みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ遺産」

みやこの「ひと(先人の事績)」

寺田寅彦書簡

大正7年(1918)

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[表一][表二][裏一][裏二]
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[表 一・二]
消印(年月不明)14日午後(?)10時-12時
青山南町六ノ一〇八
 小宮豊隆様
    本郷曙町十三
     寺田寅彦


[裏 一]
(明治卅六年)一月廿四日先生帰朝、新橋のプラツトフオームで筆子さんのあごを手で持ちあげてしばらく顔を見つめて居て苦笑をされた」二月十一日赤門前で先生に逢うた」三月廿二日午後訪問色々の書物を見せて貰ふ」廿四日夜宗教の話をした晶子の「乱れ髪」の話もあつた」四月四日には上田敏氏が来合せた、」八日午後不在」九日夜十九日午後在宅」五月二日午後湯浅君が来て居た
十日午後写友会写真展覧会を見に行く」十九日夜虚子四方太(よもた)御土産に団子持参、文科学生某氏(此れは誰でしよう)も来て能の話、子規の話、不折の話などあって莓の御馳走になる(廿二日藤村操死す)」卅日在宅」
六月十九日訪問したれど来客中にて逢はず帰る」廿日午後文庫の写生文の話が出た岩田静夫氏来合はす」廿三日夜在宅」九月十四日夜在宅」廿一日午後在宅」廿二日物理学者マクスウエルの伝を学校でかりて御目にかける」廿四日午前野老山(ところやま)長角君来合はす」廿七日午前不在」十月四日白馬会研精会紫玉会美術協会を見て青陽楼で昼飯、それから田端の筑波園へ行く下手の絵かきが写生して居て先生大に面白がる、花見寺に弓術会があった」五日十五夜在宅」十一日文学士小林馨君来合はす


[裏 二]
(三十七年)一月卅日夜訪問、銅硯と蜜柑を差し上げた、二月三日夜郷里の家の菊畑の写真を見せた(此の二月の十日に日露宣戦)
(三十八年)一月四日午後先生と同道本郷散歩 自働電話で虚子の在否を聞いてから訪問 鼠骨君来合はす、同君茶番狂言の趣向をこしらへる、四人本郷坐へ行く満員で断られ連雀町の牡丹へ行て家鴨を食ふ 帰りに鼠骨君、新聞記者には随分変った人が居るといふ話から、東橋で投身しようとして後へ飛んで橋の上へ落ちそれから後飛と号した人の話をする(此れが猫に出るあれです)」
八日午後訪問在宅」十四日夜松坂煎餅を御馳走になつてスチュヂオを見せて貰ふ」
廿九日午後読売日曜附録に出て居る某文士の珍文章や天野初子の新体詩を読んで大に笑ふ」二月十八日夜訪、在宅」廿三日夜行く 今度の土曜に食牛会をやるから来め(ママ)かと云はれる」
廿五日夜行くビール三本持て行た虚子既にあり つゞいて奇飄正禧四方太来る、牛肉を食ふ 四方太「稲毛」を読む虚子「石棺」を読む、伝四君遅く来る、先生「幻の盾」を披露する 十一時散会(アトは追/\拾ひ出します)