弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

史資料
目録データ 古文書類
識別番号
0000-0010-0040-0000-0000-0350-0000 
資料所蔵機関の名称
弘前図書館
史料群
> 一般郷土資料
文書名
> 赤石・菊池存寄書  
文書名読み
アカイシ キクチ ゾンジヨリショ 
文書名(ローマ字)
Akaishi Kikuchi zonjiyorisyo 
差出・作成者等
赤石安右衛門(行建) 菊池寛司(正礼) 
差出・作成者等読み
アカイシ ヤスエモン ユキタケ キクチ カンジ マサノリ 
差出・作成者等(ローマ字)
Akaishi Yasuemon Yukitake Kikuchi Kanji Masanori 
数量
1冊(27丁) 
寸法(縦)
25cm 
寸法(横)
17.5cm 
その他の注記
写 
テキストの言語
日本語 
テキストの言語コード
jpn 
関係する人物名・組織・団体名
牧野 左次郎(恒貞) 
関係する人物名・組織・団体名読み
マキノ サジロウ ツネサダ 
関係する人物名・組織・団体名(ローマ字)
Makino Sajiro Tsunesada 
内容
牧野左次郎(恒貞)に呈した藩士土着の意見書 
内容読み
マキノ サジロウ ツネサダ ニ テイシタ ハンシ ドチャク ノ イケンショ 
内容(ローマ字)
Makino Sajiro Tsunesada ni teishita hanshi dochaku no ikensyo 
解題・説明
 本史料は、赤石安右衛門行健(ゆきたけ)(当時作事奉行)と菊池寬司正礼(まさのり)(当時御目見得以上支配)の両人が、寛政2年(1790)8月に用人牧野左次郎に提出した改革意見書「覚」であり、藩士土着(はんしどちゃく)(在宅(ざいたく))策の推進を建白している。
 弘前藩8代藩主津軽信明(のぶはる)は寛政2年5月に帰国後、人事の刷新を行い、いわゆる弘前藩寛政改革(かんせいかいかく)に本格的に乗り出した。同年6月に牧野を用人に、翌3年正月に赤石を郡奉行(勘定奉行兼帯)に、菊池を勘定奉行(郡奉行兼帯)に登用、また同3年5月迄に、赤石・菊池とともに、いわゆる「寛政改革七人衆」に数えられる竹内長左衛門嘉次(よしつぐ)(勘定奉行手伝)・楠美荘司則徳(のりとく)(勘定奉行)・工藤甚之助祐与(すけとも)(錠口役兼勘定奉行)・成田祐衛門恒佐(つねすけ)(勘定奉行)・三橋勘之丞定(錠口役兼勘定奉行)が登用されている。この他、9代藩主津軽寧親(やすちか)の代に家老となり改革を推進した大道寺隼人繁殖(だいどうじはやとしげたね)も同3年正月に用人となっている。8代藩主信明は寛政3年6月に江戸で没しており、これら登用された人材は9代寧親のもとで改革を推進することになる。
 赤石・菊池が意見書を直接藩主にではなく用人牧野に提出したのは、牧野と両人が「心友」(『津軽藩旧記伝類』)であり、本「覚」の中でも牧野は両人の「尊兄」とされていることから、用人職にある牧野に提出することによって藩主への影響力を期待したものと考えられる。結果として、その意見書は寛政2年10月と寛政4年8月の土着令に反映され、両者も寛政3年正月に郡奉行・勘定奉行に登用されることになったのである。
 この「覚」において赤石・菊池両人は、天明飢饉後の状況を2、3年も放っておけば取り返しのつかないことになるとし、収入を図り、支出を抑えることを基調として「大省之法」を立てるべきとしている。そして、そのために解決すべき課題として、①年貢率を定額とする定免(じょうめん)制、②大阪・江戸の商人への藩財政の依存、③藩士の奢侈(しゃし)的な生活、3点を挙げ、これらを除くために土着が必要だとし、土着の「益分」、土着の方法・手順、土着実施に当たっての関連政策について展開している。
 藩士土着策は、端的には、これまで弘前城下に住み(城下集住(じょうかしゅうじゅう)策)、自分の知行高(ちぎょうだか)に見合った給与(米または代金)を藩庫から支給されていた藩士の生活(蔵米知行制(くらまいちぎょうせい))を、農村に引っ越しさせ(在宅制(ざいたくせい))、自ら耕作に従事するとともに、給与は百姓から直接徴収するという生活(地方知行制(じかたちぎょうせい))に転換させるという政策である。この結果、荒田開発・帰農等による藩庫増収、軍役確保、物価の低下、奢侈矯正、治安回復などが図れるとしている。具体的な内容については以下の参考文献を参照されたい。
 本意見書の藩政上の位置づけ、即ち寛政改革の中心政策である藩士土着策推進上の位置づけについては次のように考えることができる。土着令は大きくは天明4年(1784)12月令、寛政2年10月令、寛政4年8月令によって推進されている。天明4年令は毛内宜応(もうないぎおう)の意見書(存寄書(ぞんじよりしょ))の影響を受けているが(毛内宜応「秘書 全」解説参照)、寛政2年令は天明4年令と本質的に近いものであり、赤石・菊池らが登用され、彼らによって断行された寛政4年令とは内容的にかなりの段階佐が見られる。この意味では直接的影響力を持ったとはいいがたいものの、両人が寛政2年8月に提出した意見書をまとめる段階で、牧野、大道寺と4人で相談していることから(『津軽藩旧記伝類』)、10月の土着令時には、両人の意見が牧野・大道寺に浸透していることが十分考えられる。従って、寛政2年令は天明4年令を再確認し、寛政4年令の布石として出されたものとして位置づけられ、寛政3年正月の赤石・菊池の登用を待って、同4年令の布達に本格的に取りかかったのである。本意意見書は、赤石・菊池の登用とセットで考える必要があるのである。
 なお、従来「土着制」とされてきたが、史料的には「在宅」の文言が頻出することから「在宅制」とし、また法令も「農村に土着を命じる」というよりは「在宅を命じる」としていることから、近年は「在宅制」「在宅令」とすることが多くなってきている。
 ところで、赤石・菊池による意見書は写しが多い。「おくゆかしき津軽の古典籍」でデジタル化されているものは、一般郷土資料(KK300.アカ)の「赤石・菊池存寄書」であり、『新編弘前市史通史編2(近世1)』(516ページ)に写真が掲載されているものである。一方、『新編弘前市史資料編3(近世編2)』(100ページ、資料番号65)に掲載されている、赤石・菊池の「覚」は岩見文庫(GK304-6)のものである。利用については注意されたい。(瀧本壽史)
【参考文献】
瀧本壽史「津軽藩改革意見書の分析」(『弘前大学国史研究』79 1985年)
瀧本壽史「寛政改革と藩士土着政策」(長谷川成一編『津軽藩の基礎的研究』国書刊行会 1984年)
瀧本壽史「弘前藩の寛政改革」(長谷川成一監修『図説 弘前・黒石・中津軽の歴史』郷土出版社、2006年)青森県文化財保護協会編『みちのく叢書第3巻 津軽藩旧記伝類』(国書刊行会、1982年) 
解題・説明(英語)
- 
原本の所在・史料群
弘前図書館 
資料番号
通史2-154 
管理記号
KK300-アカ 
自治体史掲載
赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」 
資料種別
古文書