弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

文学館
目録データ 古文書類
識別番号
0000-0000-0000-0000-0000-0000-2360 
資料所蔵機関の名称
弘前市立弘前図書館
史料群
> 07_平田小六
副史料群
> 1_原稿
文書名
> 陸羯南 その剛毅なもの(上)  
差出・作成者等
平田小六 
数量
74枚 
形状
200字詰原稿用紙 
テキストの言語
日本語 
テキストの言語コード
jpn 
解題・説明
 平田小六(一九〇三~一九七六)は、小説家・評論家。秋田県大館町に生まれた。弘前中学卒業後、小学校教師となるも、のち上京。東京毎日新聞社記者、『唯物論研究』編集助手などを勤める。「囚はれた大地」(『文化集団』一九三三・一一~一九三四・五)が注目を浴びた(一九三四・九、ナウカ社)。太平洋戦争後は評論の執筆に力を注ぐ。
 本資料は『日本及日本人』(一九六九・一)二二四~二三七頁に掲載された同名評伝の手稿である。陸羯南(一八五七~一九〇七)は、政論家・国民主義者。津軽藩に生まれた。新聞『日本』の主筆兼社主。本資料は「明治ナショナリズムの系譜」と総題する連載の第一回にあたる。二〇字×一〇行の原稿用紙七四枚により成る。書いてすぐに改めるなど頻繁な推敲の様子や、浄書を経ずに入稿されたことなどが窺える。また本文の末尾近くに大幅な割愛の箇所がある(六九枚目六行目「ここで一人の」から七〇枚目の欄外最後まで。小川渉に関する注記)。
 次に本文全体は、序・少年羯南と明治維新・羯南の師工藤他山・弘前におけるキリスト教・法学校での羯南と原敬・羯南、北辺に窮迫す、の六章で構成されている。本資料は、時代背景や交遊関係を絡めて陸羯南について論じる。まず維新において津軽藩が、佐幕派から勤王派へと乗り換えた経緯を、津軽承昭公伝刊行会編『津軽承昭公伝』(一九一七・一二、同刊行会)を引きつつ説明する。この藩是の変更に憤慨した本多庸一はのちに基督者となるが、筆者は、その心底に薩長閥に対する抵抗があると、山路愛山『基督教評論』(一九〇六・七、警醒社)を援用していう。また陸羯南の漢学の素養が、「大正十三年三月九日例会に於ける外崎覚君の贈従五位工藤他山翁事跡に関する談話」(『史談会速記録』一九二四・三)に見える師他山の教育姿勢を通じて推測される。なお外崎は筆者の伯父にあたり、森鷗外「渋江抽斎」六章、二十五章ほかに「名をとどめている」。以上筆者は津軽の風土と工藤他山の学風が羯南を形成したという。また筆者は、前田蓮山『原敬伝 上巻』(一九四三・一、高山書院)を引き、羯南の司法省法学校時代、ことに原敬との接触と断絶について述べる。さらに羯南の帰京を語るうえで、柳田泉による評伝(『三代言論人集 第五巻』一九六三・五、時事通信社)を引く。(椋棒哲也)
【参考資料】
日本近代文学館・小田切進編『日本近代文学大事典』(一九七七・一一、講談社) 
解題・説明(英語)
- 
管理記号
A-02 
自治体史掲載
平田小六(『新編弘前市史』通史編5(近・現代2) 第八章第一節) 
資料種別
原稿 
資料種別詳細
原稿用紙