台東区立図書館/デジタルアーカイブ

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目録データ 地図
資料ID
資料ID:2017_chi_002 
地域
台東区 
資料名1
東都下谷絵図  
UniversalViewer Mirador IIIF
資料名1かな
とうとしたやえず 
資料名2
下谷絵図 
資料名2かな
したやえず 
縦・横・厚(cm)
49.6 ×88.7  
形態に関する注記
【刊写】刊本
【形態】舗
【色】カラー 
時代
時代:江戸 
成立年月日
嘉永4年(1851)新鐫
文久2年(1862)改正 
作者名
戸松昌訓/著,尾張屋清七/編 
発行者名
尾張屋清七 
件名
下谷 伊東玄朴 不忍池 三橋 上野 上野広小路 寛永寺 黒門 下谷広小路 三味線堀 切絵図 三枚橋 種痘所 医学館 
解説
「蘭学者がつづる江戸 柴田収蔵日記」:中央左端の和泉橋から始まる和泉橋通を右に向かい、3区画目の角地が伊東玄朴の塾である。佐渡出身の洋学者・柴田収蔵は、嘉永3年4月からここに住んでいた。また絵図から外れるが、医師修行のため江戸に来た天保14年10月以降は、越後高田藩(榊原家)中屋敷(現在の旧岩崎邸庭園)内の中根半仙の役宅に住んでいた。本絵図は、そのまま柴田収蔵の行動範囲を示すといってよく、彼の買物が池之端仲町の店舗に集中するのは当然であった。
「『藤岡屋日記』の世界」:「安政二己卯十月二日江戸大地震 上巻」に、「御成街道、半潰れ也。西側旅籠町一丁目角、天麩羅茶漬無難ニ而、其隣餅や鶴や・扇や松屋二軒潰れ、其隣本屋由蔵・塩谷弥兵衛無別条」と、安政大地震の際、藤岡屋が無事であったことを伝える。この記事により、神田旅籠町一丁目に住んでいたことがわかり、絵図では、左上方、現在の千代田区外神田三丁目にあたる。
「上野公園」:嘉永4年の現在の上野公園周辺の地図。この地図では鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜が謹慎していた寛永寺大慈院や、慶応4年(1868)の上野戦争で戦闘の場所となった黒門口をみることができる。また、西側の不忍池から広小路を横切るように水路(忍川)が東へ流れており、川に架かっていた三つの橋(中央に将軍が寛永寺に参詣する時に使用する大橋、左右に一般用の小橋)、三橋がある。大正5年(1916)に三橋は取り壊され、忍川が暗渠となった。 
その他の注記
【蔵書印】「醍醐/蔵書(朱文方印)」
「忠順/之印(白文方印)」
「台東図書館/昭和/40.10.21/34686(インク壺形)(裏表紙)」 
展示履歴
「蘭学者がつづる江戸 柴田収蔵日記」(2016/06/17~09/14)、「『藤岡屋日記』の世界」(2018/06/22~09/16)、「上野公園~近代の歩み~」(2020/09/18~12/13)。 
備考
副題は題簽による。縦16.8cm×横9.6cm(折り畳んだ状態)。 
権利関係
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンス(http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja)の下に提供されています。
詳しくは利用規定(https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/MunicipalityHelp/1310615100/aup.html)をご覧ください。