通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第14節 生活・宗教 2 宗教 キリスト教 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1 |
教葬が行われている。もちろんこれらは日本人に対する直接的布教ではないが、同教の再 入の先駆と言い得る。ニコライ安政5年、ロシア領事着任の時、これに領事館付きの司祭 イワン・マホフが同行し、万延元年ハリストス聖堂を... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 第10章 学校教育の発生と展開 第1節 近代学校教育のはじまり 1 近代教育のはじまりと函館学校 ロシア語科の新設 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
ノ内」から1名採用の予定であった。設置認可を伝える2月10日の東京出張所からの書簡に も「御地居留魯僧ニコライ義倭語をも相通シ、兼テ書生教授ノ手続申込有之義ニ付、同人 を教師ニ御雇相成候方可然」と、「彼ノ語学ヲ教... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 序章 世界の中の箱館開港 第3節 開港と箱館の産業・経済 3 箱館の貿易 貿易船の海外派遣 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
メリカの船に「支配向」のものを同乗させ派遣したい。また「アンムル河」の辺には、ロ シア人が多く移住し、ニコライスキは交易場になっているというので、ロシアとの国境問 題も心配であり「陽に交易を名と致し」、「陰ニ彼が... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 第11章 函館における宗教世界の諸相 第4節 函館におけるキリスト教の受容とその展開 1 明治初年の函館キリスト教界 函館開港とキリスト教 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
隠れキリシタン的信仰の営みが厳存していた。それは文久元(1861)年6月2日のハリストス 正教の宣教師ニコライの来函に始まる。明治2年に一旦は母国ロシアに帰還したニコライ が再び来函して布教の礎を固めるのは、明治... |
通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第1節 箱館開港の経緯 1 各国との開港条約の締結 ロシア使節との応接 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1 |
て開国を要求していたロシア使節プチャーチンは、クリミヤ戦争の勃発を聞き、英仏艦隊 を避けて一旦帰国し、ニコライエフスクに越冬してこの方面の防備に当たっていたが、ア メリカと日本との条約締結を知り、安政元年8月、英... |
通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第6節 開港と流通構造の変化 2 貿易商人の成長と沖ノ口の対応 貿易船の海外派遣 |
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)へ支配向の者差遣し度く、且又蝦夷地接壌の満州地方は、魯西亜蚕食、既にアンムル川( 黒龍江)辺に移住、ニコライスキと申す処に交易場も取開き候趣に付、交易を名とし、御 預船又は外国船へ支配向き乗組ませ、アンムル川よ... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 序章 世界の中の箱館開港 第4節 異文化との接触 3 「通弁御用」と外国語 ロシア語通訳の系譜 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
派遣の際、予定の志賀浦太郎がはずされたため、代わりとしてロシア領事に推薦されたが 、叶わなかった。またニコライが箱館に来たのは1861(文久元)年の6月2日(『日本正教伝 道誌』)であるが、このニコライにも志願し... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 第10章 学校教育の発生と展開 第1節 近代学校教育のはじまり 1 近代教育のはじまりと函館学校 サルトフの採用 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
シア語学校開校のためのサルトフの派遣だったのではないかとも思われる。採用されたサ ルトフは幕末に来函、ニコライのもとで聖堂の読経者兼鐘つきを勤め、ニコライが初めて 日本人に洗礼を授けた時に、監視役として立ち会った... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 第11章 函館における宗教世界の諸相 第4節 函館におけるキリスト教の受容とその展開 2 函館市民とキリスト教 函館におけるキリスト教の庶民布教 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
ことにする。 表11-7キリスト教諸宗派一覧宗派名所在地沿革ハリストス正教元町 ロシア宣教師ニコライが文久元年に来函したのに始まる。明治2年に帰国したニコライは 、再び明治4年来函し、本格的な伝道に乗り... |
通説編第1巻 第1編 風土と自然 第1章 地域概観 第1節 位置・範囲 地理的位置 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1 |
北海道の最南端の都市として津軽海峡をへだてて本州青森県と向かい合っている。同一経 度にはソビエト連邦のニコライエフスク、わが国の青森、白石、オーストラリアのノーマ ントなどの諸都市があり、また同一緯度にはローマ、... |
通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第8節 交通 奉行所の備船 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1 |
を健順丸と名付けた。以上の諸船をもって奉行の乗用、航海術の練習あるいは産物の輸送 等に当てた。亀田丸がニコライエフスクに航し、健順丸が上海に航海したことは、すでに 外国貿易の節において述べた通りである。 |
通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第13節 教育・学芸・衛生 1 教育 諸術調所 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1 |
部の宮古に越冬し、ここで熔鉱炉を見学、翌万延元年箱館に帰った。翌文久元年には、亀 田丸に乗ってロシア領ニコライエフスクに至り、貨物を交易し、黒竜江地方を実測すると ともに、天文、地理、測量術や西洋発明の諸器物の製... |
通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第13節 教育・学芸・衛生 1 教育 外国人による語学教育 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編1 |
、ロシヤノイロハ」と記しているから、日本の子供向けのものとして書いたことがわかる 。このあとに来た司祭ニコライも邦人に露語を教えている。安政6年10月、フランス領事 館付書記官としてきたメルメ・デ・カションは、天... |
通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 第5章 箱館開港 第13節 教育・学芸・衛生 3 衛生 種痘の普及 |
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里箱館に落着き、万延元年箱館医学所頭取に挙げられ、文久元年には武田斐三郎の指揮す る亀田丸に乗って露領ニコライエフスクに至り、同地長官の病を治した人でもある。 |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 序章 世界の中の箱館開港 第4節 異文化との接触 1 外国人の居留 箱館の置かれた環境 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
ALENDA,A.●●●●●ユガノフ●●カレヨウニ●タラへテンベルクTRACHTENBERG,M.●ニコ ライNICHOLAS★★★★★★★★★サルトフSARTOF,F.V.*★★★ベンリシン※※※コステ レフ※... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 序章 世界の中の箱館開港 第4節 異文化との接触 1 外国人の居留 米・露・英の領事 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
井繁訳「プチャーチン書簡」)と進言していた。実際に来箱した医師アルブレヒトや後任 のゼレンスキー、神父ニコライをはじめ、箱館の住民とは色々と接触を持っている。しか しロシアが箱館を選んだ大きな理由と思われるのは、... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 序章 世界の中の箱館開港 第4節 異文化との接触 2 外国船の寄港 ロシア軍艦の乗組員 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
たった。明治10年前後の使用人には、須川長之助(植物学者マキシモヴィッチ在日中の助 手)や、川又篤礼(ニコライによる最初のロシア正教受洗者の1人)の妻がいるのも甚だ興味 深い(「露西亜人より開拓使及県令に宛てた手... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 序章 世界の中の箱館開港 第4節 異文化との接触 3 「通弁御用」と外国語 通訳者の養成 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
擢され、中央で活躍するようになる。あるいは名村の生徒ではないが、文久元年には、ハ リストス正教会の神父ニコライについて、ロシア語を学習するものも出ており、まさに北 の港都の面目躍如たる感がある。 |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 第6章 内外貿易港としての成長と展開 第3節 外国貿易の展開 1 明治前期の外国貿易の概観 輸入貿易の特徴 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
期に入るとロシア産の輸入が顕著になり本格化していく。また塩魚は金額こそ小額である がウラジオストックやニコライエフスクなどから輸入された塩鮭であり11年以降毎年輸入 されており、ちなみに12年の輸入は長崎の商人の... |
第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ 第7章 近代海運の発達と北方の拠点港 第1節 明治初期の海運事情 2 開拓使の海運政策 船舶購入と航路の開拓 |
函館市/函館市地域史料アーカイブ 函館市史 通説編2 |
術調所に入門して武田の門下生となり航海術を学び、文久元年には箱館奉行所の亀田丸に 武田とともに乗船してニコライエフスク行きを体験している。明治5年に開拓使の御用掛 となりまず月俸100両で樺戸丸の船長、同年4月汽... |