高岡市雲龍山勝興寺/文化財デジタルアーカイブ

宝物
目録データ 静止画(写真・絵等)
識別番号
0000-0000-0010-0000-0000-0000-0090 
資料所蔵機関の名称
勝興寺
資料群1
> 絵画
タイトル
> 刑和璞百鶴百猿図  
タイトル読み
けいかはくひゃつかくひゃくえず 
撮影、作画年(和暦)
天保五年以降 
撮影、作画年(西暦)
1834 
数量
三幅 
形状
掛幅 
大きさ(縦)
中幅(刑和璞) 縦116.7cm 横44.5cm、右幅(向かって左 百猿図) 縦116.7cm 横44.4cm、左幅(向かって右 百鶴図) 縦116.7cm 横44.0cm 
形態に関する注記
絹本著色、掛幅装、印籠蓋桐箱、箱蓋表墨書「左 百鶴 中 刑和璞 右 百猿 晴川院法印筆 三幅對」、落款「晴川院法印養信筆」、印章・白文方印「中務卿印」 
解題・説明
本図の画題は、中国の道士・邢和璞(けいかはく)である。唐の玄宗の時代に長安に現われ、その能力が道術を好む者たちに高く評価されたという。江戸時代、邢和璞は非常に好まれた画題で、正月には福禄寿や寿老人に次いで書き初めの画題に選ばれている。脇幅の猿は、「猴」(猿の意)が「侯」と同音である上に、樹上にいることを高い身分であるとみて出世を意味する。 作者の晴川院養信(せいせんいんおさのぶ)は、狩野尚信を初祖とする木挽町狩野家第9代である。11代将軍家斉、12代将軍家慶、右大将家祥(後の13代将軍家定)に仕えた。文政2年(1819)法眼の位につき、天保5年(1834)法印となる。文政11年(1828)頃から会心斎とも名乗る。本図の落款は「晴川院法印養信筆」「中務卿印」の白文方印を捺し、天保5年以降の作とわかる。本図と落款印章とも一致する作品としては、徳島市立徳島城博物館蔵「西王母・瀧図」三幅対があげられる。天保9・10年(1838・39)の江戸城西の丸御殿再建、および天保15年~弘化2年(1844~45)本丸御殿再建の障壁画(現焼失)などの精力的な制作を行なった。粉本主義に陥り評価の低い江戸時代の狩野派の中にあっては例外的な名手として知られる。養信の子・勝川院雅信(しょうせんいんただのぶ)の弟子には狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽などが出た。(高田克宏)【参考文献】『浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ-守り伝える美とおしえ-』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成29年(2017) 
原本の所在
勝興寺 
資料番号
一六八一 
その他関連ページ
「勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念」 
出版物・関連資料
「勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念」(勝興寺ほか 2005) 
資料種別
絵画 
既刊目録名
「雲龍山勝興寺絵画目録」(勝興寺文化財保存・活用事業団 2010)