高岡市雲龍山勝興寺/文化財デジタルアーカイブ

文書
目録データ 古文書類
識別番号
0000-0030-0000-0000-0000-0000-0067 
資料所蔵機関の名称
勝興寺
史料群
> 文書
副史料群
> No.〇〇〇 県指定文化財
副分類名
> 六七
文書名
> 前田利長消息  
文書名読み
まえだとしながしょうそく 
作成年代始(和暦)
(慶長一三年)七月一〇日 
作成年代始(西暦)
1608 
数量
1点 
形状
書状 
寸法(縦)
34.0cm 
寸法(横)
50.5cm 
テキストの言語
日本語 
テキストの言語コード
jpn 
解題・説明
徳川家康の教如取立て、本願寺の東西分立が進められた。一方の西本願寺門主准如と江戸幕府との関係は微妙であった。そこで准如は、幕府の吉凶事や将軍の仏事の際などには自ら駿府や江戸に下向した。それは、以後の歴代門主が継職の場合や幕府有事の際に江戸下向する先例となった。慶長十三年(一六〇八)七月、駿府(家康)・江戸(秀忠)より帰洛する際に、准如は北国街道を経て越後より入国し、横山(入善町)、魚津、水橋を通って富山に入った。准如歓迎に二〇~三〇万人が参集したともいわれる。翌十四年三月に火災により城を失うまで富山に在城した前田利長は、従来から准如に好意的であった。准如の日程などについては事前に勝興寺から伝えられているので、それに従って青山佐渡守に歓迎させたり、また本書状にあるように、神尾図書助に通路や橋の整備をさせ、また富山城中へも招いている。次いで七月十九日奥村長兵衛書状が宿舎準備について伝えており(『雲竜山勝興寺古文書集』六八号)、さらに金沢を経て、帰洛した。(久保尚文)(引用:「重要文化財勝興寺本堂落慶記念 勝興寺宝物展」)  
原本の所在・史料群
勝興寺 
資料番号
県-〇六七 
その他関連ページ
宝物作品解説 
出版物・関連資料
『勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念』(勝興寺ほか 2005)  
資料種別
文書 
資料種別詳細
書状 
文化財情報
富山県指定文化財 
既刊目録名
『雲龍山勝興寺文書目録』(勝興寺文化財保存・活用事業団 2012)