高岡市雲龍山勝興寺/文化財デジタルアーカイブ

絵画
目録データ 静止画(写真・絵等)
識別番号
0000-0010-0010-0030-0000-0000-0040 
資料所蔵機関の名称
勝興寺
資料群1
> 絵画
資料群2
> Ⅰ宗教部
資料群3
> 勝興寺歴代住職及び夫人肖像画
タイトル
> 妙勝比丘尼真影(八代実玄室)  
タイトル読み
みょうしょうびくにしんえい 
撮影、作画年(和暦)
天正二年 
撮影、作画年(西暦)
1574 
数量
一幅 
形状
掛幅 
大きさ(縦)
71.2cm 
大きさ(横)
34.0cm 
形態に関する注記
絹本著色、掛幅装、紙箱 
解題・説明
勝興寺第8代住職・実玄(1486~1545)の室・妙勝の肖像である。法衣に袈裟と被り物を着け、両手で念珠を持って高麗縁の上に座す。本願寺第11世・顕如(1543~92)の花押のある裏書によって、天正2年(1574)6月26日、81歳で没したことがわかる。妙勝往生に関連する文書として、『雲龍山勝興寺古文書集』15の3月25日付勝興寺殿宛顕如消息があり、妙勝往生之志として銀子15両が上納されたことが述べられている。 妙勝は、本願寺第8世・蓮如(1415~99)の六男で、戦国期の本願寺教団の中心的存在であった河州顕証寺・兼誉(蓮淳/1464~1550)の娘である。蓮淳は、蓮如の死去の際、本願寺第9世・実如(1458~1525)とともに後事を託され、第10世・証如(1516~54)のもとでも、威勢をふるった。 妙勝は、蓮淳の娘であり、本願寺門主である証如の母・慶善院の姉という立場から、夫の没後30年にわたり、次代住職、次々代住職を後見して、勝興寺の威勢を増し、本願寺においても重きをなした。江戸時代に加賀藩主・前田家や、鷹司家と姻戚関係を持つ大寺院として推移するのも、天文年間からの本願寺との密接な関係に由来するところが大きい。 また、『富山県史』通史編Ⅱ805頁には、実如上人中陰の法要に、光教寺一族として法要を務める実玄と、顕証寺一族として出席する妙勝の立場が述べられている。16世紀初頭には、必ずしも単婚小家族の夫婦として同じ立場をとるわけではなく、妻の側が実家の立場でふるまうことがあったことを知らしめてくれる点で興味深い。(高田克宏)【参考文献】『釈尊と親鸞 親鸞編 第4期出品 解説』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成24年(2012) 
原本の所在
勝興寺 
資料番号
三三一-二 
その他関連ページ
「勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念」 
出版物・関連資料
「勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念」(勝興寺ほか 2005) 
資料種別
絵画 
既刊目録名
「雲龍山勝興寺絵画目録」(勝興寺文化財保存・活用事業団 2010)