弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

史資料
目録データ 古文書類
識別番号
0000-0010-0010-0001-0000-0470-0000 
資料所蔵機関の名称
弘前図書館
史料群
> 津軽家文書
分類名
> 弘前藩庁日記
文書名
> 弘前藩庁日記(国日記)  
文書名読み
ヒロサキ ハンチョウ ニッキ クニ ニッキ 
文書名(ローマ字)
Hirosaki hancho nikki kuni nikki 
別名
天保9年4月25日条 
別名読み
テンポウ クネン シガツ ニジュウゴニチ ジョウ 
別名(ローマ字)
Tenpo kunen shigatsu nijugonichi jo 
差出・作成者等
御日記方編 
差出・作成者等読み
オニッキ カタ 
差出・作成者等(ローマ字)
Onikki kata 
作成年代始(和暦)
天保9年4月 
作成年代始(西暦)
183804 
数量
1冊 
寸法(縦)
30cm 
寸法(横)
22.5cm 
その他の注記
写 
テキストの言語
日本語 
テキストの言語コード
jpn 
内容年代始(和暦)
1838 
解題・説明
 弘前藩の公式藩政記録「弘前藩庁日記」(文献によっては「弘前藩日記」とも)には、国許における行政・司法・人事をはじめとする政務全般の動向を記した弘前城中での記録である「御国日記」(「国日記」とも)と、江戸における幕藩間交渉、藩主の交際、江戸留守居役の交渉、藩邸内のできごと、国許との連絡事項などを記した江戸屋敷(上屋敷)の記録である「江戸日記」の2種類がある。前者は寛文元年(1661)6月3日の4代藩主津軽信政の初入部の日から記録が開始され、元治元年(1864)年12月までの間、約3300冊が残されている。なお、「弘前藩庁日記」には写しや破本をどのように数えるかで文献によって冊数に差異がある。福井敏隆氏(弘前市文化財審議委員会委員長)によれば、冊数は「国日記」3308冊、「江戸日記」1226冊であるという。
 「弘前藩庁日記」には、藩政執行の上で先例を参照するためという目的があった(「日記役勤方之定」『新編弘前市史』資料編近世1、787号史料)。つまり、藩政執行上必要な行政文書として保管され、実用されていたのである。「国日記」は、藩の各部署で作成されていた記録の記事が集大成されたものであり(「国日記」天保3年6月28日条)、また「江戸日記」も同様に江戸における諸種の留書を整理したもので、したがって、史料としては二次史料として位置づけられる。
 「国日記」の記載内容は、月初めに、その月の月番である家老・用人・大目付(おおめつけ)・寺社奉行(じしゃぶぎょう)・郡奉行(こおりぶぎょう)・町奉行・勘定奉行(かんじょうぶぎょう)・物頭(ものがしら)・青森在番(あおもりざいばん)の人名が列記される。日々の記事は、月日と天候が記されたあと、その日登城した家老・用人・大目付の人名が列記され、次に祭祀・仏事・行事や藩主の公的行事についての記事が記される。以下は順不同で、藩士の任免・役替え・家禄増減・家督・改名・縁組などの武士身分に関わる事項、武士のみならず町人・百姓身分にまで及ぶ賞罰記事、各方面の申し出・届け出・願い出とそれに対する対応、そして江戸からの飛脚の到着と、その飛脚がもたらした書状の内容などが記され、最後にその日の御城当番の人名が記されて終わる。「江戸日記」は、月初めに月番家老と用人名を掲出し、日々の記事は、月日天候、その日の当番用人名を記して、以下本文の形式は「国日記」同様である。
 藩政組織には、日記記録の専門部署として、「御日記方(おにっきかた)」が設けられていた。延宝3年(1675)に定められた前出の「日記役勤方之定」では、毎日各分掌からその記録を受け取って、書き落としのないように、日々記録することが定められていたが、時代が下がり、行政組織で取り扱う事項が膨大となり、また御日記方でも藩庁日記以外の諸種の記録も扱う状況になると、日々それぞれの分掌から差し出される膨大な記録を藩庁日記という形にまとめ上げることが困難になり、記事内容の省略が行われたり、清書の滞りを促進させたりする措置がとられたりしている(なお、「弘前藩庁日記」については、筆者が執筆した『新編弘前市史 通史編2近世1』233~235頁の記述をもとにしている)。
 本史料は天保9年(1838)4月21日から30日にかけての「国日記」であるが、この25日条に、前年10月に領内に発行した御用達手形(預手形)の通用を停止する旨の藩の通達が記されている。
 この当時弘前藩では、藩主津軽信順(のぶゆき)の奢侈による浪費、幕府によって行われた上野の将軍家霊廟修復への上納金、さらには天保の大飢饉の発生で、食料購入による金銀の領外流出、廻米として売却すべき米の不足によって財政が逼迫していた。藩では領内商人に対する営業の独占を認めその収入の一部を納入させ、また弘前・青森・鰺ヶ沢(あじがさわ)に調達金を賦課するなどの対策をとっていたが、抜本的なものではなかった。
 天保8年(1837)3月、藩は財政収入・支出を管掌する「御元締(おもとじめ)」「御元方(おもとかた)」を置き、御元方の責任者である御元締に小姓組頭中畑十兵衛、元大間越町奉行田中勝衛永及(ながたか)を任じ、4月には者頭格町奉行の本多東作久貞(ひささだ)を加えた。御元方では財政立て直しのため冗費節約・物価抑制に努めるとともに、領内の商人・郷士などを「御元方御用達」とし御用金を賦課した。さらに「下し品」と呼ばれる領外からの移入品の販売を統制し、一方、田中が主唱して、米を対象に藩が一手買い上げ、販売を行い、その利益で財政補填をはかろうとした。この田中の策に本多は反対したが、結果として本多が田中の工作によって城付足軽頭に転役され、田中の計画が実施に移されることになり、9月24日に凶作への対応に対する「御仁政」を名目に、米専売制と下し物統制が実施された。
 米を売った百姓には藩から米を売り渡した証券として米切手が渡され、それと引き換えに、御用達の一人で弘前城下東長町の商人宮崎八十吉(みやざきやそきち)の名で発行した預手形を受領し、米の販売による入金があるまで金銭同様に通用させようとした。この預手形は発行者の名から「宮崎札」と呼ばれている。藩札発行には幕府の許可が必要とされており、加えて、幕府は、天保7年12月の触書において、金銀銭札、米を担保とする米札などの使用を厳しく制限する方針を示していた。したがって藩は発行に介在しているものの、名目上は富裕な御用達商人の保証する預手形であるという体裁をとって幕府の目を免れようとした。さらに藩の御用達である有力商人の発行した手形によって流通上の信用を保持しようとしたとみられ、実質的な藩札とみることができる。
 10月5日に藩から発行が通達された「宮崎札」の額面は、3分、1文目(もんめ)(匁(もんめ)、以下同)、7文目、14文目、21文目、28文目の6種類であり、「銭匁遣い(ぜにもんめづかい)」を前提とした表記になっている。江戸幕府は金貨・銀貨・銅銭3種類の貨幣を鋳造し、三貨制度を確立させた。これにより、全国的に統一貨幣を供給し円滑な経済の流通を促したことはよく知られている。一方、関西の銀遣い、関東の金遣いと言われるように、大坂市場と深く結びついた地域では銀貨、江戸市場と取引が結びついた地域では金貨と、地域(とその結びついた市場)により金貨・銀貨のいずれを取引の基準通貨とするかが分かれており、三貨間で相互に交換相場が立ったことは、国内市場の統合という面では障害となった。
 津軽は日本海海運によって銀建ての大坂市場との関係が深かった。したがって銀遣いの地域に含まれるのだが、一方において領内経済においては、小額通貨として庶民を中心に全国的に使用された銅銭が広く用いられており、この結果、銅銭と銀貨が併用され、銀貨1匁を一定量の銭貨で示し、しかも、銭貨1枚の単位である「文」ではなく、銭何匁何分と表したのである。これが「銭匁遣い」という形態である。以下に挙げている岩橋勝氏の研究に拠れば、寛文年間(1661~1673)のはじめごろに、弘前藩において、藩に納入する上納銀や役銀などで用いられていた銀遣いが、銀貨が不足したため、銭貨でも上納できるように藩当局が標準銀銭相場を示したことから、銀貨に代えて銭を公的に使用することを認める「銭遣い」が始まった。その後銭貨の銀貨を補完する役割が浸透したことから、元禄期に1匁を60文として固定的に勘定する「銭匁遣い」という形態が成立したとみられる。
 弘前藩が実施した米の専売制は、天保8年も凶作になったことで米の集荷量は少なく、一方、領内の通貨量不足から御元方が預手形を乱発した結果、天保11年春の時点でその残高総額は銭2334貫786文目、米に換算すると1俵=30文目として7万7800俵分にものぼった。預手形乱発の結果、その額面価値は急落し、信用の裏付けのない手形はついに不渡りとなって、百姓は米の代金を失い、御元方のもとで米を集荷した商人は多くが倒産に追い込まれた。藩では田中勝衛が財政運営に失敗した責を問い、天保9年4月3日に元締を解任し、さらに16日に川原平村(かわらたいむら)(現中津軽郡西目屋村)での籠居を命じた。4月25日には宮崎札の通用を停止し、米の買い上げを廃止した。「御元締」「御元方」は天保10年8月1日に廃止されている。(千葉一大)
【参考文献】
弘前市史編纂委員会編集『弘前市史』藩政編(弘前市、1963年)757~760頁
山上笙介『続つがるの夜明け よみもの津軽藩史』下巻之弐(陸奥新報社、1975年)84~96頁
長谷川成一『委託研究報告No.4(1) 弘前藩における藩札の史料収集と研究』(日本銀行金融研究所、1995年)11~27頁
岩橋勝「近世銭匁遣い成立の要因―津軽地方を事例として―」(『松山大学論集』第22巻第4号、2010年) 
解題・説明(英語)
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原本の所在・史料群
弘前図書館 
資料番号
通史2-191 
管理記号
TK215-1-2962 
自治体史掲載
預手形流通停止の国日記記事 
資料種別
古文書