカ、 五月以降六月ノ間ハ商勢緩漫トナレリ、其輸出... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第六節 弘前公園の開設と市民生活 二 世相と市民生活 和服と呉服商 |
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た。そのころ、松森町の「角は」呉服店(宮川久一郎)では、農村によく売れた巻手織(一 反八〇銭ぐらい)と京手織(一反一円前後、実は名古屋もの)が当たって大繁盛であった。 二十二年、久一郎の弟富太郎がこの京手織... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第六節 弘前公園の開設と市民生活 二 世相と市民生活 食生活の変化 |
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らである。新若松楼で四十一年に売り出した西洋御料理は、一人前上等二円・中等一円五 〇銭・並等一円で、東京から西洋料理人と菓子職人を雇い入れたと言われる。歳暮・お年 玉用にと宣伝した菓子は、コンスタンチゼリ(... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第六節 弘前公園の開設と市民生活 二 世相と市民生活 新事物 |
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。「閃光写真とて、昼間の写真と毫も変ることなし云々」と宣伝している。明治の末に双 眼写真というものが東京から入ってきた。片手で持つ小型のもので、前方の枠に風景写真 を立て、手前の眼鏡からのぞくと、あたかも立... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第2章 明治後期の弘前 第七節 弘前の宗教者ほか 四 禅画の名手佐藤禅忠 関東大震災後の巡錫布教 |
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大正八年十一月一日、釈宗演は遷化した。六十一歳。宗演は若狭高浜生まれ、明治四年、 十二歳で親戚であった京都妙心寺の釈越渓について出家、のち鎌倉円覚寺の今北洪川の印 可を受け、さらに慶応義塾に入学、卒業後三年... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第3章 大正期の弘前 第五節 教育の拡充 二 中等教育 県立工業学校 |
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このとき、土木科が新しく設置されたが、これは時代の要請に従ったのである。工業学校 では明治四十五年に東京へ修学旅行をしている。これまでは十和田湖へ行っているが、弘 前市内の中等学校で東京へ修学旅行をしたのは... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第一節 近代自治制度と弘前 一 青森県の成立と弘前 [[青森県の成立と弘前]] 廃藩置県 |
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)シメントス」と、旧藩主をそのまま藩知事としたそれまでの体制の根本的変革を宣言し た。そして藩知事は東京に留め置かれ、全員免官となった。写真2弘前藩知事免官の詔事 態は早打で七月二十五日横島彦八が弘前にもた... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第一節 近代自治制度と弘前 一 青森県の成立と弘前 [[青森県の成立と弘前]] 弘前県から青森県へ |
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九月五日野田豁通(ひろみち)が弘前県大参事に任ぜられた。野田は熊本藩士だが、上京し て横井小楠(よこいしょうなん)を師として勉学、さらに由利公正(ゆりきみまさ)に会計学 を学んだ。野田... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第一節 近代自治制度と弘前 一 青森県の成立と弘前 [[青森県の成立と弘前]] 県政初期の混乱 |
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は、説諭が効かぬとみるや強硬な弾圧策に転じた。青森分営の兵士の出動も考え、自分の 方針を説明するため上京した。事態を重く見た政府は、大蔵省から北代正臣(きただいま さおみ)を派遣して説得し、士族らの不平不満... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 東奥共同会の設立 |
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森中津軽郡長辞職、大道寺県会議長県議辞職〈弘前の紛紜起こる〉15(1882) 1山田 県令東京にて客死す16(1883) 4~5月共同会解散さる20(1887)▲中央政界にて大同団 結運... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 保守派との合同団結 |
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 通史編4(近・現代1) |
て砕かれた。それは翌十一月中旬の笹森郡長の山田県令批判をこめた辞職と、それに次ぐ 大道寺議長の辞職と出京から始まった。いわゆる弘前の紛紜(ふんうん)である。 |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 県内遊説 |
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義塾を卒業してなお向学心に燃える生徒は上京し、帝国大学、慶応義塾、同人社などで学 んだ。第一回卒業生伴野雄七郎は中村敬宇の同人社に学び、明治十二... |
新編弘前市史 通史編4(近・現代1) 第1章 明治前期の弘前 第二節 士族の動向と自由民権運動 二 津軽の自由民権運動-本多庸一を中心に- 弘前の紛紜の始まり |
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県会議員を辞職し、本多に「到底団結に従事し難いゆえ、発起人から除名あるべき旨」の 手紙を残して直ちに上京した。国士肌の笹森の辞表は型破りだった。通常は一身上の都合 とあるものを「県令は主義を換ふるものである... |