高岡市雲龍山勝興寺/文化財デジタルアーカイブ

文書
目録データ 古文書類
識別番号
0000-0030-0000-0000-0000-0000-0070 
資料所蔵機関の名称
勝興寺
史料群
> 文書
副史料群
> No.〇〇〇 県指定文化財
副分類名
> 七〇
文書名
> 中川宗半寄進状  
文書名読み
なかがわそうはんきしんじょう 
宛所
まつ 
作成年代始(和暦)
慶長一六年五月二五日 
数量
1点 
寸法(縦)
32.2cm 
寸法(横)
48.2cm 
テキストの言語
日本語 
テキストの言語コード
jpn 
解題・説明
中川宗半(1562~1614)は、本名光重、通称清六。(巨海斎)宗半を号していた。信長家臣であったが、前田利家の娘・蕭姫を妻として利家に仕えた。相当知られた茶人だったらしく、一時は豊臣秀吉の御伽衆に加わったこともある。譴責を受けたこともあったが、利家配下に戻って増山城(砺波市)を守った。しかし、文禄2年(1593)当時は増山城を妻の蕭姫が預かっているなど(『砺波市史』資料編1)、不明な点が多い。 この寄進状には異筆で慶長16年(1611)と年記があり、退老して後に宗半と号した中川光重が記したものであることがわかる。しかし宛名の「まつ」とは誰であろうか。宗半周辺の「まつ」という女性にはまだ江戸から帰国していない利家夫人の芳春院があるが、そうしてよいだろうか。出家を遂げた最晩年とはいえ、姑にあたる人を実名だけで記したかどうか、疑問は残る。また合力として寄進される300石は実に大きなものである。仮に「まつ」の化粧料だとするならば、その寄進状が何故勝興寺に伝わったのかがわからない。あるいは「まつ」は勝興寺周辺にいる別の有力女性なのであろうか。そうした点も不明である。(久保尚文) 
原本の所在・史料群
勝興寺 
資料番号
県-〇七〇 
出版物・関連資料
「勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念」(勝興寺ほか 2005)  
資料種別
文書 
文化財情報
富山県指定文化財 
既刊目録名
「雲龍山勝興寺文書目録」(勝興寺文化財保存・活用事業団 2012)